人を陥れるための筋道。
不思議なもので人は人の不幸が好きだ。幸せになりたいと思っているのに、その幸せに手が届かないとなると途端に自分の幸せよりも、人の不幸を望んだりする。つまり、人の不幸が好きと言うよりも自分よりも幸せな人がいる、ということが許せないのかもしれない。もちろん、人が自分よりもいい思いをしていたり、自分が思い描いた通りにことが進まないと、誰だってがっかりするし、誰だって思い悩んだりする。
けれど、自分が落胆するのと、うまくやっている人を陥れてやろうと思う気持ちには、ビックリするほどの落差がある。でも、人は知らず知らずやってしまう。ちょっと評判のいい人がいて、その人のことをあまり良く思っていない自分がいる。ある人が、評判のいい人を褒める。そして、「ね、そう思わない?」なんて聞かれる。すると、ちょっとばかり悪意のような物が頭をもたげてしまい「そうかなあ、あの人にもちょっと問題がある気がするんだけど」なんて、意地悪なものいいをしてしまったりする。それが本当のことでろうと、そのタイミングで言うのはちょっとと思うのだが、人はついつい言いたくなってしまう。
でも、そんな発言が、ゆっくりと巡り巡って自分のためにはならないのだということを子どもの頃から何度か経験する。そして、そのうち段々と「まあ、いいか」という心の余裕が生まれてくる。そうやって人は大人になるような気がする。
しかし、世の中はそんな人ばかりではない。誰かを羨むというよりも、自分がうまくいかないことを人のせいにして無理矢理にでもその理由を作り出して、相手を陥れようという精神構造がはびこり始めているようだ。だけど、そういう精神は病んでいるし、悪行だということは当事者もおそらく知っている。知っているからこそ、なにか理由を見つけようとする。その理由の最強のものが『正義』だ。「なにも私は自分のために言っているんじゃない。言いたくて言っているわけでもない。だって、これが正義じゃない」というロジックで、人を陥れる回路が発動する。
そう思いながら世の中を眺めてみると、大きなところでも、小さなところでも、リアルでもバーチャルでも、そんな正義がざわざわと蠢いているようだ。
もう何も言えないし、何もできないという気持ちになってくるが、それでも僕らは生きていかなければいけない。そして、人を陥れないようにしなければいけないし、陥れられてもいけない。さて、どうすればいい? 結局はできるだけ笑いながら、できるだけ前向きに、自分自身の力を発揮するしかない。他人に振り回されないように。
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植松事務所
植松雅登(うえまつまさと): 1962年生。映画学校を卒業して映像業界で仕事をした後、なぜか広告業界へ。制作会社を経営しながら映画学校の講師などを経験。現在はフリーランスのコピーライター、クリエイティブディレクターとして、コピーライティング、ネーミングやブランディングの開発、映像制作などを行っています。