あじフライのうまい店、その後。
あじフライのうまい店がある、というお話は少し前に書いた。
東京の下町にある小さな魚屋さんの隅っこで、生パン粉で揚げているあじフライがべらぼうにうまくて、ついでに言うと海老フライも身がみっちりつまっていてうまい。で、週に1度はそこであじフライを買うようになってしまった。行くと必ずあじフライを買ってしまうので、海老フライだけが欲しい時にも店の人に「えっと、今日は海老フライを2本」と伝えると、「はい!あじフライ2枚と海老フライ2本!」と言われてしまう。言われてしまうと、なんとなく「はい」と答えてしまい、以来、僕はあじフライは必須の客というムードになっている。たまに、海老フライが2本欲しいのに、「海老フライ1本とあじフライ1枚」と妙に妥協した注文をすることもある。で、それが嫌ではない。
これはあれだね、よく行く喫茶店で、いつもブレンドコーヒーを頼んでブラックで飲んでいると、いつのまにかコーヒーフレッシュと砂糖が出てこなくなった感じに似ているかもしれない。確かにいつもブレンドコーヒーはブラックで飲んでいる。飲んではいるが、なにかとても疲れる文章を書いたときなどに、「今日はちょっと甘いコーヒーが飲みたいな」と思うことがあるのである。こんなオッサンでも。というか、オッサンだからこそ。でも、それが嫌ではない。
そう言えば、若い人たちと居酒屋に行って、何かを注文しようという段になって電話がかかってくる。仕方なく電話に出て、店の表で話をして戻ってくると、飲み物と肉じゃがが運ばれてくる。で、なんで肉じゃがなんだろうと思っていると、その中の女子が「肉じゃが、お好きでしたよね」と声をかけてくる。いやまあ、嫌いじゃないが、あ、この人と一緒に飲んだ数年前、個人的に肉じゃがブームが来ていたんだった、と思い出したりする。ブームなので、いつまでも続くわけがなく、今はどっちでも良い感じ。でも、やっぱりそれが嫌ではない。
と、考えてくると、自分のことを考えてくれて相手が何か反応してくれていることが嬉しいんだなあ、ということに気付く。多少それが逆に不自由を強いることであっても、それでいいじゃないかと思ったりする。その不自由、ありがたくお受けします的な気分である。
というわけで、今日も午前中気持ちよく仕事をした後は、あじフライを買いにフラフラと下町の路地を歩くのである。
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植松事務所
植松雅登(うえまつまさと): 1962年生。映画学校を卒業して映像業界で仕事をした後、なぜか広告業界へ。制作会社を経営しながら映画学校の講師などを経験。現在はフリーランスのコピーライター、クリエイティブディレクターとして、コピーライティング、ネーミングやブランディングの開発、映像制作などを行っています。