米を研ぐ
相変わらず、東京と大阪を行ったり来たりしている。フリーランスの仕事になったので、行き来する頻度はかなり減ったのだけれど、それでも行ったり来たりしている。東京にいるとき、なぜか僕が娘の食事を用意することが多い。こう見えても、ちゃんと米を炊き、魚を焼き、ときには味噌汁を作ったりする。こないだなんて、初めてシンガポールチキンライスに挑戦して、娘から「おいしい」と褒めてもらえたのだった。
さて、米を炊くときに思い出す映画が二本ある。
一本は妻夫木聡が主演した『悪人』。この映画の中で、妻夫木扮する主人公・祐一の祖母を演じるのが樹木希林である。この樹木希林がほとんどセリフがなく、黙々と生活をしている。祐一が罪を犯してからも、彼女はほとんど言い訳もせず、愚痴も言わずに寡黙な生活を続ける。そんな彼女の生活の一部のように映し出されるのが、米を研ぐ場面だ。祐一の祖母は米を水にひたすと、米粒がこぼれないように、用心深く水を流す。そして、手のひらを押し付けるようにキュッキュッと小気味よい音を立てながら、米を研ぐ。その音が、言葉少ない彼女の代わりに何かを言おうとしているように見える。
もう一本が小栗康平第一回監督作品である『泥の河』だ。戦後すぐの大阪の堂島川のほとり。うどん屋を営む親子がいる。父と母と小学生の息子が一人。この息子と友だちになるのが、河に船を浮かべて暮らす貧しい廓船の親子。こちらは娼婦をしている母と娘と息子の三人暮らし。弟はうどん屋の息子と同級生で、姉は二つか三つ歳上だろうか。船で暮らす姉弟は地上で暮らすうどん屋の息子を羨ましく思いながらも、友だちとなりうどん屋によく遊びにくるようになる。ある日、うどん屋の子が家に帰ると、船の子の姉の方が一人、米びつに手を突っ込んでいる。「なにしてんの」と聞くと、「お米って、ぬくいねん」と姉が言う。うどん屋の子も真似をしてみるが、米がぬくい、という感覚がわからない。「冷たいわ」というと、姉は「うちは、ぬくいわ」と言ったきり、しばらく黙り、ふいに「ノブちゃんのお母ちゃんは、石鹸の匂いがするなあ」というと、帰っていくのだ。
僕は一人、米を計り、米を研いでいるとこの二つの場面を思い出す。思い出しながら、自分は昭和37年(1962年)生まれで、ほとんど意識をしたことはなかったけれど、戦後すぐの生まれだったんだなあ、と思うようになった。終戦が昭和20年(1945年)だから、本当に20年も経たずに僕は生まれている。
それをほとんど意識しないままに、僕たちは生まれ育っているわけだけれど、それはかなりすごいことなんだということに、最近になって思いを馳せるようになった。子供に苦労をかけたくない、という思いは今よりももっと強かっただろうし、自分自身も戦時中のような苦労をもう一度するなんてごめんだ、という思いもあっただろう。そう思いながら、今という時代を眺めると、なんだか申し訳ないような気持ちになる。
せめて、自分の子どもたちには、米の正しい研ぎ方くらいは教えておかなければと、気持ちを引き締める今日この頃である。
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植松事務所
植松雅登(うえまつまさと): 1962年生。映画学校を卒業して映像業界で仕事をした後、なぜか広告業界へ。制作会社を経営しながら映画学校の講師などを経験。現在はフリーランスのコピーライター、クリエイティブディレクターとして、コピーライティング、ネーミングやブランディングの開発、映像制作などを行っています。