将軍家の血筋 : 牛肉とポテトの炒め物
なにやら、韓流ドラマのようなタイトルになってしまいましたが・・・
我が家の忘れん坊将軍様(母)、6人姉妹の5女であらせられます。
6人すべて女って、すごいでしょ。
(しかもそのうち母を含めて4人が忘れん坊将軍ときてる)
長女、次女は既に他界していますが、
私の子供の頃には、お正月などに6人姉妹がそれぞれの家族と共に集結。
それはそれはにぎやかな集いになりました。
皆でわいわいと集まるだけでも楽しいのですが、
この集いの楽しみの一つは、姉妹たちが持ち寄る料理の豪華さでした。
集まってから料理をするのでは埒が明かないほどの人数ですから、
皆、家で得意料理を作って持ち寄ったわけです。
英語で言うところのpotluck partyですね。
<こんなにおシャンティじゃなかったけどね>
将軍家の姉妹は、皆、料理好き・上手です。
母のすぐ上の伯母は、私が子供の頃、つまり昭和40年代前半に既に自分でパンを焼いて
いました。
その頃は今のように機能が充実したオーブンなどありませんでしたから、
伯母は、一斗缶をガスコンロに直置きしたような、天火オーブンなるものを使っていました。
まだ幼稚園児だった私は、目の前の”一斗缶”から次々と出てくる
ウインナーやチーズが巻き込まれたロールパンに度肝を抜かれました。
おいおい、パンってお店で買うもんじゃねぇのかよぉ?!
また、これと同じころにやはり伯母が作ってくれたのがキッシュでした。
きれいなお皿で差し出されたそれは、
サクサクのパイ生地に、ほうれん草の入った洋風茶碗蒸しが詰まったような代物。
「キッシュ・ロレーヌよ」
おいおい、き、きっしゅって、ろれぇぬってなんだよぉ?!
この伯母だけでなく、どの伯母・叔母にも、和洋中さまざまな珍しい(もちろん美味しい)ものを
食べさせてもらいましたし、料理でわからないことがあると
母に尋ねるだけでは飽き足らず、伯母たちにも電話をしてあれこれと質問をしたものです。
彼女たちの、美味しいもの・新しい料理を追求する意欲は私の憧れでした。
その血筋を引いたのか、彼女たちの子供、つまり私のいとこたちは
男女関係なく、皆まんまと料理好きになっています。
考えてみると、以前ご紹介したコロッケは母方の曾祖母のレシピ。
料理好きの血筋は何代にも渡って脈々と受け継がれているものなのだなぁと
つくづく思います。
残念ながら、最近はみんなで集まることもなくなってしまいましたが、
もし、今、potluck partyを開いたら、次世代のご馳走がテーブルを埋め尽くすはず。
今日ご紹介する一品も、私が小学生の頃に叔母が作ってくれたものです。
『牛肉とポテトの炒め物』。
ポテトなんて気取ってないでジャガイモって言え、って?
ノンノンノン。
あえてポテトと言うのにはわけがありましてよ。
これ、生のじゃがいもではなく、冷凍のフライドポテトを使うのです。
だから、牛肉とポ・テ・ト。
ボリュームもあって、お子さんや若人が喜ぶ一品ですよ。
『牛肉とポテトの炒め物』
- 玉ねぎはくし切りに、ピーマンは縦1/6くらいに切ります。
- ステーキ用の牛肉を1センチ幅に切り、酒、塩、こしょうを軽く振っておきます。
- 冷凍ポテトを、パッケージにある方法に従って加熱しておきます。
ポテトは細いものよりも太めのものを選らんでください。細いと、食感が牛肉に
負けてしまいます。 - オイスターソース、醤油、酒、水、砂糖で合わせ調味料を作ります。
今回も分量はお好みですが、あまからをイメージして味付けをすると
ご飯に合う味に仕上がります。
ちなみに、水っぽい調味料に砂糖を混ぜると砂糖が溶け残ってしまうことがあります。
ゴムべらや指先でボウルの底をこするように混ぜるとしっかり混ざりますよ。 - フライパンで油を熱し、牛肉を炒めます。
表面の色が変わったら、ボウルなどに取り出しましょう。 - フライパンに残った牛肉の炒めかすなどをペーパータオルで軽く拭き、
油をひいてピーマンと玉ねぎを炒めます。 - 野菜に油がなじんで少し火が入ったところで、取り出した牛肉を戻します。
- 4の合わせ調味料を加えて炒めます。
- 水分がなくなり、調味料が食材に絡んだらできあがり。
将軍家の一員として、料理好きという嬉しい血筋を受け継ぎましたが、
将軍家が将軍家である所以(私が勝手に呼んでいるだけですが)、
つまり忘れん坊の要素だけはなんとか断ち切りたいものだと、
必死でココナッツオイルなんぞを摂取している私です。
ミカスでした。
つまみ
わー!まさに、華麗なる一族ですね。
血筋、遺伝子など、自分に照合するとどよんとすることが多く、どちらかというと否定的に考えてきましたが、将軍家のお正月のその様子は「血は争えない」でしか説明できない気がします。
逆に「私がいくら頑張ったつもりでもたいした料理にならないのも血だわ」と自分に言い訳したりして。
まぁ
奇遇ですね、うちの母も6人姉妹の5女(叔父や伯父もおりますが)
そして残念なことに将軍家系です。
ミカス家程お料理好きが揃っているわけではないですが
私が小学生の頃、我が家にもガスコンロに被せて使う天火オーブンありましたよ。
パンを焼いた記憶はないのですが
パウンドケーキやクッキーは私も焼いて楽しんでいました。
うちの母も料理が好きでそれは私も受け継いだようですが
ミカスさん同様受け継ぎたくない要素もあるわけで…
同じくココナッツオイルを摂取しつつアキレスソルボで歩き回る日々です。
今回のレシピ、豪華でボリュームもあってそそられます!
ひそかにミカス家のレシピも受け継いじゃおうと目論んでたりします。
ミカス Post author
つまみさん
料理に関しては力の入った一族です(笑)
血筋にこだわり過ぎるとどんよりしますが(うちなんて、忘れん坊将軍の血筋ですから)、上手く言い訳に使っちゃうのは有りかもしれません。
ミカス Post author
まぁさん
何て奇遇な!
6人姉妹の5番目、将軍様、天火オーブン、ココナッツオイル、アキレスソルボ…
もはや他人ではありませんね。
食べること、料理に対する情熱を受け継いだのはありがたいことですが、将軍の地位はNo thank youなので、ココナッツソルボで頑張りましょう!
morimi
こんなことでコメント 送っていいですか?
私にはとても親近感のある記事です。
ミカスさんのおばさまたち、お料理お好きだったのですね〜。
ポットラックパーティなど 洒落たこともなかった頃、そんなにお料理の好きではなかった亡き母には、親戚の集まりは結構な負担だったと思います。お寿司、仕出しを取るなどお金で解決していたかも(笑)
そんな中、亡き父が提案したことが、楽しく思いだされます。父の上司、社長が我が家に来るときは、みんな三品ずつお料理すること。レストラン、料亭で食事をすることがほとんどの社長さん。手作りの料理を作ることが もてなすには一番と、父が言いました。当時高校生だった私が何を作ったか忘れてしまいましたが、私には、楽しい思い出です。
今でも、お料理は好きで、私が食べたいものを、毎日作ります。夫と一緒にお夕飯をいただきますが、夫のためではなく、私のために作る夕飯なので、作らなければという、マイナスの気持ちはゼロです(笑)長くて、ごめんなさい。
ミカス Post author
morimiさん
コメントありがとうございます!
どんなことでもコメントしてください。
お父さま、優しいですね。
社長さんは外食がほとんどだから家庭料理でもてなそう、
しかも、家族それぞれが三品ずつ作るなんて、素敵なアイデアです。
社長さん、うれしかったでしょうね。
そうか、「誰かのために作らなきゃいけない」じゃくて「自分の食べたいものを」
と考えればしんどくないですね。
確かに、独り暮らしの時は今よりもずっと料理が楽しかったものなぁ。
morimiさん、ありがとうございます!
ゆうちゃ
ミカスさん、こんにちは。
料理好き血筋は素敵ですね♪
残念ながら私はその系統ではないのですが、子供の頃友達が家に来ると、母はカレーを魔法のランプ風?の器に入れたり、果物の缶詰を開けてソーダ水と一緒に金魚鉢みたいなガラスの器に入れて出してくれました。フルーツポンチというのかしら(笑)
特別な料理は何も無くても特別な気分だったことを思い出します。
料理は器よ~と祖母も母も言っていましたが、その遺伝子も受け継いでいません(笑)
ミカス Post author
ゆうちゃさん
「魔法のランプ」!
わかります、わかります。
あれ、クレービーボートっていうんですよね。昔、気になって調べました(笑)
フルーツポンチも懐かしいです。
友達のお誕生会で、金魚鉢のようなガラスのボウルの周りに小さなガラスのカップのようなものがぶら下がっている器で
フルーツポンチを食べさせてもらったことがあります。
カルチャーショックでしたよ。
料理は器…大切な言葉ですね。
フルーツポンチボール
ジャスミン
羨ましいです!お料理上手な血筋(*^_^*)
うちの父は婿養子で、母方の祖母も一緒に暮らしていましたが
祖母も母も料理が苦手&下手で、家庭料理が美味しかった記憶がありません(T_T)
ミカス Post author
ジャスミンさん
もしかしたら、お祖母さま、お母さま、お裁縫が得意ではなかったですか?
私の周りには、料理は苦手だけどお裁縫が得意な人が多いですよ。
かく言う私は、料理は好きですが、裁縫は玉止めすら作れないという不器用者です。