隙だらけのひと
4月も半ばを過ぎ、もはやそういえば桜って咲いたっけねという勢いで何もかもが遠い。
今年は桜が早い早いと聞いていたのに、直前の寒波で予想よりずいぶん先送りとなり、オットの友人が桜目当てに休暇に来る予定だったから慌てた。
慌てるったって自然の理なのだから、ほんとうはこっちの知ったこっちゃないのだが、もし開花予想が外れたら全日本を代表して陳謝する事態だった。この季節に日本まで来て、満開の桜に立ち会えないなんてどうかしている。そのように思う自分がいたことにびっくりしている。そんなにも日本の桜が自慢なのでしょうか。
それに誘発されてか、今年は例年になく桜をずいぶんちゃんと見た。
職場のひとに誘われて新宿御苑でお弁当を食べ、仕事後にオットと待ち合わせをして上野で夜桜を見物した。週末には近所の公園まで、桜と花見客を眺めに行った。さらに、日本周遊にでかけた友人に便乗して、桜どまんなかの金沢にまで行ってしまったので、これで軽く3年分くらいにはなった。
名所と云われるところに行くと、記念撮影をしている人々がたくさんいる。
私は記念撮影をする人々を見るのが好きだ。
どこが好きなのかというと、彼らの生真面目な様子が好きである。
カメラに向かって立って、にっこりしてシャッターが押される瞬間を待つときの真剣さ。と同時に、こんなにも「見られている」ことを意識しているのに、横や後ろがまったく手薄になっているところ。
また、写真撮影の現場においては、撮る者と撮られる者の距離を直径とする、円形の磁場が発生することが確認されている。この魔法陣とでもいうべき空間の中では、両者の距離がどれほどあろうと、その間にどれだけの他者が行ったり来たりしていようとも、そこに在るのはただ撮られるわたしと撮るわたしである。
このあいだ歌舞伎町を歩いていたら、道の向こうでシンディ・ローパーみたいな外国人の女の子が腰に手を当てて雑踏の中でポーズをとっていた。たとえが古くて申し訳ないが、時代が変わっても、世界にはいつもシンディ・ローパーみたいな女の子が存在する。
一瞬パフォーマンスなのかと思ったくらいだったが、挑戦的なまなざしでシンディが意識を集中させていると思われる方角、つまり道のこっちがわを見てみると、別のシンディ(B)がいて、シンディ(A)(の方向)にカメラを向けているのだった。
シンディAとシンディBの距離、道路をはさんで約20メートル。
彼女たちの認知はこの20メートルの魔法陣を一単位としてとらえているが、私の地点からシンディAを見るとき、シンディBは視界の外なので、シンディAはうっかりするとただの挙動不審な外国人である。そして、俯瞰して眺めたときにはじめて全体像を知ることになる。2人をつなぐ線と空間、それを見る私。も、きっと、隙だらけであることだろう。
もっと若かったときは、そういう隙は恥ずかしかった。
今は隙を手に入れたので嬉しい。
年をとったせいなのかもしれないが、だとしたら、年をとっていいことは?と聞かれたら、「隙がたくさんできるとこだよ」と言いたい。が、あまり聞かれる機会もないと思う。
byはらぷ
※「なんかすごい。」は、毎月第3木曜の更新です。はらぷさんのブログはこちら。
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Aяko
歌舞伎町でポーズを構えるシンディ・ローパー!的確に想像できてしまい、ちょっとニヤケテしまいました。
撮る私と撮られる私の魔法陣というのは、その通りですね。
先日渋谷駅前の交差点でうっかり、ポーズをとる外国人観光客の写真に入り込みそうになりました。
だって交差点だから!急いでいて気を付けてられないし!
でも入っちゃったら、「名所、東京渋谷の交差点」に記録されてしまうんだわ(笑)。