きおくのわが町
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10年くらい前まで、千駄木という町に住んでいた。
先日、職場でなかよくしているFさんが、「根津に叔父のお墓まいりに行く」というので、わあ、いいなあ、と言ったら、じゃあ一緒に行く?と誘ってくれて、便乗することになった。
オットにその話をすると、「いいなあ」とうらやましがったので、「じゃあ、一緒に行く?」と、オットも行くことになった。
根津は、千駄木のとなり町で、いわゆる「谷根千」の「根」と「千」である。
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千代田線の根津駅で待ち合わせして、地上に上がると、根津の交差点の赤札堂の向かい、角の建物がなくなっていた。ここになにがあったのだったか覚えていない。
上野桜木方面に少し歩いて、本壽寺というのが、Fさんの叔父さんのお墓があるところ。寺の名前を聞いてもピンとこなかったのだが、着いてみると、なんと千駄木に住んでいたころ、気に入って散歩のたびに寄っていたお寺だった。
建物のあちこちにひょうたんの意匠がほどこされているので、私たちは「ひょうたんでら」と呼んでいた。
この境内ではよくねこに会う。寺の裏手には墓地があって、奥にひょうたん型の石碑がある。
Fさんの叔父さんが亡くなったころ、私たちは千駄木に住んでいて、もしかしたら納骨にきたFさんともすれ違っていたかもね。そのころは、Fさんのことは影もかたちも知らなかった。
Fさんによると、叔父さんは、明治にお雇い外国人として日本に来た人の孫だそうで、ものすごくハンサムだった。
介護をやりとげられたのは、叔父さんの顔がよかったから、と叔母さんは言っていたらしい。
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ビルに建て替わってピカピカになった中華の「オトメ」でお昼を食べる。まだ元気で営業していて、うれしいしおいしい。
オットが大好きなゆべしのお店は廃業していた。
落胆するオットに、ずっと言いそびれていた「あんぱちやなくなったんだよ」というのがもっと言えなくなってしまった。
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腹ごなしにりっぱな根津神社に行って、色づき始めた銀杏の木を眺めた。
いつもたくさんいる亀が、天気がいいのに姿が見えない。
ひとりの男の人が、長い時間かけて大仰にお参りしているのを、みんな辛抱強く並んで待っていた。横入りして、賽銭投げたらいいのに、と思った。
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それから、へび道を通って、西日暮里から電車に乗りましょう、ということになった。
このへび道は、藍染川の暗渠になったもの。
道沿いの老人ホームで、おばあさんが窓際に座って、手を上げて体操していた。それが、こちらに手を振っているみたいに見えて、私たちは思わずみんなで手を振りかえした。するとおばあさんは、もっと大きく手をふって、投げキッスをおくってよこした。
わたしたちは、フェンスや庭木越しに、熱烈にキッスを送りあって、喜んだ。
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よみせ通り、谷中銀座の変貌は大きい。清澄白河あたりにありそうな、かっこいいコーヒー屋がいくつもできていた。「ジェントリフィケーション…」とオットが毒づく。しかし同時に、早すぎるクリスマス・ソングがスピーカーから流れているところは変わっていない。
ノコギリ屋根の工場は、マンションとスーパーになって、「日本最古のリボン工場跡」というちいさな標識が植栽のあいだに建てられていた。毎日見ていたものが、歴史として処理されていくのにどうも慣れない。
夏になるとかならずかき氷を食べにいった和菓子屋、喫茶まりもなくなる。こんにゃく・かんてんやは健在。
諏訪台通りを抜けて、神社で落ち葉を拾い、本郷台地の崖を満喫して、電車に乗って帰った。
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千駄木に住んだのはたった4年で、新参者のまま引っ越してしまったようなものなのに、今でも訪ねるごとに、ここが私たちの居場所、というような感じがする。
思い出すのは、なんでもないことだ。千駄木から住んでいた古マンションまでの、3分の道のり。スーパーにいくときの裏道に、なぞのあばらやがあったこと。休みの日の朝に、不忍通りを横切って、よくパンを買いにいった。しょっちゅう谷中銀座の角の弁当屋で夜ごはんを買っていた。
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今住んでいるところは、もう10年以上になって、こちらのほうがよっぽど自分たちの町である。自然があって、のんびりしているのが気に入っているし、ここに越してこなければ、ねこのティーちゃんもスマもいなかったわけだから、やりなおしてもやっぱり、ここでの暮らしを選ぶだろう。
でもどこかで、じょうずに周りに擬態して、溶け込んだふうにみせているあやかし2人、というような気持ちを、私もオットもかすかに持ち続けている。居場所と思っている千駄木の町も、ほんとうは頭の中にしかないのかもしれない。
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byはらぷ
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※「なんかすごい。」は、毎月第3木曜の更新です。
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ミカス
ゆべしのお店とは、緑や桃色といった鮮やかなゆべしを売っていたお店の事でしょうか?だとしたら私も落胆です。
そして、一度入ってみたいなと思っていた「オトメ」。新しくなったのですね。
所謂「谷根千」には何度も行きました。歩いて散策するには丁度いいエリアですよね。
まだおばあちゃんがやっていらしたカヤバ珈琲でのんだミルクコーヒーが懐かしい味で美味しかったなぁ。
Eriko
ショートフィルムのように惹き込まれて
心地よく読みました。ありがとう!
私も子供の頃や青春時代(うふふ)に
何度も引っ越した中で
仮住まいのように数ヶ月だけ過ごした場所を
なぜかよく思い出します。
どうしてだろうね。。
はらぷ Post author
ミカスさん
こんばんは!こないだはザツダン楽しかったです!
そうそう、ゆべし、まさにそのお店です。
散歩の途中に立ち寄って、今日は何味にしようかと迷うのが楽しみでした。
そして、「ゆべし」の定義とは…と思ったり。
10年も経っているのだから、いろいろ変わっていて当たり前なのですが、なんだかこのお店はずっとあるような気がしていました。さびしいなあ。
オトメは、メニューはそのままに、ピカピカになっていましたよ!
でも、電気のカサだけが同じだったような…。
今度ぜひ一緒に行きましょう!
はらぷ Post author
Erikoちゃん
こんばんは!わー、コメントありがとう。
そうか、えりちゃんは引っ越しをたくさん経験しているんだね。
わたしは子どもの頃に引っ越しの経験がなくて、働き始めてから、石神井に2年住んで、それから千駄木に4年住み、今のとこに落ち着きました。
石神井で妹と二人暮らしをしていたときのことも、懐かしく思い出します。
商店街の安い八百屋さんや、しょっちゅう行っていた駅前の洋菓子屋の喫茶部など。
えりちゃんは一人で旅立っていって、いろんなとこで暮らして、居場所を作ったんだものなあ。
その旅を、映像で見てみたいなあ!