距離のもたらすもの
またしても3週目の更新を忘れてしまい、カリーナさんと木曜仲間のツマミさんにあわてて連絡をして、5週目の木曜日をもらう。
今月、波のように発生した仕事の求人(3つ)に応募して、書類を作ったり(瀕死)、面接を受けたり(臨死)、不採用の連絡をもらったり(屍)しているうちに、気がつけば4週目に突入していた。
どうして忘れてしまうのかな。最近、日本でのできごとが少し薄く感じられるようになってきた。
ホワイトボードの上にマジックで書いた予定表の文字が少しずつ欠けていって、その輪郭をなぞりなおすことなく眺めているような。
こちらでの生活が軌道に乗ったわけでもないのに、元いた場所が砂の城みたいになっていくのはなんだか不安だ。最近は記憶力にも自信がないし。
26日の日曜日は16年目の入籍記念日だった。わたしたちは、11月26日に入籍をして、翌年の4月に結婚式を挙げたので、記念日とやらが2つあるわけだが、人に聞かれたときには「いいふろ(1126)の日です」と言っている。
どうしてこんなに入籍と挙式がずれているかというと、その年のクリスマスにイギリスに帰省する予定があったので、その前に籍を入れて、夫婦としてオットの母に会いたかったというかわいい理由からである。ちなみにそれまでの帰省では、R(オットになった人)とわたしの寝室は別々に用意されていたのだが、その年晴れて、義母の家内で同室に眠ることが許されたのだった。
16年目というのは、とくに感慨のある年数ではない。朝、オットがハッシュブラウンを作ってくれて一緒に食べた。ハッシュブラウンって、誰が考え出したのかわからないが、ほんとにおいしい食べ物だと思う。別に手作りでなくても、Wetherspoon(イギリスのきさくパブチェーン)で必ずお皿にのっかっているような、三角の冷凍のやつでもわたしは好きだ。
それから町に行って、とくに心ときめかない買い物をした。ねこのパウチや、オットの冬用の厚手靴下、鶏肉やソーセージ、トマトや豆の缶詰。ここのところずっと、セーターを洗うためのデリケート洗剤を探しているのだが、どこにいっても見つからない。ペット用品店で、あたらしい爪研ぎとまたたびの枝で作ったボールを買う。ブラックフライデー価格で半額、合わせて10ポンド。家に帰ってねこにあげてみたら、びっくりするくらい喜んだ。ねこの記念日か。でもねこがうれしいとわたしたちはうれしいので買ってよかった。
夜にはオットが「チキン・ティッカ・マサラ」を作った。チキンカレーの一種で、イギリスのインド料理屋には必ずあるが、ほんとうのインド料理にはないものらしい。チキン・ティッカというタンドーリチキン的なものが、クリーミーなトマトベースのカレーに投入されているという、インド料理通が笑うたぐいのメニューだがわたしは好きだ。
オットの両親は、イギリス植民地時代のインド生まれで、オットはおふくろの味がカリー、という家に育ったのだが、なぜか帰省のたびに、「イギリスに来たからにはチキン・ティッカ・マサラを食べなくては」と必ず一度は“イギリス風インド料理屋”に足を運んでいた。わたしの知るかぎり、義母がチキン・ティッカ・マサラを作ったことはない。オットは自分でいくらでも「ほんとの」カリーが作れるし、じつは甘めのカリーがきらいなのに、じぶんでもちょっとよく意味がわからないと言っている。わたしが、おいしい渋皮色のモンブランを目の前に、ときどき真っ黄色のモンブランを選ばずにはいられないという気持ちと同じだろうか。
しかし家でオットが作るチキン・ティッカ・マサラはほんとうにおいしい。びっくりするくらい大量に作ってあったので、明日も食べられるし、小分けにして冷凍しておけばしばらくの食卓は安泰である。
こちらでは昨日からとつぜん気温が下がって、最高気温4度くらい。吐く息が白い。これはもう、冬である。木々もほとんど葉を落として、わずかにのこった赤やピンクの実だけがちらちらと色を差している。先週大々的に洪水をおこしていた近所の川は今日は引いて、暗くなりかけたころ川沿いを歩いたら、遊歩道が薄く乾いた川泥で白く浮かび上がっていた。白って闇のなかでよく見えるんだなあ、ヘンゼルとグレーテルは賢かったな、と言いながら歩いて帰る。橋の上から川を眺めると、目に入る風景の全ての色が灰茶色の同じトーンで構成されており、まるで絵画の技法みたいだ。おまけに霧がかかっているので、水、空、木々の輪郭もとけだして曖昧。肉眼でほんものの自然を見ていて、こんなにひとつの色調しかみえないなんて、自分の認知がおかしいような気がする。別の動物の目を借りてみたら、こんなふうに見えるのかな。犬って赤が認識できないんじゃなかったっけ。ほかの人にもこれは同じように見えているのだろうか、と思って隣のオットに聞いてみると、オットはそれ以前に「色調が同じ」という概念がよくわかっていなかった。でも「すべてがぼやけて夢のようにうつくしい」という気持ちはわかるのだった。
自分の目でみているものさえこんなに心許ないなら、遠い日本がやや見づらく感じられるのも当然か、と最初にもどって納得しかけたが、まてよ、その「遠い」って感覚、わたしどうやって認識しているんだろう。
日本とイギリスが9000キロくらい離れているということは、事実として知ってはいる。でも、これまでだって、関西在住のカリーナさんとはいつもメールでやりとりしていて、なかなか会えないということに関しては、東京にいたってイギリスにいたって違いがない。カリーナさんもツマミさんもミカスさんも、毎月メールを送りあったり、「That’s Dance」を聞いたりして、「近さ」でいえば、はこちらに来てから知り合った人々よりもよほど「身近」だ。
いま真夜中にこれを書いている、この部屋にいるわたしと、その外側にある世界との距離は、わたしがここにいるかぎり、わたしの頭の中にしかない。
実際に体を移動させて、その遠さを日々実感しているわけでもないのに、頭も体も「遠いなあ」というふうに感じるとしたら、それって知識がもたらすものだけなのかしら。それとも、その遥かさを、磁力か何かによってキャッチする能力が、人間にも備わっているんだろうか。たとえば渡り鳥みたいにだ。
そもそも「遠いなあ」って自分が感じているのかどうかも疑問だ!それなのにだんだん薄れていくってなんなんだ、「だいじさ」とは比例しないもののようである。こわい!
せめて、「仕事を始め忙しい毎日を送っているうちに、いつしか日本での日々も遠くなり…」とかいうふうであってほしい。だったら納得できるのに。原因と結果に法則性がほしいが、人生は砂時計のごとくである。こういう狭間の気持ちも、きっと後になったら忘れてしまう。
Byはらぷ
【コメントへのお返事コーナー】
◆凛さま
うれしいコメントありがとうございます!こちらではほんとうにボランティアが盛んなようで、図書館にも、再就職支援、IT教室、障がいのある子どもたちへのワークショップなど、たくさんのボランティアが出入りしています。まずはボランティアから…と足を踏み入れることができるのっていいですよね。こちらにきて、もっといろんなことに挑戦したっていいのに、なぜか同じフィールドに引き寄せられるというのは、気が小さいからかもしれない…(笑)でも、知らない町に行って地図に図書館を見つけると、つい見に行ってしまうし、やっぱり興味があるんだろうなあ。そしてこちらに来て思うのは、違う言葉で暮らしていても、性格が変わったりしないもんだなということです!(あたりまえか!)
◆Janeさま
こんにちは!そうそう、クラフト教室といえば、ときどき参加している難民支援の集まりで、このあいだ折り紙教室をやりましたよ。会の人に日本人だとバレて(言い方笑)、「折り紙できるでしょ?今度のあつまりで子どもたちに教えて!」と言われ、えー!ツルしか折れないけど!と思いつつ引き受けました。当日は子どもたちだけでなく、大人も交えてわいわい、みんなのあまりの不器用さにドン引きしつつ楽しかったです。
読書会もいいですねえ、子どもの本を読む読書会とかあったら参加してみたいな。
国籍ですが、こちらではだいたい、どちらからきたの?と聞いてくれることが多いです。一度だけ、図書館で男の人に手を合わせた祈りのポーズで挨拶されたことがあって、「よくインスタとかであるやつ…!」と思って笑ってしまいました。ヨークは中国の人がけっこう多いので、だいたい最初は中国人と思われていることが多いけれど、中国の人からは日本人だなってわかるみたい(笑)なんとなくアジア人同士親近感があって、図書館でもスーパーでも、目が合うとにっこりしたりします。しかし日本語の本見て中国語がわかるって、読めてないやんけ(笑)
◆プリ子さん
こんにちは!わー、嬉しすぎる感想ありがとうございます…。ほんとに、小学生の自分に、あんた四十代後半にイギリス住んでんよ、と言ったら仰天するだろな…。
プリ子さんがイギリスの図書館で働いている姿ってなんだか想像できます。イギリスの人はほんとうによく人を褒めるので、プリ子さんがいたらその服素敵ね、目が綺麗だわ、とかって褒められまくるだろなー。
しかしですね、わたしがボランティアしてる図書館の児童書(特に絵本)はたいへん貧弱で、いや、数はそこそこあるんですけど、ロングセラー絵本がほぼ壊滅的にありません!イギリスの作家のバーニンガムやアンソニー・ブラウン、オクセンバリーあたりはかろうじてありますが、アメリカの絵本は「かいじゅうたちのいるところ」くらい‥。キーツもバートンもマーシャ・ブラウンもゼロ!日本の児童書出版界のすごさと特異さを感じています…。他の町の図書館がどうなっているのか、引き続き調査したいと思います!
お知らせ
5月に参加させてもらった同人誌『推し本』、続編(?)、『牛し本』ができました!
約40名が、なにかしら『牛』にまつわる文章を寄せたアンソロジー、なにしろ依頼が「牛に関することならなんでも可」でしたので、生きた牛から牛脂まで、書き手のテーマも多岐に渡ります。
わたしも「牛乳」について、短い文章を書きました。
出版元のネコノスさんのサイトで試し読みもできます!もしよかったらぜひご覧ください。
『牛し本 異人と同人5』
編・著 浅生鴨 他
発行人 大津山承子
発行所 ネコノス合同会社
絹ごし豆腐
チキンティッカマサラが本国インドでは食されていないと聞き、驚いています。
というのは、こちらアメリカでも大変人気で、インド食品店ではティッカマサラ用の漬けソースの瓶詰めを売っているほどですので。
おそらくアメリカ人もイギリスに倣ったのでしょうね。
そしてティッカマサラ用の瓶詰めは、商才に長けたインド系アメリカ人の会社かもしれませんし。
とはいえ、海苔巻きのカリフォルニアロールと一緒で、インド広し、ひょっとしたらどこかの地方では今頃食されているかもしれませんね。