彼女の名はP

図書館でボランティアをしているうちに、ペニーという女の人と仲良くなって、さいきんはボランティア終わりにときどき一緒に帰ったりしている。
彼女は図書館の常連で、わたしがボランティアを始めた2日目くらいに出会っておしゃべりをした。たしか、近隣の小学校の訪問があった日で図書館はざわざわしており、ペニーは入口あたりに立っているわたしと目が合うと大げさにまゆをひそめて、「きょうびは学校で図書館でのふるまいをおしえないのかね、わたしなんかしっかり習ったけど。もっともわたしはいい学校に通ったもんね!」といきなり言ってにやっと笑った。
おお、図書館の常連っぽい発言だ!
グレーの髪はくしゃくしゃで、化粧っ気のない顔にメガネをかけている。グランピーな魔女みたいで、とっつきにくいんだか人懐っこいんだかわからない。
でも、それを皮切りに、ひとくさりいろいろ話した(人懐っこかった)。家は本で溢れているけど、本を捨てるような真似はできないこと(捨てた瞬間に後悔するに決まっている)、かつてのお祖父さんの家には大きな書斎があったこと(どんなにその家が欲しかったか)、あなたの名前はなんていうの?わたしはペニー(お金のペニーよ)。「めぐみです」と答えると、「めぐみ、めぐみ」とくりかえして、「唱えながら帰ろうっと」と言った。
そして外の天気に身震いをして、「おお、やだ!わたしは天気予報が外れても文句を言うし、当たっても文句を言うわ!」と言って帰っていった。
おもしろい人だな…それに、前の職場で大好きだったてんさいへんじんのTさんにちょっと似ている。Tさんの千倍くらいおしゃべりで皮肉屋だけど。
また会えたらいいなあ、しかしそんな期待をするまでもなく、ボランティアの日に図書館にいくと、そこには常にペニーがいた。2階の奥にあるパソコンで、何か作業をしているらしかった。
またそれだけでなく、道端で、じつにしばしばペニーと出くわす。たいていは、人と話しているか、誰かの犬をなでまわしている。目が合うと「おや!」と言ってちょっと立ち話をする、ということが数回続いた。
そしてついに、家のすぐ裏手の橋で、向こうからやってくるペニーと鉢合わせするにいたって、私たちがほんの50メートルの距離に住んでいることが判明したのだった。
わたしがすぐそこのF通りに住んでいることを告げると、ペニーは「ほらね、この辺りはいい人ばっかりが住んでるっていうわけ」と言ったのでわたしは嬉しくなった。彼女は、F通りがBテラスと交差するところの角に住んでいて、うちの前から、彼女の家の玄関が見えるくらい。
このことがあってから、ペニーはわたしにまたちょっと気を許して、わたしたちは「顔見知り」から「仲がいい隣人」になった。会うと、川の洪水情報や、近くでめずらしい花が咲いているところ、小さな抜け道など教えてくれる。ペニーによると、過去に川が盛大に洪水を起こしたさいも、私の住んでいる通りまではかろうじてこなかった。立ち話もだんだん長くなって(だいたいペニーが話す)、オットとも何度か会って親しくなった。
そしていつのまにか、わたしがボランティアを終える時間にさしかかると、ペニーがどこからともなく1階に現れて、一緒に歩いて帰るようになったのだった。これは何かに似ているな、と思ったら、野生動物が懐いた感じである。
家まで歩く約30分の道すがら、ペニーはありとあらゆることをじゃんじゃん話す。
わたしは、自分から話題を繰り出すことがあんまり得意でないために、ペニーの話をきょうみしんしんで聞いている。
彼女の話は、彼女の幼いころ、そして家族の歴史につながることが多く、それがめっぽうおもしろい。少女の頃、父親の思いつきでアイルランドに移住することになり、カトリックの寄宿舎学校に放り込まれて尼僧にきつくあたられたこと、母親との複雑な関係、きょうだいのこと。
彼女の9歳離れた弟は双子で、おなかの大きくなった母親が数日留守にしたあと連れて帰ってきた赤ん坊は、真っ黄色でしわくちゃで、醜い猿みたいだったらしい。母親はその姿に落胆したが、ペニーは喜んだ。だって、そんなみっともない赤ん坊なら誰も愛さない、だったらわたしがもらって、わたしが育てよう!そう思ったらしいのである。そしてほどなく母親のお腹がふたたび大きくなって、しばらく姿を消したので、またしわくちゃの赤ん坊が2人増えると思って楽しみにしていたら、はたしてひとりの巨大な赤ん坊が出現した。産婆によると、その赤ん坊はおなかの中でよく育って13ポンド(約5.8キロ)もあったらしい。しかし母親がいうには、13ポンドの赤ん坊なんていうのは農婦の産む赤ん坊であり、自分がそんなのを産むわけはないのであって、結局その赤ん坊は11ポンドとして届出された。
かつての強い階級意識、そして母親の性格がしのばれるエピソードの数々だ。
ペニーは、古い物の褪せた色合いが好きで、不思議な空の現象や、夏から秋に変わるとき、気温がさほど変わらないのになぜ季節がうつったとわかるのか、ということや、冬至を過ぎると、地獄のように寒いけれど確実に日が長くなることや、春の最初の花を見つけることが好きだ。そういうことを、皮肉80パーセントくらいの会話にまぜて寄越す。人嫌いかと思いきや、図書館スタフ全員の名前を覚えているし、人の話もおどろくほど記憶している。
彼女の話す、お猿の赤ん坊の話を聞いたとき、わたしは「ああ、この人は、誰も見向きもしないようなちんくしゃなものが好きなんだ」と思った。だからわたしに興味があるのかな!
みんなが忘れてしまったがらくたみたいなものたちを、大事にぜんぶ持って生きている。

クリスマスの数日前、彼女は小さなカードをうちのポストに差していった。
えーっと、わたしペニーに家の番号まで教えたっけか?
「やっぱりペニー魔女なのかも…」「うーん、玄関がすごく青いっていうことくらいは話した気がする」「…そういうところがますます魔女っぽいよ!」とオットと話した。カードの封筒の表には、「あなたの家のちっさいツリーに、ちっさいカードを送ります」と書いてあって、
「ペニー、うちの前まで来て、窓からツリーみて書き足したんだね…」と笑った。
ちょうどクッキーを焼いたところだったので、それを持って翌日オットと家を訪ねると、来るのはわかってたわという風情で、いっぱい厚着をしたペニーがドアを開けた。廊下には、古びた本や紙束がたくさんつまれてあった。
私たちが、クリスマスにお茶を飲みにこない?と誘うと、ほんとうに来てくれて、3人で長い午後のお茶をした。ディナーも誘ったらどうかと思ったけれど、彼女がそれを快いと思うかどうか、まだわからなかった。こんなにあけすけにいろんなことを話すのに、彼女にはどこか引っ込み思案なところと警戒心があって、それは他人に対する疑い深さというよりも、他者に立ち入ることへの畏れのように思われた。やっぱり野生動物っぽかった。

新年が明けてペニーに会うと、彼女はお茶のお礼を言ってくれて、「社交辞令を間に受けてクリスマスの日に人を訪ねるなんてダメよ、って妹には言われたけど、行ってよかった」と言った。わたしは嬉しいのと、やっぱりディナーにも誘えばよかったという後悔でいっぱいになって、「えー!もし来てくれなかったらすごくがっかりしたよ!」と強調した。するとちょっと嬉しそうになった。
昨日はボランティアが終わったあと、ペニーが図書館のパソコンで、スキャンしたご先祖の写真を見せてくれた。それから一緒に家まで歩くあいだに、わたしが「あ、そうだ、わたし週末に林でスノウドロップが咲いているのを見たんだよ」と言ったら、ピタッと止まって「どこ?」と短く聞いたので、ははは嫉妬している。
これはもう、ペニーは友だちということでもいいんじゃないかと思うのだけど、どうだろう。


By はらぷ
【コメントへのお返事コーナー】
◆絹ごし豆腐さま
先月の投稿のときに、お返事しそびれてしまい本当にごめんなさい!
そう、チキンティッカマサラ。チキンティッカも、マサラカリーもあるけれど、「チキンティッカマサラ」というカリーはないらしいのです。一説によると、よくわからずに「チキンティッカ」をオーダーしたイギリス人が「カレーじゃない」とがっかりしたので、それをカレーに変えて出したら喜ばれた、という逸話があると…(オット談)。ほんとかなあ?
アメリカでもチキンティッカマサラ人気なんですね。イギリスでも大人気で、すべてのスーパーがレトルトのチキンティッカマサラを売っているほどです。おいしいですよねえ。
ほんと、もしかしたらいまや本国インドに逆輸入されているかもしれませんよね。そういえば、こちらで知り合った香港出身の人が、日本のラーメンめちゃくちゃうまい、と言っていました。そうやって、人の移動で進化を遂げていく料理ってほんとうにおもしろいです。
Jane
あの人と私は友達なのか。それはあの人と私は付き合ってるとかいうよりも曖昧。私が友達と思っていても、あの人は思っていないかも。人によって友達と知り合いの境界線は違うから。
若い頃は、学校や会社の同級生とか同期とかは大体同い年で、プライベートで遊ぶようになったりすれば、「友達」だった。今の私は、最初に知り合った時の自分と相手の立場や年齢差(大抵私が下)がずっと意識にあり、相手から「私とあなたは友達だよ」って言葉に出してもらわないと、そこを突破できない。自分が友達だと思っていれば、相手がどう思っていても自分にとっては友達だ、と言えばそれはそうなんですけどね…。
その人といると、森でくすくす笑いながら並んで座っていた子供の二人のイメージが浮かんでくる人と、昨年知り合いました。しかも20代前半ですごく憧れていた人に似ていて。その頃のイギリスで大ヒットしていた曲(“All That She Wants”)、一緒に聞いたこともあった曲が、今日偶然流れてきたので、「この曲知ってる?」と聞きたいという欲求に勝てませんでしたが、「うーーん、聞いたことはあるけど、誰の歌かは知らない」という反応にちょっとがっかり。ほぼ同い年なんだけど、そんなに記憶に薄いのか。イギリスとアメリカじゃ流行ってた曲も違うのか(日本ではそれなりにあちらこちらから聞こえてきたけど)。
…なんて私がいろいろ思っていることを、相手はしるよしもない。
まあ大体、互いの相手に対する思い入れの深さは、一致しないものだ。きっとこれからも友達になることはないだろう。
彼女の名前はC。
Jane
相手から「私とあなたは友達だよ」って言葉に出してもらわないと、…とは書きましたが、オバフォーになってから実際言われた数例を考えると、そう言うってことは、世間的にも本人たち的にも友達とは定義しにくい関係だっていうことで。言われて「いいんですか」「そういうことにしましょうか」と思った人もいれば、「ゲッ無理」「リップサービスでしょ」と思った人もいましたね。
何の屈託もなくたくさんの人に「あなたは友達」って言える人もいるんだろうけど、私から言ったことは、もしかして一生に一回もないかも。冗談にですらも。「私達友達だよね?」と言われて「違う」と言えたこともないかも。