ああ、自意識。ナルシストと自己中のあいだ。
林真理子がそこにいた。
「ちょっとここを見てみてください」。白い革のソファーの右隣に座った彼女が足元を指さした。スカートの裾から見える膝がしらが大きい。そのことが大家が突然そこにいるという異常事態をいくぶんか中和する。
林さんの口調は穏やかだ。以前NHKの「ようこそ、先輩」で見た林さんの気さくな感じはやはり本当なんだなと思う。
それしても。どうしてこんな間近に林女史か。そもそもここはどこなのか。わけのわからぬまま言われたとおり右下を見た。
「うん。わかりました。あなたはこれからどんどんシワっぽくなるひとですね。ほらこの右あごの下のところ、ここにシワがたくさんよってますから」。
女史はそれだけ言って席を立った。手にはいびつにふくらんだロエベのバッグ。足元はどこの家にもありそうな紳士用の茶色いサンダル。 開いたサンダルの先から五本の指がしっかり出ていて、わたしは右あごを手で押さえた格好で、ああ林さん、もう少し浅目に履かれた方が……、と思ったところで目が覚めた。
林真理子さん、ごめんなさい。
わたしの夢はいつだって唐突だ。明日が数学の試験だと友人に言われて大いに狼狽する。寝室のベランダにノリエガ将軍がのぼってこようとしているのを必死で断る。中学時代さして交流があったとは思えない同級生と合宿を組んでいる。。。
この手のはなしを下手にひとにしてしまうと「夢判断によるとね…」と前のめりになってこられる方がおられるのでしゃべらない。
学生時代、友人とはなしていた。「わたしたちのこの屈折した自意識。このままいくとどうなると思う?」。お互いろくなことにはならないという予想はできた。 仕事をしたり結婚したり子どもが生まれたりして、関心の中心が自分から外へ向くようになったら、ちっとはマトモになれるんじゃないの?あの頃の楽観は半分は当たっていて半分は外れている。
「あいつはナルシストなんだよ。ぼくの周りではみんなそう言ってる」。今どきの子どもは「ナルシスト」なんていう生意気な言葉を使う。わたしの頃は「自己中」が全盛だった。 小6の息子の言う「ナルシスト」とは、「自惚れや」という程度の意味合いだ。わたしの時代の「自己中」も実はその程度のことだった。
その程度のことであれなんであれ、今しがた気づいてしまった「エゴ」の問題は、10代の子どもにとって人生を揺るがす最大級の問題であり、「ナルシスト」とか「自己中」というレッテルが最大級のダメージになっていることは今もむかしも変わらない。(イタリアではどうなんだろう。mityさんにうかがってみたいな)
5月から始まった朝日新聞の連載小説は、林真理子さんの「マイ・ストーリー」。自費出版の世界が舞台だ。林さんは連載開始にあたってこんなことをおっしゃっている。
「ぼくのこと、小説になりますよ」「私の人生すごく面白いんですよ」と人からいわれることが多くなった数年前から、これは一体何だろうと思ってきました。作家は書くことによって自分の思いを人に聞いてもらえるという快感があるのですが、多くの人が同様の思いでいることに気づきました。そして「自分のことを知ってほしいというのはどんな気持ちなのか」と考えるうちに、そういうことを小説に書いてみたいと思うようになり、取材もすすめてきました。回を追うごとに話が大きく動き出す予感がしています。
時代の欲求の底にある心理に矢を放つ。さすがの慧眼だなと思う。
今回のテーマは、「作家」と「非作家」の違いを浮き彫りにする宿命にもある。
そこを作家はどう書くか。
林さんは「際どさ」のプロだと思う。
週末、実家に帰省した。うちの父は退職後に「自分史講座」なるものに通っていて、母はそれを面白くは思っていない。
「林さん。さすがよねー。わたしがお父さんに言ってきたこと。やーっとお父さんもわかりかけたところなのよ。そこへ今の連載でしょ。まるでうちのための連載みたい♪」。
小説は今後、母と娘の関係へと展開していくらしい。 き、際どい。。。
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