ああ、本音。あのねとそのねのあいだ。
「あなたそれ、いのこじゃな~~~い! へ・の・こ~~~!」
はじまりはたぶんそんなことから。
たろうとわたし、模試が近づくと嵐がくる。日曜の模試まであとわずか。
シュジンが出張中の木曜日、嵐は来た。
親子にしろ夫婦にしろ、うちでの喧嘩の理由は決まってめちゃくちゃだ。あとから文字に起こしたとしても、それがちゃん理屈にかなったことなどはっきり言ってないに等しい。
「そうですか!おかあさんのことをオニババア、クソババアよばわりするんなら、もうあなたの塾の送迎も夕飯の準備も一切しません!クソババアの作ったものなんか、あなただって食べたくはないはずだものね!!」
小6の息子もこどもなら、48のわたしもじゅうぶんなこどもだと自分でも思う。
木曜。捻挫の添え木がとれた息子は、小雨の降る中を塾へと出かけ、真っ暗な道を駅から家へと帰って来た。わたしはその間、玄関も廊下も家中全部の電灯を消して自室にこもり、わずかなスタンドの明かりの下で憤怒していた。
帰宅後彼は台所へ行き、禁じられているガスの火を使うことなく、電子レンジを駆使して夕飯をこしらえ、それを食し、片づけをし、お風呂に入って自室のドアを閉めた。
翌朝も、自力で朝ごはんを作って登校。いつもどおり帰宅。前日のように塾へ。
ことがあまりに淡々と進むので抜いた刀のおさめ方に頭を抱える。まったくもう!なんの制裁にもなりゃしない!!
息子の受験は暗礁に乗り上げている。わたしはもうやめたほうがいいと言い、シュジンはやめるべきではないと言う。
そもそも受験を考えた理由は、息子の環境を変えるためだった。息子は山口で生まれて山口に育てられあと数日後に12歳になる。
若い頃から自ら転地を繰り返してきたシュジンは、「たろうもここで、ひとつ環境を変えるべきだ」と言う。
迷っているのは結局わたしなのだ。暗礁に乗り上げているのも、息子自身というよりわたしの方だ。
このままここへ置いておくのか。それとも外へ手離して離れた場所から息子の自立を見守るのか。
シュジンの仕事は当分ここにある。息子を外へ出すということは、わたしたち3人という家族のかたちが今までとは別のかたちをとるということだ。
年少の息子の進学先へわたしがついていくのか。あるいは彼を一人で外へ出すのか。わたしにとって悩ましいのは実はそこなのだ。
似たもの同士のわたしと息子が、二人きりで「思春期」の大海原を渡ろうとすれば、そこにはとんでもない難航路が予想される。
もとより外の学校を望んだところで、学校がそれを受け入れてくれない可能性はある。いや、この可能性だけはあり過ぎる。
まずは学校が門戸を開けてくれるかどうかによる。
しかし、万一運よく門を開けてくれたとき、たろうは、シュジンは、わたしは……。
金曜、息子は塾から帰り、またしても電子レンジを駆使するのを階下に聞いた。
わたしは古い友人に電話をかけた。友人は受験ママの先輩でもある。
「あのねー。率直に言うとねーーー。
たろうの自立のためにあなたが我慢して離れるとか、そんなきれいごとを言ってんじゃないわよ!とわたしは言いたい。
12の子どもに自分でそこを判断させるのは、実のところはまだまだ無理がある。
要は、あなたがどうしたいか。あなたの本音がどうなのか。
近い将来衝突が激化するのを敬遠して離れておくなんて言うのは、離婚のときに指の骨を折ったわたしに言わせれば笑止千万。そんな計算高いことなんかより、あなたが今たろうを手放してそれでこの先本当に後悔せずに過ごせるのか。そこんとこ自分の胸に手をおいて、じっくり正直に考えるべきね。
あなたが病気で体が動かないとか、この冬で死んじゃったとかいうならはなしは別。そりゃあ確かに世の中には、寄宿舎のある学校へ子どもを送り出す親御さんだっている。
でも、どちらの選択をとるかはあなたの肌身の実感が決めることだとわたしは思う。
あなたは現にそこにいて、毎日毎日たろうとくんずほぐれつやってるわけでしょう?それだけくっついている親子が、将来のために学業最優先とか、思春期の衝突回避とか、そんなおためごかしで離れて生活して、将来長きにわたって禍根を残さずに過ごせるなんてわたしは思わない」
「子どもは出ていくときは自分で出て行く。でも、12で出すか?出せるのか?そこがあなたの問題でしょ?
ぶつかるときはぶつかればいい。取っ組み合いでもなんでもすればいい。それをしない方があなたたちには不幸だとわたしは思うわね。
そのねー、ダンナの主張は確かに理にかなってる。でも、母親の子育ては理屈じゃないってこと、あなたも今までで学んでいるんでしょう?
世の中で理屈は確かに大事だけど、理屈を越えた本音も大事だって、あなた前に言ったよね?
だったら、ダンナと膝づめ談判だね。あなたがどうしたいのか。そこんとこをもっとダンナと話し合うべき!」
友人は一呼吸おいてこう言った。
「でもまあ、これはあくまでわたしの意見。
ただ、勢いついでに言わせてもらえば、『あなたのことを思ってあのときわたしはあなたと離れた』なんて、わたしがたろうだったら絶対に言われたくはないわね。
そんなよくある恋愛小説みたいなの。きれいごと過ぎて却っていやらしい。
あ、また言い過ぎた。あはは。
どっちにしても、たろうが試験を受けるって言ってんだったら受けさせればいい。
その上で、ぜ~んぶひっくるめてあなた方家族が何を選択するかはあなた方家族の問題。
何度も言うけど、くれぐれもこれ、結婚がうまくいかなかったわたしの、あくまで個人的な意見!」
「それよりさ~、あなたが自分で楽しいと思えることを考えるべきなんじゃないの?
たろうが自分で塾に行ったとか、自分で夕飯作ったとか、それってあなたの望んでいたことなんじゃないの?
たろうがあなたなしでできたことに対して、あなたが腹が立つとか悔しいとか、制裁にならない?なにそれ?
そんなやさぐれたこと言ってんじゃないわよ!いいトシして。
あ、ごめん。電源が限界。んじゃあね!またね~~~!」
電話を切ったところで息子が部屋に入って来た。
「あのさー、昨日から24時間以上おかあさんとはなしてないから、そろそろなんかはなしでもしようかな?と思ってさ」。
金曜の夜。わたしは息子からチョコレートをひとつ受け取った。
テレジア
不思議なことに、どうも息子と母親の関係において、尾や離れという問題が横たわるような気がします。
私は娘二人なので、考えたこともないのですけど、息子を持つ同級生を見ているとそう感じます。
そして、それは 夫と母の間にも存在するような気がするのです。
弟と母の間にもあった。
下の娘が6年生の3月。娘の同級生のお母さんから「時間割」を教えて欲しいと連絡がありました。
来月には中学に進学する男の子が 連絡帳に時間割を書いていないから ということでした。
手がかかるのか、手をかけたいのか よくわかりません。よくわからないけど、どうもうまく離発着が
できないみたいですね。
同級生には、全寮制の学校へ中学から入学させた人もいます。
それがよかったのか、悪かったのか、彼女たちの言い分を聴いたことはありません。
ただ、本当に必要な道を親も子どもも選び取っていくものだ と そう感じています。
肩に力を入れて、受験だとか模試だとか、そうやっているうちは、本当の本質的なものは
決して顔を出してくれないような気がします。
主体性がないかもしれませんけれど、こちらが力みすぎていると、違う結果が出てくるような
気がします。これは感覚的なものですけど。
時には、深呼吸されてゆったりとされることも必要かもしれませんね。
コモ
こんばんは
帰宅途中の電車の中で、涙が出てしまった。
たろう君の素直さに、そして成人した息子達が同じ年頃だった時の自分の余裕の無さに。
頑張れ!子も母も!
サヴァラン Post author
テレジアさん
コメントをありがとうございます。
わたしの周囲のご家庭にも遠くの学校へ息子さんをお出しになったご家庭がありますが、
いよいよ直前になってお父さんが二の足を踏まれたとか
おじいちゃんおばあちゃんを含めて家庭争議になったとか
いろいろとまあたいへんなおはなしは聞こえてきます。
地方では、進学が親離れ&子離れと直結しているということに
わたしは気づくのが遅すぎました。
けれどもわたしはこうも思います。
「どこに住んでいようが
どんな進学方法を選択しようが
いろんな経緯を含めて出された個々の結果こそ、
それぞれのお宅にとっての最善の結論なのだ」と。
ですからうちにとっては
今現在のすったもんだもその結論に至るまでに必要なプロセスなのだと
考えるようにしています。
ものごとの進め方には器用なやりかたと不器用なやり方とがあるように思いますが
うちの場合は「不器用ルート」の旗印を掲げてやっていくより手だてがありません^^
「ゆったりと深呼吸をして肩の力を抜いて」
ほんとうにおっしゃるとおりです。
ありがとうございます。
サヴァラン Post author
コモさま
コメントをどうもありがとうございます。
ほんとうに余裕がないなあと自分でも思います(笑)
電車の中の
どなたのお宅にも
過去にはいろいろな時間があって
これからもまたいろいろとかたちを変えて続くということを思うと
電車の運ぶ空気の密度がそれまでとは違うようにも感じます。
ときどき訪れる踏ん張りどころは
線路のつなぎ目ということなのかも知れません。
ガタンゴトンと
揺られながら足を踏ん張ってみたいと思います。
温かなエールをありがとうございます!!
アンジェラ
サヴァランさんが書かれるたろうくん記事、大好きです。
私、子供がいないので(夫という大きな子供はいます)、どんな話題のときも「いいなあ」と思いながら読んでいます。
親とぶつかって育つ子の方が、ぶつからないで育つ子より断然いいと思いますが、当事者はたまったもんじゃありませんよね。
私が尊敬する友人の家は男二人兄弟で、親とバトルの際には壁に穴があくのが日常だったそう。でも健全な距離を保ちつつ、二人ともとてもよく育っています。
たろうくん、サヴァランさんが嘆けば嘆くほど、とてもいい子に思えて(笑)
これからも楽しみにしていますね。
サヴァラン Post author
アンジェラさま
ふわ~~~~~。
あたたかなコメントをどうもありがとうざいます。
実は先ほどわが家の給湯器が故障しました。
ガス会社さんに明日の対応をお願いして一息ついているわたしに息子が申しました。
「おかあさん、明日は朝からたいへんだね」。
お湯が出ないことを言っているのだとばかり思っておりましたら
寝る前になって明日はお弁当なのだと申しました。初耳です。
ご友人のお子さま方のおはなし。
気持ちが常に亜脱臼をおこしそうなわたしにとって
とてもとても励みになります。
「健全な距離」。
それぞれのお宅がそれぞれの方法で時間をかけて見つけていかれるのでしょうね。
息子のこと、過分におほめいただきありがとうございます。
「でも、なんか悔しいかもぉ。。」
またしても大人気ないことをこぼすと
電話の友人にまたまたこっぴどく叱られるはずですが、
「おばかな親子のすったもんだを
温かい目でご覧いただいて、本当にありがとうございます」。
こちらが本当の本音です。