〈 晴れ 時々やさぐれ日記 〉ああ、お月さま。満ちることと欠けることのあいだ。
――— 46歳主婦 サヴァランがつづる 晴れ ときどき やさぐれ日記 ―――
無事にご出発されましたね。真っ白なスーツで。ああ、よかった。
同世代の方、というのはどうしても、良きにつけ悪しきにつけ関心が向かいます。「あまちゃん」のキョンキョン、いい!君島十和子さん、メイワクです!
実家の母は、君島さんのトークショーをたまたま遠くから見たそうで、以来電話のたびに言うワケです。「あーた、同い年でしょ。同い年なのに…あーたもうちょっとなんとかならないの??」
なんとかって、それ。なんともなりませんよ。同い年だからって、そんな。もともと最初っから月とすっぽんだったんだから。経年変化でお盆と亀くらいに近づくかって、そんなことはないですって。月はより高く。すっぽんはより深く。ずぶずぶずぶ。。。
ところでわが家の主人。ときどき脇が甘くなります。先日テレビを見ながらつぶやきました。 「何が…不満かな?立場と暮らしがあれだけ保証されていて」
ああ、わが家の無粋くん。地雷を、踏みましたね。あなたは月のはなしをしたつもりかも知れませんが、すっぽんは聞いているんですよ。「月を指せば、指をみとむ」って、むかしっから言うでしょ。月のはなしだよって弁解しても、すっぽんは月よりもその指に、喰いつきますよー。
そもそもね、満たされない、ままならない、という意味では誰もが同じなんだと思うんですよ。月も、お盆も。亀も、すっぽんも。池の近くの手水の鉢に「知足」の文字を指さされたとしてもね。
全きさま、でありたいのよ。月は月として。すっぽんはすっぽんとして。
あの方の場合はね、それはたいへんだと思うわ。ままならないことを受け容れることが。目に見えない重圧も、並大抵のことではないはずだから。
ご成婚のとき、クリームイエローのワンピースをお召しになって、おっしゃったっけ。「殿下に幸せになっていただけるよう、また私自身、いい人生だったと振り返られるようにしたいと思います」
なんて率直な方、なんて近代的な方なんだろうと本当に驚いたわ。それと同時になぜか、あの明治の文豪が作品の中で、「先生」に言わせている場面を思い起こしたわ。
「自由と独立と己とにみちた現代に生まれた我々は、その犠牲としてみんな この寂しみを味わわなくてはならない」
ああこの方もまた、わたしたちと同じ道を、行かれるのね。
あのご家族のお立場は、「象徴」なんていうしかつめらしい言葉で位置づけられているようだけど、たしかに「象徴的」だな、とわたしは思う。
あの方のお悩みのあるところまでは、ぼんやりとだけどわかる気がする。いっしょに悩んでいる。いっしょに苦しんでいる。すっぽんは身の程知らずに思っている。
共に悩んでいる。そう思うことは、それはそれでひとつの 熱をもった光だという気もする。
月に満ち欠けがあるように。月が他からの光を受けて静かに光を取り戻すように。そしてまた誰かを 照らすこともできるように。あの方もわたしたちも、ゆっくりとゆっくりと時を刻んでいかれればと思う。
同世代として。静かに。穏やかに。ゆっくりと。。。
◇◇◇
ちょっと、あ~た!一か月分の新聞、紐でまとめてくださいよ。 も~やんなっちゃうなー、新学期から、もうひとつきなんて!
☆ 「晴れときどきやさぐれ日記」の他の記事はこちらへどうぞ → ★