〈 晴れ 時々やさぐれ日記 〉 ああ、パンツのたたみ方。正解と不正解のあいだ。
――— 46歳主婦 サヴァランがつづる 晴れ ときどき やさぐれ日記 ―――
わたしはパソコンの前でお洗濯ものをたたむ不届きな主婦ですが、先週の「ほぼ日」、糸井さんの「今日のダーリン」で、「ぼくらは正解病にかかっていないか?」というメッセージにドキッとしました。( たたんだパンツがぱらり )
ドキッとしたのはわたしだけではなかったようで、先日まで「ほぼ日」では、「正解病」のコーナーがありました。→こちら。
はなしが100年前に飛びます。「きみしにたまふことなかれ」「柔肌の熱き血潮にふれもせで」で有名な与謝野晶子さんと、「元始、女性は実に太陽であった」で有名な平塚らいてうさんの、いわゆる「母性保護論争」というものがここのところ妙に気になって、文字が大きくて「ながら族」でも読みやすい青空文庫を開きます。★とか★とか★
いやいやいや。← 「あまちゃん」の吉田副駅長風に。
らいてうさんという方は、本当は声の小さなはにかみやさんだったとお孫さんの手記で読んだことがありますが、100年前の閨秀の極みとういべき彼女たちの対立の激しさは、こういう限られた資料の上でさえ、わたしの想像をはるかに超えます。この論争の中で、晶子さんは、出産育児を国に頼らないことを主張され、 らいてうさんは、出産育児を国の保護のもとに行うことを主張されます。
晶子さんはまた、人としての自立、経済的な自立、それが成り立ってから子供をもつべきだとおっしゃいます。
ご説ごもっとも。わたしもうんと若い頃は晶子さんのような考えもなかったわけではありません。でも、若くなくなった今、思います。「正解」だけを、人生や家庭に取り込もうとすることは危険だな と。
晶子さんとらいてうさんの時代から100年、今「少子化」が大きな社会問題として取り上げられています。その第一の原因は「経済的不安感」によるというのが専らなようですが、わたしはここだけのはなし、はてな、と思います。 ほんとはあれもこれもこれもあれもある「原因」を、「経済」という一見わかりやすい表現で集約しすぎていないかな。
はなしが脈絡なくとびますが、先日小学生の息子が申しました。「おばあちゃんや、ばあばは、どうして車の免許を持ってないの?」
「いやいやいや、おばあちゃんとばあばが免許持ってたら、それはちょっとコワいことになるでしょ」というふざけた会話はさておき、「ママがきみくらいの小学生だったとき、周りのお母さんで車の運転をする方は、今よりうんと少なかったのよ。女のひとの選挙権だって、ばあばやおばあちゃんがきみくらいのとしのときに、はじめて認められたはずよ。」という話になりました。ん?免許から選挙権に飛ぶ?
いやいやいや。ともかく今、わたしたちがあたり前に見ている景色は、少し前までは当たり前ではなかった。ばあばの時代、ばあばのお母さんの時代、よくよく彼女たちの時代に目を凝らせば、「今」と「当時」の「正解」の違いも淡い手ごたえとしてよみがえります。
さまざまな「正解」が、さまざまな脈絡の中にある。。。らいてうさん、晶子さん、今までの女性たち、ありがとう。。。
先ごろ「3年抱っこし放題」の「三年間育児休業制度」や、「女性手帳」なる女性のライフプラン啓蒙の政策が打ちだれました。
賛否はいたるところでかまびすしいようです。わたしはなぜか、数年前に読んだ『 正しいパンツのたたみ方=新しい家庭科勉強法= 』という本のことを思い出しました。
著者は大阪の高校の男性教諭です。もともと英語の教師だったこの方が、ご自身の生活実感(主に育児での)と、教員として生徒たちを観察した実感の双方から必要性を強く感じて、「家庭科」の免許を取り直されたのだそうです。
この先生は本の中で、「家庭科は自分の暮らしを自分で整える力だけでなく、社会の中で他者ととともに生きていく力を育ててくれる教科だ」と説かれます。家庭科が男女共修になって、今、家庭科はこんなことになっているのかーとうれしくなりました。
またこの先生は、定型化されステレオタイプ化された家族イメージを生きることが、必ずしも「幸せ」につながるわけではない。男女がともに、トータルな意味での「生活力(自分の暮らしを自分で整える力)」を磨き、暮らしの感性を磨くことで、豊かな人生を築く土台をつくるのが家庭科だ、とも話されます。なんとすばらしい。
本のタイトルの「正しいパンツのたたみ方」ですが、先生がおっしゃるのはこうです。「正しいパンツのたたみ方はひとつではない」「ひとそれぞれのやり方を認め合うことが最も大切」。
少子化の原因は、ひとがそれぞれに自分と、それから子供の、人生の質を追求した結果だとわたしは思いますし、それはとても自然な歩みなのだと思います。その自然な流れの中で、共同体を維持するために大切なのは、「ひとそれぞれのやり方を認め合い、ともに生きていくこと」、そのための具体的な「生活力」を、男女を問わず身に着けることのような気がします。
人生に「正解」・「不正解」は必要か。女性手帳や3年間抱っこし放題のお膳立ての他に、これからのひとたちにまず必要なことは本当は何か。そんなこともちょっぴりだけ考えてみた先日の「母の日」でした。
さーさー、息子。自分のパンツは自分でたたんでみよー♪
こうまさん
この本、読んでみようと思います!
ご紹介に感謝します♪
サヴァラン Post author
こうまさま
コメントありがとうございます!!
うちは、3月に引っ越しをしたのですが
その作業中に遊びに来たむすこのお友だちが、「この本読みたい!」と言ってました。
翌日の卒業式でお会いしたそのお子さんのお母さんも
「むすこから聞いた。あの本、前から気になってた。今度読んでみるわ。
わたしはさー、ダンナと仕事と家事が原因で離婚しちゃったからさ~♪」とおっしゃってました。
男性の家庭科教諭の方が書かれた本です。
今の家庭科、こんなことになってるならわたしも受けてみたいです!!!