ぶっちゃっけ言っちゃうと、 若い肉体と欲望に戻ってセックスしたいですね。
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【カリーナ → あきら 2014.7.28】
ぶっちゃっけ言っちゃうと、
若い肉体と欲望に戻ってセックスしたいですね。
あきらさま
先日は、メールをありがとうございました!
すぐにお返事書きたかったのですが
なんか、バタバタしていて遅くなりました。
・・・あ。返事不要といわれていたのでした(笑)
すみません。ま、いいや。書いちゃおう。
まずは、「ワタシ好み」と言っていただけてホッとしましたー。よかった。
私の伝えたいことがズドンと直球で伝わっている快感。
もう、それだけでもいいんですけどね(笑
映画「17歳」見ていなくて
DVDは9月の発売とかで
もうすこし待たなければなりません(>_<)
たしか、イラストレーターの小関さんも面白いって言ってらしたなあ。
なので、オゾン監督の「まぼろし」など
旧作を数作レンタルしました。
まだ届いていませんが、楽しみです。
あきらさんがブログで紹介されている
オゾン監督の言葉が大変興味深いです。
「僕にとっては思春期は人間としての複雑な移行期だ。それは痛々しいものだし、僕は何ら郷愁を感じない。思春期を単に感情が揺れ動く時期としてだけ描くことから一歩踏み出し、思春期とホルモンの関係を掘り下げたかった。僕たちの体は強烈な生理学的変化を経験をしてゆくが、僕たち自身はそれを敏感に感じ取れていない。だから何かを感じるために身体をあえて傷つけたり、肉体的な限界を試したりする。」
それに続く、あきらさんの言葉もいいな。
女性という性であるということ、あるいは男性という性であることも同じなのかもしれません。こころとからだは確実に繋がっていて、確実に時間の経過とともに老化し、そのセクシュアリティー(性にかかわる欲望と観念の集合)がじぶんの上にどういうふうに有るのかということも変化してゆく。
生き物としての自然の、きもちいいセックスでこころもからだも満たされたというこだわりなのか、あるいはこれまでに満たされておくべきだったという残念なのかわかりませんが、オゾン監督が捉えてみようとした何かは、引き寄せてみれば、更年期のワタシが捉えたく思っている何かと通じていると感じたのでした。
わたし、いろいろ思いますが、ぶっちゃけ言っちゃうと、
若い肉体と欲望に戻ってセックスしたい
という渇望みたいなものがありますね。
しかし、それは「若い肉体」に戻れないということにおいて
最初から断念されているのです。
それが、中高年の切ないノスタルジーの核になっているとさえ思います。
・・・こういうことを書くと
まあ、ブログなんかでは、
「恋愛は年齢に関係ない」と言われてしまうこともあるんですが、
それは百も承知なんであって
老いた肉体どうし、または老いた肉体と若い肉体の行為の
喜びもあるでしょうし、
それを否定するつもりも、比較するつもりもまったくないのですが、
この
若い肉体と欲望に戻ってセックスしたい
のなかには、
老いによって失っていくものが
「肉体」の変化だけでなく
「ホルモン」の変化による「欲望」の変化と減退なのだ、
生命の衝動の喪失なのだ、
という意味も含まれているのです。
男性は、歴史的に「欲情する立場」に立ち、
自分を客観的に見つめなくてすんでいるところがあるので
「若い女性とセックスする」欲望が週刊誌などで
臆面もなく語られていたり、
実際にそうする人も多いかもしれないけれど、
女性の「性欲」が
それも閉経をはさんだこの「欲望」の問題が
じっくり静かに語られたことがあるのかしら。
もしかしたら、往復書簡的なスタイルで連載にしてみてもいいかも…。
なんてことを思います。
ジュリーの作品、ご覧になったんですね。
マキノさん作。
マキノさんかあーー。彼の作品は80~90年代に何本も見ているけど、
一度も面白いと思ったことがないんだよなあ。
よかったですか?
また感想を聞かせてください。
それにしてもジュリーの20代、30代、40代・・・と見ていくと
「美貌」の自然な限界が、40代であることを思い知ります。
少年から貴公子、退廃的な色気までを
わずか10数年でかけぬける。
いやあ、ホルモンの恐ろしさよ(そこ?)
また、メールしまーす!
【あきら → カリーナ 2014.7.31】
今も叶わないけど、
若いときにもワタシは叶いませんでした。
そのことは何かと引き換えにしたのか、
そうでなくとも叶わなかったのか?
こんばんは。
うれしい返信をありがとうございました。うれしいうれしい♪
えーと、何作かは観ていますが、オゾン監督にくわしいとかじゃないんです。
カリーナさんが渇望という言葉を使っていらっしゃることを思いました。
渇望なぁ。。。と。
若い肉体と欲望に戻ってセックスしたいはわかります。
叶わないことですね。無惨にも叶わない。
今も叶わないけど、若い時にもワタシは叶いませんでした。
そのことは何かと引き換えにしたのか、
そうでなくとも叶わなかったのか?
どーもね、自分の感情とかいろんなことがわからなくなっているんです。
そのわかんない感じもホルモンと関係しているのかもしれません。
おそらくここ数年、欲求が亢進していたんだと思うのです。
自分としてはすこぶるしんどい状況があって、
精神的によしよしされることと、非日常に逃避することを望んでいました。
同時にそこを解放するという逃げ道を、自分に与えることを思いました。
子育ても妊娠の不安ももうあがりだ、と。
自分のブログの「女の子」カテゴリーの 最初の記事 が2010年の秋になっています。
もう結構長くぼーんやり考えているんだなぁ。。。
欲情は好物でも、理知的になれる知識とかまったく無いのですが。
恋愛と欲求は同時にしか成立しないとは少しも思いませんが、かといって
切り離せるものでもないかと。
とすれば、もし映画を語るとすれば、表題として、恋愛とエロの両方を引き合いに
出した方がいいのかもなぁとか漠然と思っています。
( カリーナさんの「恋を探して生きる」若い時代の・・」の記事も
きもちに残る記事でした )
すぐにアタマに浮かぶ映画は「リトルチルドレン」や「ラスト・コーション」や
「ラストタンゴ・インパリ」や 「ことの終わり」や「恋の罪」や・・・
もっとさらっとしたものも好ましいように思います。今やっている新しいものとか。
転がしておいたからといって何か結論があるとか知識が蓄えられるとかでは
ないので、もしワタシでなにかできそうなら、仰ってやって下さい。
そして、あーんちょい違うなぁとか、ダメだなぁは遠慮なく仰っていただきたいです。
それと、ジュリーの舞台はワタシ的にはあんまり、でした。
まったく感想にはなっていませんが、覚えはこれです。
眠たいくせにだらだら書いてしまいました。おやすみなさい。
くれぐれも、すぐに返信しなきゃと思っていただかなくて、大丈夫です。
あきらさんのプロフィール
昭和37年生まれ。広島市在住。自営業。
ダンナとダンナのママンと3人暮らし。
大学生のムスコとムスメあり。
空の巣症候群に属し、更年期にも突入。
さみしさのあまりアクアリウム始めました。
あきらさんのブログ→「群青色ノート」
パプリカ
あきらさま
カリーナさま
真夜中に、こんばんはです。
土曜日9時の更新、楽しませていただいております。
カリーナさんの
『若い肉体と欲望に戻って…』
あきらさんの
『今も叶わないけど、若いときにも…』
なんか、英作文の
仮定法過去、仮定法過去完了例文を
お頼みしたいです。(笑)
『17歳』をDVDで観た時は
主人公のイザべラが衝撃でしたが、
日にちを追うごとに
イザべラのママが気になっています。
イザベラのママは6年前に再婚して、
社会的地位の高い仕事についていて、
再婚の夫も優しそうで、
美貌もなかなかで
経済的にも恵まれている環境。
二人の子供も順調に育っていて、
勝ち組まっしぐらにみえます。
そのうえ、友人の夫とも
恋愛中?
勝組みママの欲望は限りなしなのでしょうか?
ところが、イザベルはそんなママに対して、
どこか、冷笑的。なんでも手にしている母に対しての批判?
母と娘の決定的な壁を感じました。
確かにこんな美しく妖しい娘を持った母ならば、
たとえ娘でも気味が悪いですよね。
あきらさんの『17歳』の紹介で
色惚けになりつつあります。
困りましたですね。
『ラ・マン』『シビルの部屋』
Cランプリングの『愛の嵐』
懐かしいです。
オゾン監督の映画は
『8人の女たち』『エンジェル』観ました。
目下、『アデル、ブルーは熱い色』のDVD化を
待っているところです。
退化したはずの尻尾が
ひらり、ひらりと揺れています。
(*^_^*)
あきら Post author
パプリカさま
こんばんは。コメント、とっても有り難いです。ありがとうございます。
あー、イザベラのママ。ワタシはスルーしちゃっていましたが、たしかに欲張りですね。
恋愛のたのしみを知っている人ほど浮気しやすいという見方があるそうです。
浮気の定義もさることながら、知っていればこそ欲しがてしまうのはあるかも?
母という役割、主婦という役割、そんなことと恋愛や性は両立しにくい?
セクシーなお母さんとか、嫌だものな(笑)
パプリカさんの最後の2行に、グッとやられました。
ワタシも正直に素直におはなししたいと思います。
小関祥子
欧米圏の映画を見ていると、夫婦の根底に流れているのは「男と女」なのである! という意識が強烈に根付いていて、隠されていないんだなあと思います。
あれ、根付いているのかな? それとも、強制されているのかな? どっちなのか、正直に言えばよくわからなかったりもしますが。
「17歳」を見たときは、つくづくフランスって家庭の中の「性」をあんまり隠さないんだな~と驚きました。
そして、イザベルは、見た目が大人びていて美しいのでつい忘れがちですが、まだ17歳。
知らない世界を自分の体と感覚で試してみたに過ぎないのかもしれないなと思いました。
売春をした相手の死に動揺はするけれど、自分の心まで持っていかれたり、自我が崩れてしまったりはしない、その冷静さが、むしろまだ子供のように思えました。
あきら Post author
祥子さま
こんばんは。ありがとうございます。
キリスト教的な? セックスしなくちゃならない義務みたいなのとか
愛がなくちゃならない的なこととか、根付いてもいて、強制されてもおるのですかねー。
そのへん誰かに教えてほしいです。
イザベルは子供。そうか、こころを持っていかれてはいないかも。
もし自分がイザベラのように自分を試したとしたら、と想像するとこわいですもんね。
その強さが、若さや幼さなのですね。
映画の記事、うれしかったです。キム・ギドクの脚本制作とは知らなかったので。
フィリップ・シーモア・ホフマンはいちばんくらいに信用していた人だったので、
記事を読んで、ますますスクリーンでお別れをしなくちゃ、となりました。