第26回 若き日のカミングアウト☆そこにはロマンポルノがからむのだった、の巻
森田芳光監督といえば、1980年前後から30年強、文芸作品やアイドル映画、御大のリメイクを含めた時代劇、ミステリー、などなど多彩なジャンルの映画を撮った人ですが、あの『家族ゲーム』を撮る前に日活ロマンポルノを撮っていたことは意外と知られていないのではないでしょうか。
1980年代前半、短い期間ではありましたが、私は弱小芸能プロダクションで事務員をやっていました。
そもそもは芸能界などとは全く無縁の会社でアルバイトをしていたのですが、そこの社長がなぜかある日突然、止しゃあいいのに芸能プロダクションのオーナーに就任するという暴挙に出て(あぜんとしました)、末端構成員だった私がたぶん末端構成員だったゆえに新事業部(?)にスライドさせられたのです。
安直な人事から1ヶ月ほどが過ぎた頃、プロダクションに吉報がもたらされました。
所属タレントの1人、今でいうところのグラビアアイドル的存在だったOさんが、森田芳光監督が初めて撮る日活ロマンポルノの主役に抜擢されたのです。
当時、森田監督といえば、劇場デビュー作『の・ようなもの』大評判の記憶も覚めやらぬ、新進気鋭の若手映画監督。
2作目はアイドル映画で、3作目がこのロマンポルノでした。
考えてみると、当時は、根岸吉太郎、東陽一、藤田敏八、神代辰巳などなど、ロマンポルノと一般映画を自由に行き交う監督がたくさんいました。
ジャンルに縛られない、ボーダレスな時代だったのかもしれません。
映画業界全般の懐が深かったということもあるでしょうか。
「ロマンポルノ」というネーミングひとつとっても、AVとかR指定などのように無機質で限定された感じではなく、ぬくもりや余裕があって、あらぬ妄想や想像力の間口が広いようなイメージがあります。
昭和に対する郷愁ゆえに過大にこの言葉を美化しているのかもしれませんが、いいネーミングだと思いませんか、ロマンポルノって。
とにもかくにも映画はめでたく完成し、日活本社の試写室で完成披露試写会が開催されることになりました。
私もOさんのカバン持ちとして試写会場に同行しました。
試写会での森田監督はハイテンションでした。
まるで、ポルノ映画の監督という夢が叶ってうれしくてしょうがない近所のにいちゃん、みたいにはしゃいでいました。
開場時には自ら入口に出てきて、来場者に向かって高らかに「じゃんけん大会をしま~す!勝った人に映画のポスターを差し上げます!」と宣言し、率先してその「大会」を仕切っていました。(その後、映画を見て、この「じゃんけん大会」は映画のモチーフのパロディだと知りました)
一方、Oさんはちょっと緊張しているように見えました。
自己顕示欲も上昇志向も一般人とは明らかに違っていたとはいえ、ロマンポルノ初主演、しかも監督はあの森田芳光、というのは相当なプレッシャーだったのでしょう。
私はその日、Oさんから漏れ出ている覚悟や気合に圧倒されてもいました。
そして周りを見渡せば、舞台裏の誰もが皆、自分の持ち場で忙しそうに動き回っています。
なんだか自分だけ間違った場所に紛れ込んだような、もっといえば自分だけ価値のない人間のように思えました。
完成披露試写会が始まりました。
進行役がスクリーン前に登場してナンダカンダ話している、そのソデではOさんと監督が待機し、少し離れたところに私がいました。
そんな中、不意に監督が私の方を向き、「あなたはOさんの付き人さん?」と言いました。
Oさんにくっついてる、化粧っけもなく愛想もない小娘の存在が気になっていたのかもしれません。
私は大学時代に、上野駅で家出してきた中学生に間違われるという輝かしい経歴があったので、監督の目にもいたいけな未成年(!)ぐらいに映って奇異だったのかもしれません。
もしかしたら、Oさんの緊張をどうでもいいことで和らげようとしたのかもしれません。
私の脳裏にはそれらの憶測が一気に浮かびましたが、何か気の利いたことを返せるわけもなく、口をついて出たのは「いえ、事務所の事務員です」という一言だけでした。
森田監督は私の返答を聞くと「事務所の事務員」と復唱し、声を上げて笑いました。
まるでその笑い声が合図だったかのように2人は舞台に呼ばれ、その後私は、森田監督と言葉を交わすどころか、顔を合わすことはありませんでした。
後日、Oさんが「森田監督が『事務所の事務員さんによろしく』って」と言いました。
私は一瞬、あのときなぜ監督はあんなに笑ったのかOさんの意見を聞いてみたい気がしましたが、どんなコメントを聞いても落ち込みそうな気がして、「そうですか」とだけ言いました。
あれから長い時間が流れました。
昨年末のある午後、ラジオで誰かが「今日は森田芳光監督の命日です。もう三回忌なんですね」と言っているのを聴きました。
年が明け、このサイトのメンバーに、ひょんなことから自分が芸能プロダクションで働いていたことがある、とカミングアウト(?)しました。
そして同じ日に、引退したとばかり思っていたOさんが某週刊誌最新号でグラビアを飾っていることを知りました。
この流れは【帰って来たゾロメ女の逆襲】で書けという啓示でしょう・・たぶん・・きっと・・もしかしたら・・。
ご静読ありがとうございました。
by月亭つまみ
こんなブログもやってます♪→→「チチカカ湖でひと泳ぎ」
↑実は未読です。これを機に読んでみようと思っております。
あ き ら
こんばんは。ワタシが只の映画の観客として知る限りでは、森田監督はそのような時にはハイテンションで、甚だしく不器用で、空気が読めないところがあり、思いこんだら子供のような、そんな方だった気がしています。制作発表だというのに観客に総すかんを食うようなことを言いだしかねないとか、そういう。いえ、まったく詳しい知識があるわけではないのですけども。
つまみさんの記事を読ませていただいて、おはなしの中の森田監督はワタシの思いの中の監督像そのままという気がして、懐かしくなりました。あ、そうそう、この頃。その頃には見ることもなかったロマンポルノがどういうものか見てみたいなぁという気がしています。おばさんになるって、そのへん便利です。おほほ。
つまみ Post author
あ き ら さま、コメントありがとうございます。
そうですそうです。
あの日の森田監督、まさに「子供っぽさ」に集約されるような雰囲気でした。
私に対しても、駄菓子屋で「ん?いつもの店に違う駄菓子が紛れ込んでるぞ。気になる」みたいな感じでつい声をかけたような印象でした。
ですから、後日、Oさんが「よろしくって」と言ったとき、意外でした。
すぐ忘れると思ったもので。
Oさんの創作じゃないかと邪推したり。
Oさんに創作する理由があったか否かはさておき。
ロマンポルノ、私は数本しか見ていませんが、記憶をたぐりよせて、今最も申し述べたいのが「当時は全体的に胸が小さめだった!」です。
もちろん、中には大きな人もいましたが、スレンダーな体型なら間違いなく胸もスレンダーで、最近のように、身体は細いのに巨乳、などという掟破りはあまり見かけなかったと思います。
下世話過ぎるロマンポルノ雑感でスミマセン!