第34回 「熟成体質」というカッコつけたカミングアウトと、力強い小説達の抽象的な感想、の巻
私は高校を卒業して東京に出て来ましたが、当時、都内にはたくさんの名画座がありました。
中学生の頃から映画好きを自認し、東北の片田舎で映画に飢えた十代を過ごした私は、名画座に感激し、これまたその存在にいたく感激したシティロードやぴあという情報誌を片手に、学校や仕事(ほぼ勤労学生でした)の合間、今日は三茶、明日は飯田橋、来週は銀座か早稲田・・と名画座めぐりをしたものでした。
ところが、そのうちハタと気づいたのでした。
自分は名画座に向いてないかも、と。
名画座は安い上に、たいてい3本立て。
当初はそれがすごくありがたくて、貧乏学生にはそれこそが魅力だったのですが、どうも思ったほど満喫できない。
そしてある日、すとんと腑に落ちました。
自分は、映画(や音楽や小説)が終わった後、しばし余韻に浸ってしまう方で、もっと言えばその時間が大好きなのだと。
だから、ひとつの映画が終わってまだ余韻をやっているうちに、「はい、次!」とトコロテンのように気持ちを押し出されて次の映画を見ても楽しくないのだと。
映画やコンサートが終わるとソッコーで感想を言える人がいますが、私はダメです。
「絶賛!余韻中!!」の間は感想など出て来ません。
きっと熟成体質なのでしょう(カッコつけて言ってみました)。
それを自覚して以来、シリーズ一挙上映などの特別なプログラムではない限り、名画座でも映画は1本だけを観るようになりました。
周囲には「もったいない」と言われましたが、せっかくこれぞという映画を見ても、その後に見たもののせいで印象が薄まったり、ブレンドされたりして、結局その日見た映画全体がうすらぼんやりした印象になってしまうことの方がもったいないと思ったのです。
そして長い年月が過ぎ、気がつくと名画座は激減していました。
名画座が体質に合わないことと、名画座がなくなることの淋しさは別ですが、正直、ここ数年は名画座に思いを馳せる・・どころか、映画館で映画を見ることさえほとんどない日々を暮らしています。
久しぶりに名画座のことを思い出したのは、最近『スタッキング可能』『冬虫夏草』『想像ラジオ』という、昨年発売になってそれぞれかなり話題になった小説を間髪入れずに立て続けに読んでしまったからです。
名画座のときと同じ理由でちょっと後悔しています。
3つの小説は、全体がうすらぼんやりした印象で終わるにはあまりにももったいない、どれも力のある物語でした。
なので今回は、この場を借りて感想を記すことで、それぞれの小説の間にぐりぐりと句読点を打つことにしました。
「余韻を断ち切るのではなく句読点を打つ」。 (またカッコつけてみました)
昔もこういう認識が持てたら、もしかしたらもっと名画座を堪能することができたのかもしれない、と思ったりして。
『スタッキング可能』(松田青子/著)は今年のtwitter文学賞国内編1位の小説です。
私は『問いのない答え』を1位に予想したのですが、外れました。
この、ちょっと人を食ったようなペンネームの作者の小説は、斬新でセンスが随所に漏れ出ていて、twitter文学賞受賞作に共通する「小説世界の新しい息吹」を感じさせます。
作者は才能豊かで、感覚や言葉のセンスが鋭いなあと強く感じましたが、それが前面に出過ぎていてちょっとだけ辟易しました。
「私の世界のシステムを理解できない、する気のない人はどうぞお引き取りください」と頻繁に耳元で言われているみたいで。
そう言われるとむしろ燃える(「萌える」でも可)人にはたまらんのだろうけれど。
この小説が好きな自分が好き、みたいな。
あ、悪口みたいになっちゃった。
言い訳がましいかもしれませんが、そういう小説も、そういう種類の「好き」も「あり」だと思います。
実は私、江國香織さんの小説にもちょびっとそれを感じたことがあります。
『ホテルカクタス』とか。
『冬虫夏草』(梨木香歩/著)は、あの『村田エフェンディ帯土録』『家守綺談』の続編というか姉妹編です。
森羅万象、生きとし生けるもの・・だけじゃなく、異界も、なんとなれば過去も未来も、全てが自分の今いる場所に存在していると思わせてくれる小説です。
あいまいであやふやで、でも確かな存在が、覆いかぶさるのではなく寄り添うように旅をする主人公と常に共に在る。
それは、少しもどかしいけれど心強くて、あたたかくて、生きるよすがになるような気がします。
読み手にとっても。
大好き。
そして『想像ラジオ』(いとうせいこう/著)。
東日本大震災を、逃げずに真っ向から描いた小説で、なにより作者の勇気に敬意を表したいと思いました。
とにかく全編、緊張感がもの凄い。
それは、現実に起こったあまりにも大きな出来事と対峙する作者の矜持というか、時にはまるでぎりぎりの均衡で睨み合っているかのようです。
この小説は、震災に感応した表現者が提示した、ひとつの想像力のテキストなのだと思います。
「完成された小説世界」というより、読んだ人間全てがそこに加減乗除すればいい、いわば素材。
完成度が低い小説という意味ではありません。
とにかく、これを提示した勇気に敬意を表したいです、しつこいけど。
余韻を反芻しつつ、抽象的な感想を書き連ねてみましたが、以上の3作品、私は「目の前の現実だけが全て」と遮眼帯を装着したような狭い気分になったときに読みたいです。
もしよろしかったらお試し下さい。
by月亭つまみ
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uematsu
僕も2本立て3本立てが苦手です。
名画座には今もよく行きますが、2本立てを1本ずつ見ます。
1本見たら帰ります。
で、上映期間中にもう1本見たければまた行きます。
そうしないと、ちゃんと見た気がしません。
そして、腰が持ちません(笑)。
ゴダールの映画のほうの『映画史』もかなりの自己紹介ですよ。
テレビで放送されたモノですが、日本ではDVD作品として発売され、
映画館でも上映されました。
通しで見ると5時間以上ありますが、これが面白い。
内容を事細かにチェックしてしまうと、まったくわからないということになりますが、
全体を貫くリズムがたまらない。
そして、ラストに向かえば向かうほど、
ゴダールの我が侭な立ち居振る舞いが、本当に気持ちいい(笑)。
ぜひ。
uematsu
あ、ゴダールは、カリーナさんの紹介記事にあった内容への返信になっちゃってます。
すびばせん。
つまみ Post author
uematsuさん、そうですそうです!
私も、3本立てのうちの2本を別々に見に行って、知り合いに驚かれたことがあります。
忘れてました。
そして腰!
古い映画館のイスは長く座ってられませんよね。
映画の後半は、重心を変えたり、足を組み直したり、ふんぞり返ったり、前のめりになったりして見たものです。
ゴダール、「勝手にしやがれ」と「気狂いピエロ」というメジャーどころしか見ていません。
無職なので「映画史」を見る時間はたっぷりあります。
見てみようかなあ。
ところで、ゴダールってご存命なのでしょうか。
調べればすぐにわかりますけど(^_^;)
アメちゃん
こんばんわ!
私も、昔はよく名画座に通っていました。
だいたい2本立てで500円とか700円で
500円の映画館なんて、ロビーにむき出しに映写機があって
もちろんパイプ椅子でした。
ルイ・マルの「さよなら子供たち」に大感動して
2本立てで「さよなら…」+「2本目の映画」+「さよなら…」
という荒技もしていました。
入れ替え制じゃなかったから出来たんですけど。。。
私も余韻派で、館内が明るくなるまで席は立たないのですが
2本立ては大丈夫ですね。
でも、最近は小さな名画座って無くなりましたよね。
私好みの小品の名画を上映してたんですけど、、。
寺山修司で、観客が私ともう一人という貸し切り状態も
名画座ならでは、、ですね。
つまみ Post author
アメちゃんさん、こんばんは。
そうですよねえ。
入れ替え制じゃなかった時代は、一日中映画館に滞在する、という荒技もありでしたよねえ。
昭和のミステリーに「映画館で一日時間をつぶしていた」みたいな描写がよくあったようななかったような(どっちだ!?)
寺山修司ではありませんが、私も総勢2名で映画を見たことがあります。
さっきからタイトルを思い出そうとしてるのですが・・出てきません。
ただ、かなり離れた席に座っていたもう1名のイビキの音が響いていたことはよく覚えています。
孤独だから寝ないでくれ~と思いました。
uematsu
ゴダールはご存命でございます。
3D映画を撮るとか撮っているとかいう噂がありました。
さすが、新しい技術を常に積極的に取り入れる方でございます。
つまみ Post author
uematsuさん、ゴダールはご存命ですか。
そうと知って、なんだか歴史上の人物が急に現世に舞い降りた感じです(おおげさ)。
ひゃあ~!3D!
あくなきチャレンジ精神ですねー。