ゾロメ日記㊼ ああ、なんだかんだの1972年劇場
★主な登場人&物★
義父・・・関東大震災の年生まれの93才。視力を失って1年強で、徐々に記憶も失いつつあることに、家族はもちろん、本人も焦燥感を覚えている。でも今日、嫁が「体調が悪かったけれど良くなってきた」と言うと、「それはよかった」と即答。ずっとそう言ってくれますように。
義母・・・大雑把王。血液型が私と同じだったことが最近判明。
竹ガム・・TBSラジオの「たまむすび」の月曜日の「竹山、ガム買ってきて!」の通称。このコーナーは、リスナーから寄せられた依頼に、月曜たまむすびチーム(主にディレクターや放送作家か)が答える「リスナーお助け調査企画」。
私・・・・新しい車を(夫が)買ったが、なかなか乗る機会がない結婚歴33年の主婦。目指すは一病息災。
◆5月某日 なんだ
アメトーークの「いつも一緒にいる芸人」を見る。バラエティだから当然だが、どのペアもどうかと思うほどの蜜月っぷり。バナナマンの日村とケンドーコバヤシもやたら親密な雰囲気で「ぼくたち、同い年で…」と言うので、思わず「いくつなの?」と調べたら1972年生まれだった。
1972年といえば、あさま山荘事件の年だ。
私はあのとき小学生で、連合赤軍とか政治的な思想のことはわからなかったけれど(今もわからない)、ブラウン管が、ふだんとは全く違うものを映し出していること、脚本もなければ結末も終了時間も決まっていないことが醸し出す緊張感に、放送している側はもちろん、日本中も、表向きは案じつつも興奮していること、はありありと感じていた。
そして、どんな非常事態の中にも日常が発生することを知った。私は、当初こそ画面に釘付けだったが、編集もトリミングもされていない、日によってはほとんど動きもしない画面に日常を感じ、飽きた。なので、どんな風に収束したのかよく覚えていない。
そうか。ヒムラとケンコバはあの年に生まれたのか。…なんだ、すごく年下なんだな。「なんだ」って「なんだ?」だが。
◆6月某日 「ご名答です!」を久々に聞いた
やたら待ち時間の長い義父の眼科通院、仕事では授業形式のフェスティバルの連続、で昨日今日はヘロヘロ。以前は、疲れると胃腸に出て、お腹がユルくなったり食欲が落ちたりしていたが、最近はそういうことはあまりなく、疲れても体重は右肩上がりだ。そのかわり、頭痛がする。
そんなわけで、口も聞きたくないほどくたびれて仕事から帰宅し、しばしのぼんやりタイムのお供に、ポッドキャストで5月30日の「竹ガム」を聴く。
今回のご依頼は、40代女性からの「80代の父親が所有している昔のオープンリール式のテープに何が録音されているか知りたい」というものだった。
いろいろあった末、この内容が明らかになったわけだが…良かった。気づいたら泣いていた。
疲れていたせいかもしれない。この日記に書いている現在も、まだちょっと身体がふんわりしているし。でも、ラジオというか、メディアの醍醐味を堪能した気がする。
義父母が年老いて、特に義父の記憶がどんどんあいまいになっているのを目の当たりにしていると、義父母の、そして今まで自分が看取った実父母や長兄の人生、をあらためて考えることが多くなった。
功成り名遂げた有名人の人生ではなく、世間的にはバリバリ無名人の人生が、なんだかとても愛おしい。このサイトのメンバーのメーリングリストに私は先日、「誰しも語るべき人生を生きているのだな」などといっぱしぶったことを書いたのだけれど、今回の竹ガムはまさにそれを証明してくれた。
ポッドキャストはたぶん6月5日までしか聴けない。できればたくさんの人に聴いて欲しいなあ。(※このYouTubeでは57分ぐらいのところから ⇒ ★ )
ちなみに、私を感動させたテープの中身は1972年に録音されたものだった。
■最近、読んだ本
『愛のようだ』 長嶋 有/著
ブルボン小林氏の文章はよく目にしている気がするが、長嶋有名義の小説はそんなに読んだことはない。 『問いのない答え』はとても印象的だったが、彼の小説は、ある意味、自分がまさに「問われる」感じがするので、お気楽には読めんぞ、と、今回も、新作が出ているのは知っていたけれど、なかなか手にとることができなかった。でもやっぱり読んだ。
なんだろうな、このガツンとくる感じは。登場シーンは少ないものの、琴美が好みのキャラなので、胸にグッときたところはあるが、漫画評中心に仕事をしているしょぼい中年ライターが、40代にして免許を取得したことをモチーフに、さして大事件もないけれど、ざわざわするエピソードを孕んだいくつかのドライブを綴る小説にこんなに心をわしづかみにされるのは、なぜだ!?
誰か教えて欲しい!86、107ページほか、いろいろ心にヒットする文章あり。ここに書こうかと思ったが、長くなるのでやめた。
キン肉マンの主題歌や奥田民生の「さすらい」などが小説内で印象的な使われ方をしているが、すぐに聴けるネット社会のありがたさよ。Youtube、サンキュー!
ちなみに、長嶋有さんは1972年生まれだ。…44才がひと回り下か(とあらためてやさぐれる)。
by月亭つまみ
まゆぽさんとの掛け合いブログです。→→「チチカカ湖でひと泳ぎ」
きょん
たまむすび 聞きました!
よかったですです。
バリバリ無名人もそれぞれの歴史を持ってるんですよね。
私の知らない両親の歴史、記憶に残っていない自分の歴史、そんなものが生まれては消え、生まれては消えていくんですよね。
そんな時の流れが、愛おしく感じました。
私が小学校一年生、兄が6年生のお正月の食卓を録音したテープ。あったんですよね〜うちにも!
再生しようとしたら、切れちゃって泣く泣くゴミ箱行き。
もう一度聞きたいなあ〜
つまみ Post author
きょんさん、こんにちは。
関係者でもないのに、つい、アツく語ってしまったたまむすびですが、聴いてくださった方がいてうれしいです。
そうなんです。
時の流れが愛おしく感じるって、頻繁にありそうで滅多にない気持ちです、自分にとって。
生きている人は年老いて、この世から去って行ったりもする時の流れは、淋しいことでもあるものの、自然の摂理だし、それがいいのだ、とちょっと思えて、なんだかせつなくなりました。
お正月の食卓の録音、それは聴きたいですよねー。
中学時代、友達とのなにげない会話を録音したテープのことを思い出しました。
三姉妹の長女だった善良なキャラの友人が「私がこの家を継ぐってことは、家も土地も全部私のモノってことだよね」などとブラックなことを言っていて可笑しかったです。
とっとと嫁に行きましたが。
カミュエラ
ラジオ聴きましたよ~~~
ひろしパパと娘さんのやり取り、あったかすぎて泣けますね。
うちの古い写真に、若くてイケメン(笑)の父が満面の笑みで、やっとお座りできるようになった私の背中を支えている写真があるのですが、それを見るたびほんわかしてしまうのです。
母親と一緒に写った写真よりも、父親との写真のほうに気持ちが動いてしまうのはなぜなんでしょうか?不思議です。
アメちゃん
つまみさん、おはようございます!
私の父は昔、8ミリフィルムを撮るのが好きだったんですけど
私が子どもの頃は、土曜日の夜なんかに
「8ミリ、見るか?」って、家族を集めて
ふすまの白いところに映像を映して上映会をしていました。
数年前に、もう映写機で見ることもないから・・と
CDに落とし込んだものを送ってくれたんですけど
(まさにこのラジオの経緯とおなじですね!)
10才上の兄が3才ぐらいで、私が生まれる前に死んだ祖母とともに
家族で近所のお寺にお花見に行っている映像が入っていて
なんとも素朴な庶民の暮らしぶりで、いいなぁって思いましたね〜。
母のほうは、2才ぐらいで産みの母を亡くしてるんですけど
大人になってから親族から、お母さんの若いころの写真があったよと渡されたそうで
以前、実家に帰ったときにこっそり見せてくれました。
日本髪を結った若いころの、私の祖母ですね〜。不思議な感覚でした。
ところで。きょんさんのテープ。
捨ててなかったら、切れただけなので再生できたかもですね。
お兄さんの実況テープ、わたしもちょっと聴いてみたい。
つまみ Post author
カミュエラさん、コメントありがとうございます。
私ももう一度聴いてみました。
ひろしパパの「覚えてない」ってホントに覚えていないのですかね。
照れて、覚えていないふりをしているのかも、と思ったりしました。
若くてイケメンのお父さんとの写真、いいなあ。
気持ちが動くのって、母親より実際には接する機会が少なかったから、とかでしょうか。
いや、きっとイケメンだからだ!(^O^)
つまみ Post author
アメちゃんさん、こんにちは!
ああ、家族での8ミリ上映会、家の煙突からシアワセの湯気が出ているのを感じる!(イメージ画像)
生まれる前に亡くなって実際には会うことが叶わなかったお祖母さんの映像を見ることができるなんて、いいなあ。
私も、3才ぐらいのときに亡くなった祖父が動く様子を見てみたいです。
昨年、お世話になった伯父が亡くなったのですが、亡くなる半年前に会って、そのときに友人が動画を撮ってくれました。
それが今、見られることがとてもありがたいです。
あ、また見ようっと!