ゾロメ日記 NO.62 極私的sweet&bitter home
◆1月某日 富士ファミリー
NHKドラマ『富士ファミリー2017』を見る。脚本家木皿泉ファンとしては、昨年に続き、お正月に木皿ドラマを見ることができてありがたい。あわよくば来年もお願いしたい。こうなると、お正月の定番だった向田邦子ドラマを思い出す。あれは何年続いたのだろう。
昨年の『富士ファミリー』はちょっととっちらかっていて、片桐はいりの「笑子バアチャン」の熱演がドラマのテンションを上げ過ぎていた気がしたが、今年は出演者全員が落ち着くところに落ち着いた感じで見やすかった。東出(デカ)プリ夫と萩原教授のくだりは個人的に微妙だったけれど。
木皿ドラマの家や家族には必ず不在のポジションがあって、その代わりみたいに、他人とモノがいる。モノはたいてい雑然としていて過剰だ。まるで人の不在でできた隙間をモノで埋めようとしているみたい。
大掃除や模様替えでモノを減らすと、スッキリして気持ちがいい。でも、ちょっと心がスカスカする。余白が増えることで、いない存在に気づくのかもしれない。子どもの頃の友達とか、とっくに死んでしまったお祖母ちゃんやペットとか、ふだんはもうあまり思い出しもしない存在を急になつかしんだりして。これって私だけだろうか。強引にひねり出して隙間を埋めようとしているのかな。
◆1月某日 おばんちゃ店
高校時代、私は祖母の家に居候していて、そこは商店と、隣にある女子高(当時)専用の下宿屋をやっていた…ということは、以前ここに(⇒★)書いた。この家は私が生まれた年に建てられたのだが、ついに住む人が途絶えたことを、今年の親戚からの年賀状で知った。
祖母は、建てられてから死ぬまでの30年弱、母親は、離婚して出戻った40代後半から約20年間、私は3年、住んだ家。血縁者より多くの「他人」が暮らした家。とっかえひっかえ、ティーンエイジャー(女性限定)を受け入れた家。
歴史がある家というのは、なにも、築年数がべらぼうに長かったり、凝った意匠の建造物だったり、由緒ある一族が暮らしたり、することだけじゃないと思う。ふつうに家族が長くつましく暮らすのもそうだし、祖母の家のように、ほぼ3年ごとに暮らす人間の顔ぶれが変わって、部屋、台所、お風呂などの使い方…クセのようなものもその都度変わり、それぞれが泣いたり笑ったり悩んだりしてきた、そういう積み重ねも、家の歴史になっていくように思う。
祖母や母親は、その歴史を一定期間束ね続け、数多くの下宿生(私も含む)を迎え、送り出し、最後は自らも出て行った。その後に住んだ伯父伯母も歴史を上乗せし、そして今、誰もいなくなった。家は役目を終えたのだ。
かつて、福島県喜多方市旧喜多方女子高隣の「おばんちゃ店」で暮らした人たちは、今どうしているだろう。全員が全員、元気でやっているわけではないのだろう。私だっていろいろあったし、今も刻々とある。下宿屋のことなど忘れてしまった人も多いだろう。
それでも、縁あってあの家に暮らした人は全員、あの家の歴史の一部だ。たとえ暮らしたことを忘れようとも、家がなくなろうとも、そのことはなんら揺るがない。あらためて、自分は、今まで生きてきて関わったすべての人やモノや場の歴史の一部なのだ、と思ったりしている。それはすごい数で、なんだかたいしたことのような気がしている。
♥最近読んだ本
『四人の交差点』 トンミ・キンヌネン 著
今年一冊目の本。フィンランド、トンミとくれば、「かもめ食堂」の日本かぶれの男子トンミ・ヒルトネン(豚身昼斗念)を思い出すのは私だけじゃない気がする…などということはさておき、これは百年に及ぶ、人と家の歴史物語だ。
北欧の、硬質でキンと冷えた世界観は、今まであまりなじみのなかった。
命がけで産み落とされ、人生に希望を持ち、絶望し、人を愛して憎んで、秘密を抱え、仕事に生きがいを持ち、家にこだわり、縛られたり抜け出そうともがいたりして、人は生きていくのだなあ。そのあれこれに独立した瞬間はなく、どれも連綿と続くものの一部で、そしてどの感情も、絡み合ったり、邪魔したり、何かが通じ合ったりする結果として表出されているのだ。なんだか、糸のほぐれなさが果てしなくて、途方に暮れる。
要塞のような家は人を縛るが、人を開放するきっかけも家かもしれない。パン焼き窯とか。
この本はフィンランドでベストセラーになったとのこと。こういう小説が「売れる」国って大人だー。
by月亭つまみ
まゆぽさんとの掛け合いブログです。→→「チチカカ湖でひと泳ぎ」
★毎月第三木曜日は、はらぷさんの「なんかすごい。」です。
爽子
つまみさん、こんにちは~。
「富士ファミリー」今回初めて見ました。
はいりさんの笑子ばあちゃん、腰を曲げるのに、さぞ骨が折れるだろうと心配になりました。
わたしも、気を付けてはいるものの、おとといあたりから、腰の後ろ側に不穏な痛みを抱えています。
笑子ばあちゃんの態勢になったら、ぎっくり確定。
我が家も、すっきり片付いてるエリアと、田舎の雑貨屋かと思う散らかり放題な場所があって、
散らかり放題なところって、片づけても、よそ見してる間に復元してる?(俺が犯人)んですよね。
毎年やってほしいなあ。富士ファミリー。
そして、同じキャストで出てもらうことによって、お互いの息災を喜び合いたい。
ぬるいファンですね。
つまみ Post author
爽子さん、こんばんは。
確かにばあちゃん役は腰にきますね。
はいりさんは特に、大柄なのでかなり身体を折りたたんでいるかも。
この前Eテレの「SWITCHインタビュー達人たち 」での武術の先生と対談を見て、彼女は身体の使い方を研究していると踏みました。
身体のことを考えているつもりでも、腰は、やるときはやっちゃうんですけどねー(^^;)
爽子さんもくれぐれもご自愛くださいまし。
富士ファミリー、年に一度ペースがちょうどいい気がします。
私もぬるく待ちます。
今回の終わり方だと、来年もありそうですね。