ゾロメ日記 NO.64 極私的1980年代&1990年代の仕事事情
◆2月某日 1980年代
20代の頃、自分が6年間働いていた会社で上司だったアサオカさんが亡くなったことを知る。
そこは初めて就いたまともな職種(?)の公益法人(今は「一般社団法人」)だった。私の仕事はいわゆる一般事務で、仕事の中には「お茶くみ」もあったが、私はわりとそれが好きだった。まだ、会社挙げての社員旅行がふつうにある時代で、毎年、大人数で日光や信州に行った。会社の隣が大きな出版社で、そこで出す週刊誌の記事によっては、右翼の街宣車が大音量で抗議に来て、仕事(主に電話)が全くできなかったりもした。
記憶をひもとくと案外いろいろなことが思い浮かぶが、もう30年前のことだし、ふだんはあまり思い出すことなどない。アサオカさんのことだってそうだ。一回りぐらい年上で大雑把で気安い彼のことは嫌いじゃなかったが、頭に浮かぶことはほとんどなかった。
でも、亡くなったと聞いてとても悲しい気持ちになった。そして、ひとつだけありありと思い出したことがある。
入社して3~4年経った頃、1985年ぐらいのことだ。実家の母から頻繁に愚痴の電話がかかってくるようになった。母は自分の母親と暮らしていたが、その祖母に認知症が始まったのだ。
ある日、電話をかけてきた母は、やけに毅然とした口調で「祖母ちゃんに『おまえなんて出て行け』と言われたからここを出ようと思う。東京で仕事はないだろうか」と言った。私は驚き、とりなそうとしたが、母は聞く耳を持たなかった。そして、なかば押し切られる感じで電話を切った。
翌日、隣の席のアサオカさんにざっくりとその話をした。「ったくもう、参っちゃいましたよ」ぐらいの感じだったと思う。ふんふんと聞いていたアサオカさんは、聞き終わると軽い口調で言った。「まだ50代だろ。仕事、あるんじゃねーの。住むとこがないんだったら、オレんちのアパート、安く貸してやるよ」。
アサオカさんの住所は東京の一等地だった。そういえば、彼の実家は手広くアパート経営をしている、という話だった。私が驚いて、「ひえ~!私が借りたい!」という、自分でもどうかと思う反応を示すと、アサオカさんは今度はマジメな口調で「お母さんが上京してきて住むところに困ったらホントに遠慮しなくていいよ」と言った。
その直後、母親は交通事故に遭い、上京どころの騒ぎではなくなった。私はしばらく実家に戻り、母親の入院先と祖母のいる家を往復した。母親が退院するやいなや、今度は祖母が転んで骨折し入院した。それは長期に及び、結局、退院することなく祖母は逝った。祖母が亡くなったとき、誰よりも大泣きしたのは母だった。
アサオカさんのあのときの言葉は本気で言ってくれたものだったと今でも確信している。彼は全くハンサム(!)じゃなかったし、ふだんの話を聞く限りでは愛妻家というより恐妻家だったが、妙に女性社員に人気があった。…いや、「妙に」じゃないな。あの会社の女性陣は見る目があったのだ。あの頃は気づかなかったが、今ならわかる。
アサオカさん、あのときはありがとう。向こうでも人との垣根を低くして楽しくやってね。
◆2月某日 1990年代
去年の11月下旬に入院して、先月の下旬から3回重体になった義父だが、その都度持ち直し、この日記を書いている時点では小康状態を保っている。なんたる生命力!そして、明らかにこれは入院病棟の看護師さんたちのケアの賜物だ。
義父は現在、個室にいるのだが、モニターの値がナースステイションで管理されていて、値が変化するとすみやかに病室に駆けつけてくれる。もちろん夜中でも。そして、体位を変えたり、痰をとってくれることで数値が劇的に変わるのを家族は何度も目の当たりにしている。今、義父には特に治療手段がないからこそ、こういうケアの重要性を思い知らされる毎日だ。
他にも、清拭、手湯や足湯、浮腫んだ足のマッサージ、ひげ剃り、口腔ケアなども頻繁におこなってくれる。そしてなにより、みんなとても優しい。患者にはもちろん家族にも。ありがたいことだ。
付き添っている家族は、基本ヒマなので、そういう看護師さんたちの対応を感嘆&感謝しながら眺めることになるが、私はつい1990年代の自分の仕事のことを思い出したりしている。
1993年から7年間、私は都立の看護学校の図書室で司書として働いていた。泣きながら実習先から戻ってきて図書室で調べ物をする学生や、感動的な卒業式や、卒業後に母校を訪れて図書室にも顔を出してくれた卒業生の姿などが浮かんでくるのだ。
今、プロ仕様で義父のケアをしてくれる看護師さんたちにも頼りない学生時代があったのだろう、そして、あのとき泣いていた学生も、今は婦長(師長?)ぐらいになっているのかもしれない、などと思うと、自分だけが長い時間、成長もせずにずっと同じところをぐるぐる回っているようで、三半規管が振り回され、足元がグラッと揺れる気さえする。
いけねえいけねえ。しょぼい日々でも、大事なのは現実を見て暮らすことだ。ぐるぐる回っても、目を開けて進行方向を見続ければ目は回らないっていうものね。…できるかな、今の自分に。
■最近読んだ本
『鳥肌が』 穂村弘/著
登場する「こわいもの」にいちいち説得力がある。最初はそれほどでもなく、「もう!ネガティブやナーバスを売りにし過ぎ!」ぐらいに思うのだが、読み進めていくうちにどれもものすごく腑に落ちる。そして、なんだかとても気がラクになる。こういう人でも生きているのだから自分だって、と。
by月亭つまみ
まゆぽさんとの掛け合いブログです。→→「チチカカ湖でひと泳ぎ」
★毎月第三木曜日は、はらぷさんの「なんかすごい。」です。
江ノ島カランコロン
ゾロメさんのコーナー いつも励みにしています。
お義父さまのお陰んがよろしくないようで
さぞかしご心配のことと心中お察しいたします。
介護は体力! 保育も体力! がモットーの私も
このところの周囲の入退院の多さに 走りにも出ておりません
走行距離 0キロメートルの日々が続いております。
そんななか この度 やっと返り咲いた?パートを辞職することに
決めました
またもや 一時中断です。
ですから、ゾロメさんの司書のお仕事 続けていること自体
とても素晴らしいことだと思います。
「同じところをぐるぐる回る」 素敵です。
私もそのうち また 「同じところ」
ちょっと違ってもいいかな そんなところに帰れるよう
今出来る事を やっていきます
つまみ Post author
江ノ島カランコロンさん、こんにちは。
うれしいお言葉、ありがとうございます。
そうですか。
返り咲いたパート、お辞めになったのですね。
私も来年度、どうなることやら、です。
家族の病気や介護などがあると、仕事は息抜きや気分転換になりますが、仕事時間を捻出するために、家での時間がますますタイトになり、それがストレスになったりもしますよねえ。難しいところです。
以前、マラソンにお出になったとおっしゃっていたかと思いますが、そのお時間もなかなかとれないモヤモヤ、お察しします。
自分では同じところのように思えても、決して同じではないのでしょうし、人の成長に感じ入る「感受性」みたいなものがあるうちはまだまだ大丈夫だと自分に言い聞かせています(^_^;)
江ノ島カランコロンさんも、体力をキープなさって、中断を充電に変換してください!
江ノ島カランコロン
ありがとうござます
優しいお言葉が身にしみて ちょっぴり泣いてしまいました。
つまみ Post author
江ノ島カランコロンさん
こ、こちらこそ、励みとおっしゃっていただいたことがすっごく励みになりました。
ありがとうございました!