【月刊★切実本屋】VOL.13 どっちも派!
読売新聞で毎日曜日に掲載されている書評ページ「本よみうり堂」の中に、月イチで「どっち派?」というコーナーがあります。知名度が高く、近いジャンル(orテイスト)の二者を俎上に載せ、双方のファンにアツい気持ちを語ってもらうという企画です。
語るのは読者。二者は前もって紙面で告知されます。今まで、吉川英治VS山本周五郎、川端康成VS三島由紀夫、須賀敦子VS向田邦子などがありました。そういえば、昭和VS平成、などという変化球も登場したっけ。
先月は、川上弘美VS小川洋子でした。この二人を思いついた担当者の「どう?いいとこ、突いてるでしょ?」と鼻の穴をふくらませている姿が見えるような人選です。
このご両人、確かに、作風は違うのに世界観の深層に近いものがある気がします。理知的で孤独で、静謐な哀しみに満ちていて、クールだけれど体温のある超俗小説、という感じ。
このサイトの「ベスト本」企画で、以前ミキティさんが選んだ(⇒★)『大きな鳥にさらわれないよう』(川上)と、ハラミさんセレクトの(⇒★)『最果てアーケード』 (小川)を最近立て続けに読んだのですが、どちらもすごく面白かった。
川上さんの方は、映画『猿の惑星』から俗っぽさとエグ味を削ぎ落とし、官能と乾いた絶望と高い知性を加えたみたいな印象。なんだ、この世界!?川上さんって、ホントに現在のこの世にいるのかな、などと思ってしまいました。
一方、小川さん。彼女の小説を読んでよく感じることですが、今回も村上春樹の世界と少し似ていると思いました。村上ワールドより透明感と柔らかさがあって、村上ワールドより狡くない(あ、失言か)感じ。そして、まさにクラフト・エヴィング商會の世界観だなあ、とも。
ヒロミもヨーコもかっこいい。わたしは「どっち派?」ではなく、これからも「どっちも派!」のスタンスで読んでいくと思います。
そして、超俗的な世界を堪能すると、バランスをとるように、通俗小説が読みたくなります。
「どっち派?」、通俗小説の括りで、山本幸久VS木皿泉を取り上げるっていうのはどうでしょう。これまた、わたしは「どっちも派!」なってしまいますが。
この二人のことをわたしはしょっちゅう語っているので、「また山本幸久?」「きざらいずみきざらいずみってしつこいな!」「通俗小説賛歌(⇒★)はもう聞き飽きたよっ」かもしれませんが、このGWに読んだ『ふたりみち』『さざなみのよる』にKOされてしまったもので、再び登場だろうが三たび参上だろうが四たび献上だろうが、やっぱり書かずにはおれん!と切実に(!)に思ったのでした。
山本幸久さんの『ふたりみち』のヒロイン野原ゆかりは67歳。元ムード歌謡の歌手で、現在は函館でスナックのママをやっていますが、訳あって歌手として暫定復帰し、全国4ヶ所の営業に出ることとなり、津軽海峡横断フェリーに乗ります。そのフェリーで森川縁(ゆかり)という、自分と同じ名前の12歳の少女と知り合い、ふたりは行動を共にすることになり、いろいろなことが起こる(ざっくり!)というロードノベルです。
序盤は、二人の“ゆかり”のキャラがちょっとステレオタイプのように思え、あれれ?大丈夫?と感じたりもしたのですが、この作者があれれ?な小説を書くわけはなかった!旅が進むにつれ、二人の、特に少女じゃない方のゆかりの魅力がどんどん明らかになっていき、当初のショボい初老オバサンゆかりとのギャップが功を奏す展開。
ああ、あえてのステレオタイプっぽい描写だったのか、やられたなと思いました。この感じは、あの名作『床屋さんへちょっと』の宍倉勲を彷彿とさせます。
多少、予定調和であろうと、手練れ小説家の術中にまんまとハマった感じがしようと、やっぱり山本幸久さんの小説はいい。まだ読んだことがない人、騙されたと思って読んでほしいです。スルッと喉越しよく読め、自分の肝にストンと落ちて、丹田がじんわり温まること請け合い!
木皿泉さんの『さざなみのよる』は、NHKの正月ドラマとして二年連続放送された「富士ファミリー」で、しょっぱなから死者、幽霊として登場した一家の次女ナスミを中心にした、これでもかというほど、死ぬこと生きることについてが描かれている物語です。
ナスミってば、生きることの本質を突く名言が多すぎて「名言製造機かよっ!」と思わないでもないですが、その言葉たちは、人が、あっちの世界に呼ばれるまでなんとかこっちにとどまるための秘訣、いわば“手すり”のよう。
心身が元気なとき、視界がクリアなときは必要としないばかりか、その存在自体に気づきもしなかったりするけれど、バランスを崩したり、足元が薄暗かったり、わけもなく不安なときに掴まりたくなる、心のよすがといってもいい手すり。
前にも書いたかもしれませんが、生と死は地続きで、生の長さが幸せや達成感と比例してるわけじゃ全然なくて、その人が誰かの中でありありとその存在感を放っている限りその人は死んでなくて…などなどをあらためて思いました。
14のエピソード、どれも読ませますが、ナスミと中学のときに家出未遂をした、今は理髪店主清二のがわたしはいちばん好きかも。清二の奥さんの利恵がまたいいんだよなあ。
きっとわたしは、この小説を何回も何回も読みます。
by月亭つまみ
木曜日のこの枠のラインナップ
第1木曜日 まゆぽさんの【あの頃アーカイブ】
第2木曜日 つまみの【帰って来たゾロメ女の逆襲 月刊 切実本屋】
第3木曜日 はらぷさんの【なんかすごい。】
第4木曜日 つまみの【帰って来たゾロメ女の逆襲 やっかみかもしれませんが…】
まゆぽさんとの掛け合いブログです。→→「チチカカ湖でひと泳ぎ」
mikity
つまみさん♬
「大きな鳥にさらわれないよう」を読んでくださったのですね!
ね~、これ、すごい話ですよね。なるほど「猿の惑星」かあ~。
川上弘美さんは大好きな作家さんなので、ほとんどの作品を読んでいるのですが、
これは途方もない壮大な世界へとつれていってくれました。もしやこれが川上ワールドの集大成なのか?とも感じました。
小川洋子さんと言えば、小川洋子さんと平松洋子さんの共著「洋子さんの本棚」を読んだのですけど、二人の洋子さんがそれぞれの本棚からお勧めの本を紹介するのですが、お二人の興味の違いなどの対比が面白かったです。比較すると面白さが際立つことがありますね。
あとあと、全然関係ないのですけど、とある筋からつまみさんが「原寮」がお好きだと聞きました(女性で原寮のファンの人って初めて会ったかも)。
14年ぶりに新刊がでたんですね!
もう、びっくり。勝手に闘病中かと思ってたんですけど(それか引退)違ったんですね。むしろ、ぴんぴんしてた。
いやあ、また沢崎シリーズが読めると思うとこちらも嬉しい限りです( ´艸`)
つまみ Post author
mikityさん!
早速ありがとうございます!
うんうん。
川上弘美さん、とんでもなく途方もない場所に連れて行ってくれますよね。
こういう小説を読むと、脳内宇宙の広さは無限大だと思います。
『洋子さんの本棚』、わたしも読みました。
もう、いろいろ忘れてしまったのですが、これまた、自分の可動範囲を拡げてもらったような、心地よい焦燥感みたいなものさえ感じました。
そしてそして、原尞!
そうですか?
そういえばわたしの周囲にも女性のファンはいないかも。
自分的には、チャンドラーより、ロバート・B・パーカー、ディック・フランシスの流れで原尞を読み始めたのですが、あまりにもブランクがありましたよね。
わたしも体調が悪いか、もう小説を書くのはやめたのかと思っていました。
『それまでの明日』もすぐ買って読みました。
相変わらずの沢崎です。
当然、携帯、持ってないし。
事件そのものはたいしたことなくて(言っちゃった!)、でも最後が、最後が。
原尞が、そこを匂わせるエンディングにするのか、とちょっと衝撃でした。
読み終わったら教えてください。
原尞について、アツく語りましょう!
凜
つまみさん、こんにちは。
「大きな鳥にさらわれないよう」読んでみました!(だってmikityさんとつまみさんがここまで絶賛してたら読まずにはいられない)
最終章「なぜなの、わたしのかみさま」でまさかの1章につながっていくとは・・・!
スケールが壮大すぎて、あとからじわじわひたひたと怖さがやってきました。
川上先生、すごすぎます。読後しばしぼーっとしてしまいました。これはもう一度読み返さねば・・・!
いつも素敵な作品教えてくださってありがとうございます(^^)
つまみ Post author
凛さん、いつも、こちらこそ、ありがとうございます!
川上弘美さん、そうそう!
スケールが壮大すぎて、凄すぎます。
うわああっとなって、足元の砂が一気に引いて行くような、どでかい心もとなさを感じました。
わたしももう少ししたら、もう一度読み返さねば!
mikity
凛さん、つまみさん、
私もあれから再読しましたよ!
ああ、やっぱりすごい。
途方もない世界です。そしてこれを書けるのは、川上さんしかいないという気もしました。
川上弘美さんはもともと理系の方で、最初は高校で生物学の先生をされていたのですよね。だからきっとこの生物の起源のような話は、ずっと描きたかったことなのかな~と勝手に解釈して川上弘美の集大成とさせて頂きました。
再読の機会を与えて頂けて、またあの世界観に触れられて、私もうれしかったです♬
凜
mikityさん、つまみさん、
「大きな鳥にさらわれないよう」再読の前に「最果てアーケード」読んでしまい、
次にうっかり「洋子さんの本棚」に行ってしまい・・・
以前にハラミさんもおっしゃっていましたが、「最果てアーケード」の最後、あれどう思われましたか?あれはぺぺの様子に投影させてるように彼女自身もすごいスピードで年を取ってしまった(どうして私はこの靴をはいているのだろう?ってところも)、お父さんの死に責任を感じながらアーケードでの勤めを十分に果たしたことでノブさんの店の小部屋で生を閉じた・・ということなのかな・・。
電話だったり髪で編むレースだったりが伏線だったような。通常の老化ではなくて、精神の疲弊というか・・?
でも小川ワールドってそれでなんだか納得してしまうんですけど。
洋子さんの本棚、読みたい本がたくさん出てきてすごく興奮してしまったんですが、対談自体もとても読み応えあってよかったです~
同じ本を読んで語り合えるってすごく楽しいことなんだな、としみじみ感じました。
つまみ Post author
mikityさん、凛さん
こんばんは。
川上弘美さんも、小川洋子さんも、解釈のしかたがいくらでもあるというか、読む人によってイメージをどうとでも拡げられる世界ですよね。
おふたりの感想を読んで、ああ、そんな風にわたしは思わなかったなあ、というのがいっぱいあって、でもそれは「違う」という意味ではなく、思い及ばなかったという感じ。
確かに川上さんは、理系と小説を独特な抽出法で融合させている気がします。
でもきっと、そんな自覚はなく、川上さんにとっての文学はそういうものなんだろうなあ。
『最果てアーケード』の最後、わたしは「閉じた」とは思ったものの、それが生とはなぜか感じず、じゃあなんだと思う?と聞かれると…う~ん、なんなんでしょう。
考えてみると、いろいろな時間軸がズレている気がします。
もちろん、故意に、なんでしょうけれど。
ハラミさんはどう思ったんでしょうね。
mikity
いまごろですけど、小川洋子さんの「最果てアーケード」を読みました。
小川洋子さん、久しぶりに読んだのですけど、やはり冒頭から小川ワールドにぐいっと引き込まれ、そのまま戻ってこれなくなりました。
独特の世界観がすごいですよね。なぜだか中世のヨーロッパを感じました
(なぜだ?)
で、ラストですけどね。
あの少女は、やはり、もうずっと過去のどこかで亡くなっていて魂だけがアーケードに居続けていたのかな(要するに幽霊?)
で、ようやく心の整理がついて、ノブ屋さんのライオンのドアノブを回して、あちらの世界にかえっていったのではないか。。。
もっと言うと、あのアーケード自体も、とうの昔に消失していたような気もしました。少女が消えた瞬間にアーケードもろともなくなったような感じもしました。
そうそう、つまみさんが言うように、時間軸がずれてますよね。
よく読むと、つじつまがあってない。
何もかもがあやかしの世界。
つまみ Post author
mikityさん、こんにちは。
そうそう。
小川洋子さんはあやかしの世界ですよね。
一見そうでもない『博士の愛した数式』も、わたしは幻惑感が残りましたよ。
そっか。
やっぱりすでにこの世の人ではないのかなあ、あの少女。
アーケード自体も、そうですよね、どこか違う世界に通じる、あれ全体がドアみたいなもののような気もします。
火事で、いろいろなものが消失して、ズレて、入り組んだ…とか。
それにしても、映画館、火事、というと、酒田しか浮かびません。
あ、小説の記憶がまだらになってます。ゴメンナサイ。