帰って来たゾロメ女の逆襲⑥ ~あっ、極論です。の巻~
「ゾロメ女文学賞発表の巻」にはたくさんのコメントをいただき、ありがとうございました。
誰にともなく宙に向かって言葉を放つのもわりと好きなのですが、読んでくださる方がたくさんいる場所へ、えいやっ!と言葉を置くことの楽しさにあらためて
目覚めました。
パチッ。
おはよーございます。
自分をへそ曲がりだとは思いませんが(いや、ほんと)、人がこぞって同じ方を向いてる、みたいな世界がちょっと苦手です。
向いてる人たちより、向かせようとするような輩が苦手なのかもしれません。
唄とかでもあるでしょう。
人が死んでしまったり、「親を大切にしよう」とか「キミを守ることが僕の役目」とかなんのヒネリもなく言っちゃうやつ。
言ってることの内容に文句はありません。間違ってないよそのとおりだよあんたは偉いよ。
ただ、聴いた側の想像力を発動させる余地がない、ひとつの解釈の方法しか許されないような世界みたいで、つまらないと思ってしまうのです。
作り手の姑息さと、受け手の思考停止を助長してるだけなんじゃねーの?と。
あっ、たぶん極論です。
私は昔、かのRCサクセションの曲が好きでした。
好きな理由のひとつは、聴く状況によって同じ曲が違って聴こえる、つまり、「私の」解釈の方法が幾通りもあったから。
たとえば「君が僕を知っている」という曲。
浮かれているとき、落ち込んでいるとき、冷静なとき、それぞれで響いてくるフレーズが違って、どの場合にもしっくりきて、何回聴いても飽きなかった。
ブルーハーツの「僕の右手」もそう。
自分のそのときの心理状況によって、右手のイメージが変わるのです。
抽象的にイメージされたり、具体的なもので喚起されたり。
使っている言葉は平易なものばかりなのに、だからこそ受け取る側が自由に介入できる余白がある。
小説にもこの論理は採用されます(ナニサマだ、私)。
たとえば、揺るぎない着地点がまずありきで、そこに作者に都合のいいピースをはめ込んだ予定調和の集大成みたいな、賞も獲って映画化もされてる某小説は好みではありません。
あっ、当然極論です。
それより、心にヒットする箇所が人によって違う、同じ人間の感想が一回目と二回目で変わるような小説の方が私には魅力的なのです。
職場の同僚である定年間近で孤独な男女2人ずつ、計4人の日常を綴った『秋の四重奏』(バーバラ・ピム著)という小説をご存じですか。
ロンドンを舞台にしたバリバリ地味な世界です。
私の初回の感想は以下でした。
【人生は充実した人生とそうでない人生に二極分化されるわけはなく、もちろん良い悪いもない。あるのは、自分の軌跡であり現実であり受容するしかない将来なのだ。心の広さや狭さ、心身の健康状態、生き甲斐と称するものの有無、家族愛や友情、金銭や物理的安心、などなどは、人生にとっては確かに大切な要素だけれども、それは人それぞれの芯の安定やその人の価値(みたいなもの)とは必ずしも連動してなくて、そこに一般論は存在せず、ついでに言えば人は誰しも孤独に決まっている。ただ、今この瞬間を生きていること、もしくは死にかけていること、にこそ、現実という名をもっての意味があるのだ、それだけでいいのだ、とあらためて思えて、私にはとても心に沁みる小説でした。】
でも次に読んだときはどう思うかはわかりませんよー。
もしかしたら「辛気くさくてうっとうしいっつうんだよ!」と罵倒して途中で挫折するかも(笑)。
あの、心に沁みたと言った私はどこに行った!?になるかも。
でも、そういうことも含めて、小説を読むことの醍醐味だと思うのですけど、いかがでしょう。
あっ、全編極論でした。
By月亭つまみ
こんなブログをしています。正体不明な女二人のブログ。 お昼休みなぞにのぞいてみてください♪→→「チチカカ湖でひと泳ぎ」
ドーリー
この本は利用している図書館にないし、ちょっと高価~。
でも興味があるので、手に取ることが出来て読めたら、また報告させていただきます。
RCサクセションとブルーハーツのこの歌は知らなかったので、歌詞検索してみました。
「君が僕を知っている」は、清志郎さんらしい感じで好きですね♪
「僕の右手」の哲学の匂いすらします。
私は「君は一人じゃない」とか「夢はかなう」とか、あげく「君の為に明日は来る」とか言っちゃうような歌が苦手です。
嘘ばっかり、とか思っちゃって。
〉使っている言葉は平易なものばかりなのに、だからこそ受け取る側が自由に介入できる余白がある
あー、そうだ、私もこういうものが好きだなー・・・と思いました(*^^*)
つまみ Post author
ドーリーさま
コメント、ありがとうございます。
そうなんですよね。
みすず書房の本はちょっとお高いのです。
私も図書館で借りて読みました。
機会がありましたら、ぜひ!
RCとブルーハーツは、私にとって永遠です。
言葉にメロディが乗ると、またグッと来ます。
この文章を書いて以来、また通勤のときi-podで聞いています。
元気が出る、というより、うそくさくない気持ちになります。
しくじったり弱音を吐くことも含めて、自分なんだからそれでやっていこう
みたいな気持ちになります。
アメちゃん
おはようございます!
私も、皆がこぞって同じ方向に向いている世界は苦手です。
(だから行列や、賑わってるお花見スポットが苦手)
そんでもって、なんのヒネリもない最近のJ-POPの歌が嫌いです。
「いつもそばにいるよ」とか、
ウゲーって、首筋かきむしりたくなります。
私は、阿久悠さんの歌詞が大好きなんですが
とくに「また逢う日まで」なんて、ものすごく簡単な詩だけど
「この二人に何があったんだろう〜?」とか
「どんな人かな〜?(年齢とか仕事まで)」とか空想できて、いい唄だな〜と思います。
以前、やしきたかじんさんが
最近の若い人の唄の歌詞が、くどくどと長いのは
じつは、言いたい事がない(薄い)からだ。。。と言っていました。
メッセージの薄さを文字で埋めてるのかもしれませんね。
つまみ Post author
アメちゃんさま
私もホント、行列や人混みが苦手です。
そして
阿久悠さんの歌詞!
いいですよねー。
勝手にしやがれ、とかも想像力が掻き立てられました。
そうそう。
言いたいことがないなら、厚くみせようとせず
むしろそんな薄い自分を唄にすればいいのにねー
と思います。
sprout
>言いたいことがないなら、厚くみせようとせず
むしろそんな薄い自分を唄にすればいいのにねー
ほんと、そう思う!と膝をうった!
疲れたときなど、予定調和…予定調和をくれ…!と欲する自分がいたりするけど、作り手が手前勝手にこちらの感情をコントロールしてクライマックスに持ってこうとするような気配を感じると、しゅるしゅると興冷めしてしまいます。
私は白黒のコメディ映画が好きなんだけど、それは最後にお見事!というほかない大団円に終わるのが爽快だってだけじゃなく、そこにいたるまでの登場人物たちの人生や、立場や、そういうののほろ苦さなんかがメインストーリーの脇からどんどん沁み出てきて、今はたまたまこの主人公に光があたってるけど、そのうしろに何百のストーリーがかくれてるって感じさせてくれる作りになっているところが好きなんだー。
つっても何か見たりするたびに、いとも簡単にトラップに引っかかって泣いてるけど…。
つまみ Post author
sprout殿
>今はたまたまこの主人公に光があたってるけど、そのうしろに何百のストーリーがかくれてる
あ~、わかりますわかる!
私もそういう映画が大好き!
そして、小説でも「描かれていないところに想像力が喚起される」系が本当に好きなのですよ。
この前、テレビで「三軒長屋」という落語をやってたのだけど、その噺家さん(名前失念)は、いろいろつっかかったり、ちょっと長い間があいたりしてた。
けど、そこがすごく良かった。
人の会話って、そうそうよどみなく進むものじゃないし、考えながら話したりすると、間があいてしまったりする。
言葉ではこう言ってるけど腹の中は違うな、とか、この空白の時間に劣勢を立て直そうとしてるな、とか、わざと滑舌悪く言ってるのは、ちゃんと理解されたくないからかも、とか、こっちの想像力が膨らんだのでした。
私も、予定調和も好きだったりします。
寅さん、大好きですし。