◆◇やっかみかもしれませんが…◆◇ 第12回 やっかむ相手が…
介護をしているからといって、特に忙しい日々を送っているわけではない。
まとまった自由時間はなかなかとれないが、細切れの空白時間ならけっこうある。ぼおっとして終わってしまうことも少なくない。なので最近、30分以上、時間がとれる場合は、エコバッグに携帯電話とカギとおサイフとハンドタオルを入れて、そのへんを歩いている。音楽は、聴いたり聴かなかったり。目的地はほとんど定めず、ただひたすら歩く。日に3回以上は歩かないが、2回までならけっこう歩いている。
今の住まいのある街に、正直、さしておもしろ味はない。役所が仕立てた散歩コースや名所旧跡にもあまり興味がわかない。ただ、以前働いていた職場が近いことで、ある程度の土地勘はあるから、安心してやみくもに歩くことができる。と言いつつ、職場を離れて6年経って、その一部が激変していることに驚いたりもしているのだけれど。
6年前にはまだ、傾いたり、ガタピシ言うような木造の古い住宅が並んでいた一角が、見覚えのかけらもない、清潔で小金持ち風で優等生的センスの家ばかりになっていたりする。っけ!と思う気持ちは当然あるが(当然?)、道も整備され、それはわかりやすく碁盤の目のようになっているので、昨日はここを曲がってみたから今日はあそこ、明日はもう1ブロック先にしてみよう、と日替わりで道順を少し変えることも可能である。ま、同じような家ばかり並んでいて、変えてもその実感は希薄なわけだが。
そして、歩いていてハタと気づく。私は、今と同じようなことを、まだ年端も行かぬ、小学校2~3年生のときにもやっていた、と。
なぜ、2~3年生のときだと断定できるかというと、私は小学校を3回変わっているので、どの学年のときにいた場所なのか容易に特定できるのだった。
それは、福島市のちょっと北側に位置する「笹谷」という地名の新興住宅地周辺に住んでいるときだった。高度成長期ど真ん中(たぶん)の1960年代後半、田畑が埋め立てられ、続々と建売住宅ができていた半世紀も前の時代のことだ。
笹谷団地は、「団地」からイメージする集合住宅ばかりではなく、戸建も含めた、当時の福島としては最新鋭(?)の一大住宅地の呼称だった(気がする)。我が家は、そこから通り一本隔てた場所で、笹谷団地ではなかったのだけれど、私はヒマさえあれば笹谷団地の、碁盤の目のような道を、昨日はあそこを曲がったから今日はその次の角、明日は突き当たりまでいっちゃえ、と歩いていたのだった。
子どもの頃の私は、今よりむしろ社交的なくらいだったが、なぜか趣味はひとりで歩くことだったのだ。それは田んぼの畦道だったり、団地の規則的にめぐらされた通りだったり。とにかく、曲がる場所、Uターンする場所を日々変えることが好きだった。
なんだ、半世紀前と同じことをやってるんじゃないか、今の私。
違うのは、あの頃の自分は、常に空想の世界に浸りながら歩いていたが、今はそうではないことだ。じゃあ、何を考えて歩いているかというと、正直、特に何も考えていない。せいぜい、今日の夕食の献立は何にしようかとか、図書館で借りた本の返却期限がもうすぐだったかもしれんとか、あっちのスーパーのポイントサービスデーは何曜日だっけ?ぐらいが関の山で、ただ、気分転換と健康(生活習慣病)のために歩いている。
つまらない。…歩くことがつまらないのではなく、歩くために現実的な理由があることがつまらない。
半世紀前の自分は、歩くことに理由などなかった。後付けで、家がつまらないとか、空想の世界の入口が歩くことだったとか、もっともらしい理由はひねり出せるけれど、少なくても当時は、理由なんて考えたこともなかったし、必要もなかった。
その時代の自分がまぶしい。そしてせつなくて、少しだけやっかんでしまう。
半世紀かけて、自分は想像していたのとはまるで違う次元の「遠い、見知らぬ場所」に歩いてきちゃったんだな。それはあたりまえのことのようだけれど、やっぱり淋しい。
by月亭つまみ
【木曜日のこの枠のラインナップ】
第1木曜日 まゆぽさんの【あの頃アーカイブ】
第2木曜日 つまみの【帰って来たゾロメ女の逆襲 月刊★切実本屋】
第3木曜日 はらぷさんの【なんかすごい。】
第4木曜日 つまみの【帰って来たゾロメ女の逆襲 やっかみかもしれませんが】
まゆぽさんとの掛け合いブログです。→→「チチカカ湖でひと泳ぎ」