【月刊★切実本屋】VOL.65 今年読んだ本は一冊、なのに二冊
2023年になりました。今年もよろしくお願いいたします。
ところで、ご存じですか?カリーナさんが<別冊、はじめました!ボチボチやります。>という、オバフォー(当時は「別冊」と言ってました)最初の記事を書いたのが2013年1月7日だったということを。
満10年の記念すべき日は、本人おろか、誰にも触れられることなく過ぎ去りました。関係者こぞって、うっかりし過ぎです。でも、それでこそオバフォーかも。
わたしは、その産声から遅れること約二週間、2013年1月23日に【いろんな言葉】でオバフォーデビューしました。記念すべきメモリアルdayはまだ来ていません。間に合った!当日は、コーヒーかルイボスティで祝杯をあげたいと思います。
ということで、いつのまにか10年です。以前、★←ここでも書きましたが、わたしにとってこのサイトは灯台です。自分の場所を確認したい灯り。煌々と照らさなくてもいい、強い光だと目が眩んで、引っ張られ過ぎたり、逆に足元を見失うので、目に優しい光で照らしてくれればうれしい…などと、この佳きメモリアルmonthに思っております。
ってことで、ではまた!
…じゃないだろ、記事だよ記事!
年明けすぐに、この【月刊★切実本屋】を待ちきれずに、Twitterで予告編のようなものをつぶやいた。
そう、今年の一回目でもあり、記念すべき私家版10年またぎの本は、自分の記事ではおなじみの津村記久子さん。作品名は『つまらない住宅地のすべての家』である。パチパチパチ。
前回、津村さんの本を取り上げた際、「津村記久子の書くものにハズレなし」と断言しているが、今回も大当たりだった。でも、読んだ直後だと、前のめりな気持ちのせいで筆が滑りしがちだから、読了から少し時間を置いて記事が書けるのはよかった…とTwitterでつぶやいたときには思ったものである。甘かった。とんだトラップがあったのである。
この小説は、都会から電車で1時間以上離れた小さな町の、近くにコンビニもない路地にある10軒の家が舞台だ。いわゆる群像劇で、それぞれの家に不規則にスポットが当たって、主にネガティブなエピソードが語られるのだが、中盤までは、そのスポットライトが暗めの上に、ランダムさに目が散って、物語の不明瞭さに落ち着かない気分だった。
最初のページには、10軒の家の配置図と表札(姓のみ)と家族構成が記載されているが、あまり親切ではない。本文では、姓を省略して名前だけで語られることも少なくないし、この路地の住人以外の人物もいるので、「どこの誰?」的な人々が順不同で次々に出てこられた日にゃ、並みの人間(わたし)はとまどう。
「望?性別が特定できない名前、つけないでよ」「恵一ってどこんちの子だっけ?あ、親戚に育てられてる子か」「夫婦別姓?カンベンしてよ」と、そこだけ切り取ったら顰蹙を買うようなことも口をついて出そうになる。が、この不親切さ(?)は明らかに作者の意図するところだ。なぜなら、この得体の知れなさというか、読者が感情移入しづらい感じが、のちのち効いてくるから。「この話、なんかわかりづらいかも」と思ったらもう、津村さんの術中にハマっているってことなのかもしれない。
どの家もなんらかの問題を抱えている。明らかに犯罪者予備軍だったり、これからの不幸を予感させたり、長年の閉塞感が澱の層になって溜まっていたり。どこの家にもうっすら腐臭があるような、床下にマズいものが埋まっていても不思議ではないような不穏さが立ち込めている。
ところが、そこに本物の犯罪者の気配が近づいてくると、風向きが変わる。いや、向きが変わるというより、「女性受刑者が刑務所を脱走して、こっちに来るかもしれない」という案件が、この無風地帯に風を起こし、臭いと澱を動かすのだ。風穴を開ける、と言ってもいい。それは住人の心身にも風を通し、中盤以降は、ドミノ倒しのような変化が起こる。
変化といっても、表向きは日常と地続きで、路地を一歩出れば些事にすらならないレベルだったりもする。でも、わたしの胸には強く響いた。リアルだから響いたわけじゃない。どうやら人は、言動や気持ちで自分を牽引しているのではなく、物理的にも精神的にも明確に顕在化しない、気配とか温度みたいなものが、案外、希望や生きるための源になっているのかも、と思えたことが大きい。よくわからないその存在を意識できたことは、なんだか悪くない感じがしたのだ。
前半で「時間を置いて感想を書けることがよかったというのが、甘かった。トラップだった」と書いたが、わたしはこの小説を続けて二度読んだ。最初に多少混乱した「これって誰?どの家の人?」現象がなければ、もっと楽しめるかもと思ったからだ。
そしたらば、これがあなた、二回目は一回目より面白かったのですよ。その人の変化が予測できて、コレがアレの伏線的な行動や発言なのね、と確認しながら読むと、さらにグッときた。なので、二回目読了直後の現在、あらたな高揚で筆が滑り気味で、感想を書くには適していない状態なのである。これぞトラップだろう。
とはいえ、最初から、登場人物の情報(姓だけじゃなく名前とか、〇〇の友人とか)があったり、もっと規則的な登場のしかたで読みたかったか、と聞かれれば、NOだ。初回はやはり作者の術中にハマった方がいい。それを経て二回目に行くことが正道で、格別な景色を見ることができるのである(偏った断定が非常にうさんくさい)。
今年も本を読もう。同じ本を読める自分でもいたい。そうして初めて見える景色もあることをこの本が実証してくれたし。
現時点で、2023年に読んだ本は、この『つまらない住宅地のすべての家』一冊のみである。「読み終わったー!」と本を閉じたのは二回目だ。とても幸先のいいスタートだと思う。
by月亭つまみ