【月刊★切実本屋】VOL.77 なぜわたしは岸本佐知子さんを近しく感じているのか&最近読んだ本
翻訳家の岸本佐知子さんを勝手に近しく感じている。昨年もこの場所で岸本さんのエッセイについて書いたが⇒★ 近しく感じるのは、エッセイに共鳴するからとか同世代だから‥以外にも理由がある。姓だ。
なにを隠そう(隠すほどでもないが)わたしの旧姓は石本(いしもと)である。日本人の姓としては、多すぎず、さりとて珍しくもない、クラスや職場でカブることはまずないが三文判はふつうにあるという、きわめて平場な姓だと思う。平場の使い方が間違っている気がするが、平場って言ってみたかったので許してほしい。
ところで、石本という姓にはとんだ落とし穴がある。口頭では一発で認識されないことがほとんどなのだ。ふつうに言っても、い・し・も・と!と力強く区切っても、たいてい「はい、西本さんですね」と返される。その茶番、ひと悶着率は9割を超えたと思う。あまりに伝わらないので、自分の滑舌に問題があるのかとひそかに傷ついていた。結婚して、母音aはじまりのそのへんにゴロゴロいる姓に変わったら、悶着は皆無になり人生のストレスが減った。そのせいか、旧姓にこだわる気持ちはまったく芽生えなかった。今日まで離婚していないのもきっとそのせいだ(勢いで書いている)。
岸本さんも、役所の窓口や電話で「西本さん」と言われる人生を過ごしてきたのではないか。石本と岸本‥「母音iはじまりの〇しもと」は、西本に駆逐されがち仲間である。菱本さんも入れてあげてもいい、一人も知らないけど。‥なんてことを謳ってみたが、あれ?もしかして岸本佐知子って本名じゃなかったりして、とか、岸本加世子だって同世代の岸本さんなのにそっちはスルーか?と気づいた。まあいいや。
そんなわけで岸本佐知子さん。最近読んだ『ひみつのしつもん』も今まで同様、変人ぶりをいかんなく発揮していて、自虐エッセイも究めれば盤石な自己肯定だとあらためて思い至る。本当に自分をダメだと思っている人は偏屈な自分をこんなにおもしろおかしく曝さない。うっかり「ホントにダメな人かも」「仲間かも」と思いそうになる。違う違う。
最近読んだ同世代つながりで言えば、『天と地の方程式①~③』(富安陽子/著)も面白かった。児童文学にこの人あり!だが、作品数が多過ぎて二の足を踏んでいた。仕事関係者から「やっぱり富安陽子はすごい」と聞いて読んでみたが、噂に違わぬ実力者だった。児童文学を読んでいてときどき感じる「主要人物以外はストーリーを進めるのに都合のいい駒」感を正直この作品でも感じないこともなかったが、主軸がしっかり面白いので許す!ナニサマだ?
『天と地の方程式』には、複数の天才中学生が出てくるが、『ギフテッド』(藤野恵美/著)はタイトルどおり、ギフテッドと呼ばれる、賢い、知能が高い、とされる子どもの生きづらさ、親の育てづらさにスポットを当てた小説だ。
わたしがギフテッドという言葉を知ったのは、かの「クイズ脳ベルSHOW」がきっかけだ。女優の岩崎ひろみさん(歌手ではなく、朝ドラ「ふたりっ子」に出た人)が出演したとき、その回答率もさることながら、回答時の淡々とした遠慮のなさにキャラとは違う違和感を覚え、Wikipediaで彼女を検索し「ギフテッドである」という表記を発見した。
いいなあ、ギフテッド。わたしも高い知能が欲しかった‥と凡人中の凡人(わたし)は思いがちだが、彼らはそんなギフト(ギフテッドの語源)が贈られても必ずしもありがたくないことが、リアルに説得力を持って描かれたのが小説『ギフテッド』だ。
続いては『水車小屋のネネ』が今回の本屋大賞にノミネートされた津村記久子さんの『うどん陣営の受難』。相変わらず、愛すべきへんちくりん小説だった。だいたい、うどん陣営って?だ。もちろん読めばわかるが、わかったとて、だ。ある会社の経営陣の選挙戦の話だが、こう書いてもイメージが湧きづらいと思う。ああ、そこがいいのよ津村ワールド。
他にも『おでんオデッセイ』(山本幸久/著)、『パリのすてきなおじさん』(金井真紀/著)、『彗星交叉点』(穂村弘/著)、『キッズ・アー・オールライト』(丸山正樹/著)などを最近読んだ。どれも面白く、特に『キッズ・アー・オールライト』は、この著者の作品を読むとよく思う「現実にそこにある社会問題を当事者以外に伝えるすべとしての小説の力」を今回も感じた。
いわゆる社会的弱者にスポットを当てその問題を語るとき、その信頼性みたいなものが、映像やノンフィクションの方がフィクションより上位に立つイメージがある気がするが、必ずしもそうではないと丸山正樹さんや中島京子さんの小説を読むと思う。そういえば『水車小屋のネネ』でも思った。そもそも、ノンフィクションの概念もあいまいだし、脚色が伝えられる本当さもあるのではないかと思う。そしてそれが自分にとっては大きい。
と、社会に対する提言(!)で高尚(!!)に締めようと思ったが、数時間前に読み終わった『博物館の少女 怪異研究事始め』(富安陽子/著)がめちゃくちゃ面白かったので追加。なにこれ?!VIVA!読みやすさ!!
by月亭つまみ
Jane
何だか今回は立て板に水のようなスピードを感じました。連想で繋がりつつ少しずつずれていくような、ザツダン的流れ。
私の知り合いに石本さんという人は今まで登場しませんでした。月亭さんとは、これまさに石と月くらい、似ているようで、サイズ、手ごろさvs手の届かなさ、ありふれてるvs唯一無二、落ちてるvs天上にある、日常vs夢物語…などなど対極のイメージの存在でもありますね。
つまみ Post author
Janeさん、石本と月亭のイメージを比較してみたことはありませんでした。
そういえば、アポロが持ち帰った月の石がありましたね。
1970年の大阪万博の目玉だった記憶が。
月と石をつなぐものがあるとしたら、それは月の石ではなく、わたしの場合は「同じ形が一日としてないのだ」ということでしょうか。
小学生の頃、川の上流と下流では、石の形状が違う、下に行くにしたがってどんどん丸みを帯びてくるというのを習って、実際に川に行って比較して、こんな堅いものが水の流れごときで!?と驚いたことをまだ覚えています。
どんなものであれ、未来永劫おなじではない、と思わされた原点が石で、空が広く見える住まいに越して以来、月の満ち欠けを目の当たりにしているここ数年で、その思いが補強された気がしますよ。
文章に、立て板に水な感じが少しでもあるとしたら、富安陽子さんの小説の影響のせいかもしれません。
児童文学のよどみない語り口にあらためて恐れ入っています。
Jane
つまみさんの富士山を入れた空の写真を見るたびに、つまみさんから富士山までの距離の間の景色がどんなに変わってきたことだろうかと思っていました。富士山だってビルの建つ速度よりはゆっくりでも、変わっていってるんですよね。
つまみ Post author
Janeさん、確かに!
建物の変化は意識もしていますが、富士山もそうなんですよね。
変化の速度はそれぞれで、自分もそのなかのひとつに組み込まれているかと思うと、抗うことの畏れ多さとか、安心感とか、いろいろな気持ちが交錯します。