◆◇やっかみかもしれませんが…◆◇ 第73回 いつまで仕事を続けるのか問題
長年暮らした夫の実家を処分し、仮住まいを経て今のマンションに越して5年経った。思えば、ほぼコロナにまとわりつかれたマンション生活だ。夫は無職時代を経て、それまでとはまったく毛色の違う仕事に飛び込み、私も介護で減らした勤務を増やしたのは、ほぼ今のマンションへの引っ越しと同時期だ。それらはすべて、少し前までの自分には予測できないことだった。
まったく、今思う未来の不確実さよ。
思い描いた将来はほぼ的っぱずれだった。でも、だからといって、将来のことなんて考えてもしかたがないと言いたいわけじゃない。いくつになっても、性懲りもなく自分の将来像という妄想の更新を続けては、ガックリきたり悦に入ったり驚いたりしてきた、そのことこそ、自分らしく生きてきたってことなのかもなあとさえ思っている。きっとこれからもそうだ。
40歳のときに一度司書生活から足を洗った。都立の看護学校に7年勤めたのだが、当時の石原都知事の出した都の非正規職員の雇用見直しに引っかかり辞めた。直後に実母の病気が発覚したので、雇用条件が変わらなくても辞めざるを得ない状況になったのかもしれないが、それでも、看護学校の図書室での仕事が楽しかったから、落胆し燃え尽きた気がして、もう司書はいいかなと思った。なので、その約一年後に再就職したのは一般企業の事務職だった。
そこで4年半働いた。制服での仕事は新鮮だったし、職場の若い男性にかたっぱしから悪意あるあだ名を付ける業務(?)は楽しかったが、当初は丸一日かかった仕事が半分ぐらいの時間でできるようになり、年度末の繁忙期以外は物足りないと思うようになった頃、今度は長兄の病気が発覚した。そして、これは以前も記事に書いたが、入院中の長兄の勧めで地元の公立図書館の司書に戻った。このくだりのなにもかもが、予測できなかった日々だ。
公共図書館司書時代はふたつの新館を経験し、特に2個目では、はらぷたちと共にイチから図書館を立ち上げる仕事を任され、オープン後は毎日げらげら笑いながら働いた(←イメージ)ので、その雇用がトータル8年で終了になったとき思った、もう司書はいいかな(13年ぶり二度目)と。
あれから約12年経った。いつのまにか還暦も過ぎ、相変わらず司書をしている。しかも現在の学校司書歴が今まででいちばん長くなっってしまった。そして性懲りもなく思っている、今までの仕事のなかでいちばん楽しいかもと。非正規の職場を転々としたせいで、受給予定年金額を見るとめまいがしそうだが、楽しかったからまあいいかと思う自分は、堅実な人から見れば愚かで、つくづくおめでたい人間なのだと思う。
ここ数年、咳が出る、加齢で身体の部位や体調全般がパッとしない、と言いながら仕事を続けてきて気がついたことがふたつある。
ひとつは、仕事の日の方が体調がいいことだ。もっといえば、忙しい日の方が比較的元気なのだ。もちろん、仕事中に咳が出ると辛いし、言葉が途切れたり、痰が絡んでうまく声が出なかったりするとパニックになりかけぐったりする。なにより、周囲の目(&耳)が気になる。「いつも咳をしててイヤだな、この人」と思われてないか、いや、ゼッタイ思われているだろう、と居たたまれない気持ちになることも少なくない。
でも、休みの日の方が咳がひどい。我慢しなくていい分、咳が咳を呼んでしまうのかもしれないし、仕事の疲れが出ているということなのかもしれない。これじゃあ一生旅行は無理だなとか、コンサートも習い事も厳しいな、なんだよ、人生つまんねーな、などと世をはかなんでいる。というわけで、そこそこ働いていた方が前向きな自分でいられる。
もうひとつは、齢は重ねても、体調がイマイチでも、仕事のスキルは下がらない‥どころか、ふつうに上がっていくらしいことだ。体力や記憶力第一の仕事は別として経験値は加齢に勝るのかもしれない。そして、経験値は人を謙虚にするとも確信している。いくらやりかたを覚え、ある程度のルーティンの轍(!)を作っても、仕事も人生も、やればやるほど正解はひとつじゃないとわかるから怖くてベテランづらなんてできなくなる‥でしょ?よって、日々を重ねると人間の初々しさが増すのである!決定!異議なし!?
ついでに言うと、経験値というバックボーンがあると攻められると思う。トシ食ったら守りに入ると思っていたが逆だ。将来があるから守る領域も増えるのだ。その点、いざとなったら「雇用終了」が少し前倒しになる程度で済む世代は思う存分、攻撃力を発揮できる。これを一言で言えば「やり逃げ上等!」か。あれ?振り向いたらそこに誰もいない?おーい!
そんなわけで、最近は、もういいかげん引退してくださいと言われるまでは仕事を続けたいと思うようになってきた。これだって、当然ながら、自分で思ったとしても雇用先からお引き取りくださいと言われたら終わりだし、少し延長できたとしてもちょっとした体調や精神状態の変化次第で変わる可能性も高い。なにしろ、思い描く未来はいっかな来ないし。でもまあ、だからこそ、今はそう思っておこうっと。
by月亭つまみ
いまねえ
つまみさん、ども!いまねえです。先日のzoomミーティングでも話題に出た「仕事いつまで続けるか」テーマ。つまみさんがここに書かれたことに集約されるなあと思います。かくいう私は60歳定年後、会社都合により退職せざるを得ず、それまで抱いていた65歳まで延長雇用で働く、の考えは崩れました。その後週2、3日半日ほどの職を探しだし70歳まで否80歳までイケるぞと思ったのですが。結局それも3年ほどで断念しました。体調不安、がその理由です。体調不安、というのも個人差があるのでそんなこと気にすることないわよ、と言われたこともあります。が危うく仕事に穴をあけそうになったその、一日のことがトラウマで、次もまた同じことが起きたらどうしよう、という大きなストレスとなって一層体調の不安定につながる悪循環、こんなことは会社勤め時代には感じたことのないストレスでした。会社員時代にも同じように急なトラブルで当日欠勤せざるを得なかった事もありましたが組織のサポートの有無、でしょうか。自分の体調に対する不安の強さは今回の比ではありませんでしたね。10数年前から突然始まった体調不良は今では慣れて「危ないぞ」と察して先手うって薬飲んだりコントロールできると思った矢先に足元をひっくりかえされるような大きな症状がでたこと、自分の体調が予測不能なものであると思い知らされたことが大きなショックでそれにビビってしまったのが本当の所でしょうか。zoomミーテイングで「70代になっても変わらないわ、大丈夫」と話された方がいました。ほんとうにそう思いますが同時につまみさんが書かれた「思い描く未来はいっかな来ない」、今はこれがいっそう身に沁みる、60歳過ぎても変わらずバリバリ動いているはずだった私は結局いなかったのです。まあそれはそれでなってしまったことは致し方ない、無職だからといって社会的な活動がなくなったわけではない、これからも自分の体調をなだめつつ寄る年波を泳いでいきます、それしかないなあ。。
つまみ Post author
いまねえさん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
いまねえさんが長く勤めた会社を退職して、徒歩圏内のお仕事に就かれたこと、その後の体調不安のこと、退職を表明してからの会社のどうかと思う対応、などはブログで拝読させていただいていました。
体調のみならず、確か同僚の方の度重なるシフト変更に振り回され疲弊なさったのではなかったかと記憶しています。
そうなんですよね。
非正規の方が休みづらい、仕事に穴をあけるプレッシャーが尋常じゃないってすっごくわかります!!
会社に出勤するのって、なんだかんだ庇護されてるものなのだと、私も会社勤めじゃなくなってから気づきました。
私も、ここ数年、年度あたまは1日で5クラスのオリエンテーションを組まれていたりするので「ぜったい休めない」という圧はなかなか重いです。
コロナ以降、それでもしょうがないときはしょうがない開き直るしかないわけですが。
思い描く未来、ホント来たことがないですねー。
これからは、体調様の仰せのとおりに動くしかないと思いますが、私も、大きな症状が出たら一気に宗旨替えをするやもしれません、きっとします。
仕事が完全終了したら、近所の学校でおしかけ司書でもしようかなあ。
小学校と中学校、迷うところです。
勝手に迷え?
寄る年波、一緒に泳いだり乗ったりして生きていきましょう!!