台風の夜の後悔。
台風がやってくるたびに思い出すことがある。
まだ、僕が小学生の頃のこと。おそらく、三年生だか、四年生だか、真ん中くらいの学年の頃だったと思う。
その日は学校で終わりの会をやっていた頃から、風が強くなり、雲が次々と流れ去っていくようになった。終わりの会の最後に、担任の先生は「今晩は台風がこのあたりを通過するという予報が出ています。まっすぐに家に帰って、お父さんお母さんと準備をして外に出ないように」と言い渡された。
家に帰ると、母はおにぎりをつくり、父は窓に板切れを打ち付けていた。隣近所でも同じように大人たちは右往左往しており、僕たち子どもはその足元で、大人に見つからないように人生ゲームをしたり、トランプをしたりしていた。
台風が来れば大きな被害がでるかもしれない、ということはちゃんとわかっていたのだが、それでも僕たちは父や母の影に隠れながら遊び、そして、得体の知れない何かがやってくることにワクワクしていた。
「そろそろ、子どもは寝なあかん」と父が台風速報をテレビで見ながら言い出したのはおそらく夜9時くらいのことだったと思う。台風でなくてもそのくらいの時間には「寝なさい」と言われていたので、おそらくそうに違いない。もしかしたら、あれやこれやに振り回されてもう少し遅い時間になっていたとしても不思議ではない。
僕は一つ違いの弟と一緒にとりあえず布団に入った。しかし、眠れるわけがない。僕と弟は布団を頭からかぶり、これからやってくる台風について、想像を交えながら話し込んでいたのだった。
そんなときに、僕はふと思い出したのだった。ベランダにセキセイインコのつがいがいる、と。このセキセイインコは父が買ってくれたものだった。
確か僕たちが学校近くで捨てられていた子犬を飼いたいと父に頼み、「犬や猫は絶対に飼わない」とけんもほろろに言われたのだけれど、なぜか「かごの中に入れて飼うものならいいと言われ、とっさに「セキセイインコがいい」と言ったのだったと思う。
それまで小鳥になんて興味がなかったのに、我が家はいきなりセキセイインコを飼うことになった。そして、セキセイインコのつがいがウチにやってきてわずか1週間ほどで台風がやってくることになったのである。
正直に言うと、僕はセキセイインコが好きではなかった。というよりも、鳥という動物を目の当たりにして、可愛いという気持ちがまったく浮かんでこなかったのである。
じっと見れば見るほど、羽毛の間から見える赤い血が透けて見えるような地肌がとても怖かった。目は愛らしく見えるのだが、下から上がってくる薄い半透明な膜がこれまた怖かった。極めつけは足を覆う鱗である。見れば見るほど、僕には鳥の中の爬虫類っぽさが恐怖を誘うのだった。
しかし、「セキセイインコが飼いたい」と言った手前、父にそんなことを言えるはずがなかった。僕はセキセイインコのつがいに歌を歌いながらエサを与え、名前を付けて話しかけた。
おそらく、父も母もそして弟も僕がこのセキセイインコのつがいをとても愛おしく思っていると感じていただろう。しかし、僕自身はセキセイインコを飼うことに、日に日に重荷に感じていたのである。
それでも、僕はセキセイインコが弱い動物であることもわかっていたし、できることなら家の中で飼った方がいいことも理解していた。しかし、父親は元々動物が好きではないので、「そんな鳥は、ベランダに吊しといたらええねん」と言い、実際にウチでは鳥かごはベランダの物干しにぶら下げられていたのである。
そこへ台風である。「お父ちゃん、インコのかごを家に入れてもいい?」と聞いたのだが、父の「大丈夫、ベランダなら雨はかからんやろ」という一言で、鳥かごは室内に入れられることはなかった。
そして、台風は僕たちが住んでいた地域を直撃して、翌朝には通り過ぎていた。
僕は台風が通り過ぎて、真っ青に晴れた空を部屋の窓から見ていた。そして、雀が鳴く声を聞いた。聞いてから、ふいにセキセイインコのことを思い出した。
慌ててベランダに出て鳥かごを見ると、セキセイインコのつがいは二羽とも死んでいた。おそらく強い風にさらされて、体温を奪われたのだと思う。父が言うとおり雨に濡れてはいなかったのだが、あっさりと死んでしまっていた。
僕がこの二羽のセキセイインコを恐れていたからだと思った。恐れるばかりで好きにならなかったことで、セキセイインコを死なせてしまったと思った。大好きなら、父に何を言われようと内緒で家の中に入れただろうし、風が強くなってきたときに様子を見に行っただろうと思ったのだった。
セキセイインコを死なせたのは僕だと思い、しばらくの間、死んだことを家族には言えなかった。恐怖と戦いながら死んだ二羽の亡骸をティッシュペーパーに包み、それをさらに新聞紙で包んで、近所の公園の持って行き、植え込みの脇に埋めた。そして、鳥かごをベランダの隅っこの方に隠したのだった。
いつばれたのか、今はまったく覚えていない。そして、死なせたことを知られてしまったときに父や母に叱られたかどうかも覚えていない。ただ、台風が来るたびに、子どものころほどではないにしても、小さな動物を死なせてしまった、ということをはっきりと思い出す。
そしてそれは、罪の意識というよりも、好きでもなかったものを飼いたいと言い出したことの後悔や、人と鳥が同じ空間にいるのはおかしいと思っていた父が間違っていたわけではない、という気持ちなど、いろんなことが複雑に絡んで思い出されるのである。
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在、神楽坂にあるオフィス★イサナのクリエイティブディレクター、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。
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okosama
uematsuさん、こんばんは
小鳥を飼うのって、難しいですよね。
子供のころ、縁側に置いたカゴでジュウシマツのつがいを飼っていたこと。その卵を狙って蛇が上がってきたことなどを思い出しました。
それにしても、「じっと見れば見るほどー」のくだりは、怖い…。
uematsu Post author
okosamaさん
小鳥って、なんだかか弱くて、でも毅然としていて、放置していいんだかまもらないといけないんだか、わからなくなります。
確かにちょっと怖いのかもしれません。
蛇が狙うというのも怖いです。