無限の想像力
先日、祖父の展示の様子を写真に撮っていたら、カメラがせっせと祖父の人形を顔認識していた。
「顔」として作っているのだからそりゃそうなのだろうが、カメラがこの人形たちを「ひと」と思って、あなたがた、ひとつきれいに撮ってさしあげましょう、と発動していると思うと、なんだかおかしくなってしまった。
カメラが「顔」を検出するしくみは、よくは知らないがどうも、目、鼻、口の3点の位置や、陰影や、そんなのをもとに割り出されているらしい。
そして、にんげんの目にも同じような機能があって、それは逆三角形のかたちに3点が配置されている造形これすべて、だいたい「顔」と認識するというおそるべき雑な能力である。
この世に存在するあらゆる「てんてんちょん」を顔とみなす驚異のメカニズム、これには「シミュラクラ現象(Simulacra)」という立派な名前があるらしい。
「シミュラクラ現象」…ミステリアスな響きだ。「ゲシュタルト崩壊」といい、認知学の言葉ってこういう感じなのか…(ちがう)
どういうことかというと、にんげんは他人や動物に出会ったときに、敵か味方か、安全な相手か、怒ってないかどうか、見極めるために本能的に相手の目を見てしまう。だから、顔と同じような配置(逆三角形の3点)のものを見ると、脳が自動的に「顔」と判断してしまうのだ、ということらしい。または、いちはやく「顔」を見つけることができると、生存率があがるからだ(たとえば茂みにひそむ敵を見つけられるとか)、というふうに書いてあるものもあった。
なるほど、小さいころ、往来の車の人相、ならぬ車相を見ては、これはひょうきん、これは悪者などと乗っている人の人格まで判断していたが、そういうことだったのか。
しかしこの「シミュラクラ現象」、いろいろ検索してみても、wikiか、wikiを元に書いていると思われる記事の情報しかでてこず、しかも当のwikiには根拠となる参考文献が提示されていない。
さらにもうちょっと深く掘ってみたものの、科学的根拠のありそうな文献や学術的なサイトにいたっては皆無…となると、少なくとも医学や脳科学分野の専門用語ではなさそうだ。
「シミュラクラ」という言葉じたいは「偽物」「似姿」「幻影」といったような意味の言葉らしいが、「〜現象」となるととたんにあやしくなる。どこからでてきたものなのだろう。
しかし、「シミュラクラ現象」出自の謎は置いておいても、車に家に、ポストに電柱、野菜の切り口…この世は顔、顔、顔だらけである。
我が写真コレクションにおける顔検出の一例。
そういえば、こないだつまみさんもこんなツイートしていた。→※
また、年輪や木の節に顔や動物を見出すこともある。
これは大好きな絵本、『ふゆめがっしょうだん』
この話をしていたらオットが、「向こうじゃよくキリストやマリアの姿って言ったりするよ。」と言ったので、へえ!こっちでも仏さまなんていって、大事にしたりするから同じだなと思った。
「あとは?」と聞くので、「だいたい動物かな」と言ったら、ものすごくおもしろがっていた。
このひと、今後しばらく動物さがしにはまる予感がする。
これも大好きな写真絵本。石に描き出されたあらいぐま、バイソン、猫、ワオキツネザル…ものすごくリアルな動物たちが、保育園のあちこちにひそんでいる。
また、人類のもうひとつの傾向といえるのが、丸いものをみると、何かと顔をかきたくなるという習性である。
モモちゃんも…
京都の八百屋さんも…
友人が、「おまえはこれが好きだろう」と教えてくれた。
こうなるともはやこけしとおじぞうさまの定義が混乱してきたが、大きい石(あるいは細長い石)に小さい石を重ねると、あらふしぎ、「ひと」にしか見えない。
立っているものあればつい人に見立ててしまう習性。
埴輪しかり、垢太郎しかり、にんげんはなぜ、思わずじぶんの分身を作ってしまうのだろうか。
太古のむかしからにんげんは、岩のさけめ、木々の重なり、山の稜線、草木の模様、ありとあらゆるものに何かの息遣いを感じとって、畏れたり、敬ったり、面白がったり。そうして、そこからものがたりが紡がれて、にんげんの想像力はほんとうに限りがない。
そこには、有機物であれ、無機物であれ、何かわからぬものに、知っている身近なかたちを見出して、じぶんのがわに引き寄せしたわしいものとする、そういう面もありながら、まるで逆のことを言うみたいだけれど、わからないものはわかろうとしないで、わからないままにしておく、という態度も感じることができる。
だから、勝手に解釈もするし擬人化もする、だってすぐ隣に在るこの大いなるものとは、意思の疎通もできないし、そもそもわかりあえるものではないんだから。
「見立て」という行為は、何かそういった、ひとと自然がわからないまま隣り合って生きることへの作法のようでもある。
そして、このことを書いているときに、ぐうぜん見つけたこれ。
初代館長のひとが集めに集めた、顔に見える石を展示してある個人の美術館!だって!
うわー…すぐに行かねば…。
石こけしについて教えてくれた友人が、八百屋の顔たちの写真を見ながら、
「ほんとうはさー、はらぷのおじいちゃんがさー、世間には居るのよねきっと。いっぱい。」と言っていたのだが、この石を集めた館長もまさにそうした一味かと思う。
おまけ
byはらぷ
※「なんかすごい。」は、毎月第3木曜の更新です。はらぷさんのブログはこちら。
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AЯKO
シュミラクラ現象、そんな言葉があるとは露ほども知りませんでした。私も頻繁に顔を見つけてしまう方です。
自分の勝手な見立てなのに、愛嬌を感じたり、恐ろしかったり、敬ったり、よく考えると不思議だね。「悪ミッキー」(もうそうしか見えない)とか言われて、猫は迷惑だよね(笑)。
自分が小さい時、猿と思っていた着物箪笥の木目を、今うちの子も「なんかの動物」と言っていて、ちょっと面白い。
はらぷ Post author
AЯKOさんこんばんは!
おお、AЯKOさんも見つけてしまう性質!なかま!!(笑)
着物箪笥のAЯKOさんの猿、お子さんにはどんなふうに見えてるんだろう。
こわいんだけど、「自分だけの動物」って思ってたりするのかな。
おはなしに入り込める性質っていうのも、無関係でもないような気がします。
こないだ職場のおはなし会でおにぎりの絵本読んだら、小さい子が絵に手を伸ばしてぱくって食べたの。それ見てそう思いました。
おとなになった今だって一瞬で飛んでけるしね(笑)