のんという名前の切なさ。
この話題は、前から何度か書こうとして、途中で挫折している。なんとなく書けば反感を買いそうだし、最後の最後、わかり合える気がしない話題だからだ。
アニメ映画『この世界の片隅に』が話題になった時、主人公すずの声優が女優の能年玲奈であることに驚いた人は多かったと思う。『あまちゃん』で人気者になった能年玲奈が事務所の移籍騒動であれこれあって仕事ができず、まるで干されたような状態になってしまったことを知っていたので、ここへきてやっと日の目を見た、という感覚を僕は持ったのだった。
「良かったな、能年ちゃん」という感じ。ただ、そうなると余計に、能年玲奈が本名である能年玲奈ではなく、「のん」という「いや、付けるならもうちょっとちゃんとした芸名の方が良いんじゃないの」と思いたくなるような、でも「なんとなく、この不思議な名前の方が本人の雰囲気を表していていいのかもしれん」という妙な芸名で活動していることがとても不憫に思われてならないのだった。
ただし、ネットなどを賑わせた「本名なのに使えないって、どういうことだ」とか「事務所はひどすぎる」という言葉にはなんとなく素直になれないのだ。ここのところが、書けば書くほど、説明すればするほど反感を買ってしまいそうで嫌なのだ。嫌なのだけれど、僕のように思っている人もいるかもしれない、という気持ちになって時々書きかけては途中で挫折してしまうのだ。
確かに、本名である能年玲奈という名前を使えないのは可哀想だ、と思う。ただし、実際のところはわからないのだけれども、芸能人が事務所をもめるということはよくあって、その際問題になるのはいつも、「ここまで育てるのにお金がむちゃくちゃにかかっている。それがちょっと売れ始めると、すぐに独立するというのは業界の掟破りだし、道理が通らない」という話だ。
いろいろあるけれど、ほとんどがそこが問題なのだと思う。すると、力のある事務所だと、そういう問題を全部表沙汰にならないように納めてしまい、当該芸能人を跡形もなく干してしまったりする。いまのSNSが発達している時代には難しいだろうが、昔はそういう感じのことがよくあった。
事務所が小さかったりすると、そのもめ事が表面にぐいぐい出てきて、タレントと所属事務所社長の醜聞合戦になったり、「お前、俺が付けてやった名前使うの止めないんだったら、対向して新・加勢大周をデビューさせるぞ」という珍妙なことになったりする。
能年玲奈の場合、それが本名であったということで話がより感情的な方向へ走ったような気がする。『いくら芸能人と言っても、本名を使えなくするってひどくないか!』という怒りだ。
この怒りはとても同調しやすい。正直、僕も「本名だけど、この名前で芸能活動してきたんだから、うちの事務所辞めるなら本名使わないで」ということに違和感を覚える。覚えるけれども、もしも、たとえば事務所との契約の中に「能年玲奈という芸名はブランドとして、事務所の財産として扱う。この名前で勝手に芸能活動しちゃだめだよ。また、契約違反があった場合、この名前で芸能活動するのは禁止しますよ」的な条項があったとしたら、それは守らないと、と思ったりもするわけだ。
なにも、本名を使っちゃだめだと言っているわけじゃなく、こんな掟破りのことしたんだから、能年玲奈というみんなで育ててきたブランド名で芸能活動はしないでください、という事務所側の気持ちもわかる。まあ、そこんところを太っ腹で受け流したほうが、昨今傷は浅くなる気もするけれども、僕には気持ちはわかる。
能年玲奈の独立騒ぎは実はあまりはっきりと報道されていない。なんとなくややこしいことが起こっているぞ。だから、干されたような状態になっているんだぞ。そして、無事に契約期間が終わったので、これからは「のん」という名前で活動するんだね。ということしかあまりわかっていない。
もしかしたら、「能年玲奈がものすごくややこしいことをしたのに、事務所はものすごく大人の対応をして、じゃあ、せめて契約書通り、能年玲奈という名前での芸能活動だけはやめてね」というところで納めたのかもしれない。だとすると、僕としては、無茶なことをしてしまった代償として、ものすごく大切な女優としての名前を封印することは「あり」だと思えるのである。
ただ、そこで聞こえてくるのは「でも、本名だよ」という声だ。僕はこの声が気持ち悪い。ああ、言ってしまった。「でも、本名なんですよ」という主張はごもっともだし、なんならここでちょっと声を荒げてもいいんだけど「そんなこと、世の中のみんなが知っとるわ!」と思うのだ。
なぜ、「でも、本名だよ」「本名を使えなくするなんて」という声に気味悪さを感じるかは、それを言ってしまうことで、事務所のきちんとした対応や、言えないけれども胸に秘めている能年玲奈の「のん」という名前で生きていこうとしている決意とか、そういうったものをすべて「かわいそう」という情で吹き飛ばしてしまうかもしれない、という気味悪さなのかもしれない。
いや、本当にそうなのかどうかはわからないんだけれども。だけど、そんなこともあるかもしれない、ということを考えながら話を進めるのが大人の会話だし、時には相手の立場に立つという議論の根本だと思うのだ。
まあ、簡単に言えば、「それを言っちゃあおしまいだよ」ということなんだが、特に「それを言いたくなる」ような内容の場合には、それを最終兵器のように使うのはたぶん間違っている気がする。だって、それはみんなが思っている話なんだよ。ということだからだ。君だけが気付いている話じゃないんだよ、ということだからだ。
ほら、案の定、話がややこしくなってきた。いかん、うまく説明できているんだろうか。だいたい、こういう話は面と向かってしてもだいたい堂々巡りになってしまうことが多い。それを一方的に論じるのではなく、「いやあの、僕はそんなふうに思うのです」ということが言いたいだけなんだけれども、難しい。
「のん」という名前を見聞きして、女優「のん」の仕事を見るのは楽しい。だけど、それを見るたびに、「本名で活動できなくて可哀想だ」と思っている人がいる、ということがなんだかとても切ない。
とりあえず、今回のところはこのくらいで。なんかものすごくすっきりできる書き方があるような気がするんだけどなあ。
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在、神楽坂にあるオフィス★イサナのクリエイティブディレクター、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。
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