父の七回忌、写真の配置
父の七回忌があり、実家にお坊さんに来てもらい法要を営んだ。
父がふいに重い病にかかって、あっと言う間に寝込み、まるで母に自分の命日を忘れさせないかのように、母の誕生日へと日付が変わった途端に亡くなってから六年が経った。本当にあっと言う間の六年という気もするし、それなりに長い時間だったような気もする。
しかし、父が亡くなったときに集まってくれた親戚も、この六年で一気に少なくなった。父の死後、ザッと数えただけでも、片手では足りない人たちが逝ってしまった。用意しなければならなかった仕出しの数が少なくなり、押し入れの奥から引っ張り出す折りたたみのお膳がひとつで済んだ。
焼香の盆を廻す時間も短くなり、いつもお願いしているお坊さんは「若い頃にやった事故の後遺症で、長いこと座っておらんようになりまして」と早々に帰っていき、僕は僕でマラソンで痛めた膝が長時間の正座に耐えられない。嫁は帯状疱疹の痛みにときおり顔を歪めながら、息子は髪の毛を脱色してYouTuberのような様相で手を合わせている。
手を合わせてくれている親戚筋のなかにも余命を宣告された人もいて、次の法事で集まったとき、いったいどれだけの人数がいるのかと、あまり考えてはいけないことを考えてみたりする。
たった六年の間に、僕は仕事の形態が大きく変わり、いろんなことに翻弄されながらも忙しく走り回っている。以前なら、それもこれも、きっと良い方向へ進むために必要な苦労だろう、なんて思えていたのだが、最近は、いやまあ、それが人生なんじゃないの、と思えるようになってきた。
そんなことを考えているときに、ふいに叔母さんの1人が、「あっ」と声を上げた。何事かとそちらを見ると、叔母さんは仏間の入口の襖の上の写真を見上げていた。そこには、ちょうど都合よく配置された鴨居部分に亡くなった爺さんや婆さん、そして父の遺影が飾られていたのだ。
「入口に遺影を飾るのは良くないんだよ」とその伯母が言う。すると、集まっていた何人かが「そうそう。それ聞いたことがある」と答える。試しに、うちの弟が写真を入口とは反対側、ちょうど部屋の奥の鴨居に移動してみた。 「ほら、なんかスッキリした」と伯母。うちの嫁も「ホンマや。なんか気持ちええなあ」と言いだす。すると、みんながそれぞれにうなずき、微笑みながら、新しい遺影の配置を眺めだした。すると、人間なんて単純なもので、さっきまで「それが人生なんじゃないの」と思っていた僕まで、「これから、いいことが始まるかもしれないなあ」なんて思い始めるのだった。
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在は、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師も務める。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。サイト:オフィス★イサナ
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はしーば
小津安二郎の世界が広がります。
植松さんの記事はいつもどこかしら物語的で、映画的。
ささくれ立った日常から引き離してくれる魔法があって、私にとってのサプリメントです。
uematsu Post author
ほしーばさん
そう言ってもらえると嬉しいです。
でも、親戚が集まったりすると、
人生とかを考えてしまいますよね。