『青春の上方落語』を読んで。
関西の落語は上方落語と呼ばれ親しまれてきた。戦前には小説や映画にもなった初代・桂春団治などの人気を誇る落語家もいたが、戦後になるといったん上方落語の火は消えてしまう。しかし、そんな中で、手を組み落語の伝統を後世に伝えようと立ち上がったのが六代目・笑福亭松鶴、桂米朝、三代目・桂春団治、五代目・桂文枝のいわゆる上方落語四天王である。『青春の上方落語』はそんな四天王の直下の弟子たちへのインタビューを小佐田定雄が編んだ物だ。
松鶴の弟子・笑福亭鶴瓶と笑福亭仁鶴、文枝の弟子・文珍、米朝の弟子・桂ざこば、春団治の弟子・桂福団治、そこに米朝の弟子である桂枝雀の弟子・桂南光という関西落語界ではすでに大師匠となり、ベテランの域に入った6人が登場する。破天荒な芸風で知られた六代目松鶴が上方落語復興のために細やかな心づかいで奮闘していたこと。端正な芸風で知られた桂米朝のいらち(せっかち)な性格を知る事になる稽古の付け方。いまや伝説となった四天王のことを知れるだけでもページがどんどんと進んでいく。しかし、それ以上の面白いのはやはり落語という伝統芸能の伝え方、伝わり方である。
「よけいなこと、すな!」と叱られながら、ときにはどつかれながら、弟子たちは「額縁を超えたらあかん。落語は額縁芸能や」と必死で師匠の真似をする。そして、いつしか「いつまで同じことしとるんや」と怒られるまでに成長していく。
昔からある型を引き継ぎながら、時代を反映し新しい落語にしていく。そのために伝え方が落語にはきちんと継承されている。そんなことをこの本は教えてくれるのである。そして、桂福団治の項に登場する桂枝雀とのやりとりに僕は愕然とするのである。桂枝雀と桂福団治は師匠が違う。同じ桂とついていても、枝雀は桂米朝の弟子であり、福団治は桂春団治の弟子である。しかし、2人は全くの同期で若い頃から一緒に修行し、互いに落語論を戦わせた仲だった。前述の額縁芸能であることを必死でといていたのは型破りな爆笑型落語をしていた枝雀だったらしい。そして、早逝した枝雀は晩年、自分が客から求められていた爆笑型の落語よりも端正で伝統的な落語への回帰を願っていたという話が登場する。
晩年、二人会をしたときに、できるだけリアルな演出に徹した落語を披露した福団治、それに対して枝雀はいつも通りの型破りな落語で客を大爆笑させて講座を下りた。その時、枝雀は「わし福さんうらやましいなあ。福さんはええなあ」と泣きそうな顔をしていたという。
いまも寝る前には枝雀落語を聞いている身としては、「そうだったのか」と愕然とするばかりだ。気落ちしてしまう病気だったからと言えばそれまでだが、自分自身が完成させたとも言える爆笑型の落語に縛られ身動きができなくなっていたのかもしれない、と思うだけで心が締め付けられる思いだ。
落語、特に古典落語は内容が同じなのに、演者によって客に受けが全く違う。だからこそ、他の芸事にくらべて自殺するものの数も実は多いのだと言う。ネタのせいにも相方のせいにもできない。すべてが自分の責任となる伝統芸能。その中でも一人舞台に上がる芸事だからこそ、師匠を持つ、弟子を持つということが大きな意味をもってくるのかもしれない。
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在は、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師も務める。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。サイト:オフィス★イサナ
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アメちゃん
20代のころ、何度か枝雀さんの独演会に行ったり
テレビの「枝雀寄席」もよく見てましたー。
あの身ぶり手ぶりはげしく、声色やイントネーションを変える芸風が
本当に面白くて、涙流しながらお腹よじって大笑いしましたけど、
なんていうのかなぁ…。
枝雀さん自身が、あの芸風を意識しすぎてる気もしました。ちょっとクドいっていうか。
もしかしたら枝雀さんにとって、あの芸風はもう新鮮味がなくなってたのかなぁ
と思ったりします。気持ちとズレてたのだったら、つらかっただろうな。
枝雀さんの型通りの落語、観てみたかったですね。