◆◇やっかみかもしれませんが…◆◇ 第77回 もうひとりの兄のその後 前編
4月の次兄の話にはたくさんの感想をいただきました。ありがとうございました。(記事はこちらです⇒★)
こちらのコメント欄だけでなく、DMを送ってくださった方も複数名いらした。そのメッセージの中では、それぞれの方の「次兄」(弟や姉妹や父母だったりするが)がいろいろやらかしていて、自分ちだけが特殊だと思っていた若い頃のわたしに教えてやりたいと思った。
でも、きっとコトはそう単純ではないのだろう。十代の自分が「変な家は自分のところだけじゃない」と知ることで多少救われることがあったとしても、今のこの年齢で感じる「肩の荷がおりる感じ」まではたぶん味わえない。人生のバリバリ後半ゆえに、次兄について書くことは自分を思った以上にすっきりさせたのだった。成仏とは、死を主軸にしたプロセスでは必ずしもないと知ったとでもいう感じ。二親等以内の身内のそれを、ごくごく一部とはいえ生きているうちにできたことはわたしを存外ラクにしたのだった。
‥と思っていた、まさにその矢先、次兄Yから着信があった。前回の記事でも書いているとおり、生存確認の着信は毎月25日に設定している。5月の着信はすでに完了済みの29日のことである。もしかして「妹は意外と自分を心配しているようなので今後は連絡を密に入れることでじょじょに距離を縮めて自分の優先順位を上げよう」という魂胆じゃあるまいなと警戒した。
なんて心が汚れてるんだ!と思われそうだが、次兄はわたしにとってこの分野では前科百犯ぐらいのイメージなので致し方ないのである。
そんなわけで、用件を聞かないうち‥要するに電話に出る前から「いっときでもすっきりしたと思って損した。自分はとんだお人好しだった」と思って電話に出たわけだが、次兄の最初の一言は想定外だった。
「一昨日の朝起きたら顔の半分が麻痺してた」。
突然、顔の右半分が下がって、眼も口も思うように開かず、視界は狭まり、食事も不自由なのだという。一日、謎の様子見をし、全く状況が変わらないので翌日、近隣の大きめの病院に行ったら、なぜすぐに来なかったのだと叱責され、すぐに検査フロアに連れて行かれたそうだ。
結果的に、医師が疑った脳梗塞ではなかった。MRIも心電図も血液検査もまったく問題がなかったのだった。原因が特定できず次に回されたのは耳鼻科だそうで、今、そこからの帰りだという。検査入院を勧められたが、なんとか通院でお願いしますと言ってきた、という次兄の口調にはどことなくひと仕事終えた達成感がにじみ出ていた。
こういうとき、わたしはすぐに判断ができない。自分がソッコーで動くべきか否かの判断だ。夫の家族に対してはわりと行動が早かった記憶があるので、これは肉親に対してのみ発動する逡巡のようだ。初動の感情が「すぐには駆けつけなくてもいいのではないか→できれば駆けつけたくない」なのだ。今回もとりあえず電話を切って、その日の夜に夫に「いや、やっぱり早めに顔を見てきた方がいいと思う。なんなら一緒に行くよ」と言われて初めて、やっぱりそうだよなあと思った。
運よくというか、残念ながらというか、翌日からわたしは三連休だった。気持ちが変わらないうちにと次兄に電話をしたら、明日は清掃の仕事に行くつもりだし、明後日は雨なのでちょっと‥と言われた。それで3日後に行くことになったが、家は散らかっているので来られても困ると言われた。ナニサマだ。まあいい。待ち合わせを埼京線の駅にした。
ところが当日、家を出ようとしたら電話が来て、やっぱり京浜東北線の駅にしてくれと言う。ちなみに次兄の住まいはどちらの駅からも自転車で15分程度の距離だという。わたしが「直前の変更はなるべくしないでほしい。こっちの都合だってあるんだから」と言うと、「へっ!?京浜東北の方が早く着くんじゃないの?」と気遣ってやったのに心外だと言わんばかりだ。そういうとこ!電車のタイミングによっては遅れるかもしれないからと渋々承諾し、結局待ち合わせの5分前に到着できたが、かつて「約束の1時間前には来ていた伝説の男」はもちろん、あたりまえのようにそこに居た。
会うのはいつ以来かよく覚えていない。久々に見る次兄は、事前の予想どおり髪は薄くなっていなかったがすっかり白髪でうねうねしていた。加齢とともに髪のクセが強くなる現象の体現者で、白髪の長めのうねうね頭は一歩間違えると小泉元総理だが、顔はどっちかというと前野朋哉似だ。そして「あ、わざわざどうも」と話す顔は、マスクをしていても右側が垂れているのが一目瞭然だ。目なんて「それで見えるの?」レベルだ。
昔読んだサザエさんを思い出した。サザエとマスオが出かけようとしているのだが、サザエはものもらいができ、マスオはソックスの右左が違う。「でも、今日はいいか」とふたりが向かう先はピカソ展というオチ。次兄に向かって「ピカソ展かよ」と言いたくなったが、もちろん言わなかった。

見つかった!これこれ!!
麻痺のせいでうまく飲食物を口に入れられないのでお店に入りたくないと、駅に近い大きめの公園に行った。自転車を押す次兄の後ろからついて行ったが、相変わらず痩せていて肩幅がなく、歩き方にクセがあって後ろ姿が情けない。耳が遠くなったのか、信号待ちで話す声がちょっと大きくてそれが社会性のなさを示すようで恥ずかしく、そんなふうに思う自分が不快でもあった。
公園はけっこう家族連れが多く、昼どきのせいもあってか日陰のベンチは空いていなかった。かろうじて半分日陰の席に落ち着いたが、目の前をこどもたちが走り回ってうっとうしい‥と思いかけ、公園だもの、こどもは走ってナンボじゃないかとおのれの料簡の狭さに軽く落ち込む。それもこれもこういう状況、要するに次兄のせいだ、と思う。
公園前のコンビニで「昼まだだろ?なんか食べる?」と言われて選んだ(お金は次兄が出した)ペットボトルのお茶とサンドイッチを次兄はエコバッグから出す。それは白い布製で、自転車のカゴのサビが付着して、ちょっと見には古い血痕のようだ。ベンチに座って最初にわたしが発した言葉は「エコバッグ、たまには洗った方がいいよ」だった。次兄は「そうなの?」と言って自分のペットボトルを開けて飲んだが、半分ぐらい地面にこぼし「こういう感じ」と言った、まるで自慢げに。
電話で聞いている以上の報告はその後、特になかった。次兄は準備よく最初の検査の結果をクリアファイルに入れて持ってきたが、血液検査以外で素人のわたしが状況を理解できるものはなかった。耳鼻科での精密検査は週明けの予定だ。血液検査で血糖値の値を示す HbA1cの値が5.5と美しい正常値で、そのことに妙にムカつく。
わたしは、自分の体調にあまり自信がないことを軸にして、夫の母の現況や自分の仕事も引き合いに出し、頼られても力になれない可能性が高いことを示唆した。ありていに言って予防線を張ったのだ。実際は次兄の状態によっては動かざるを得ないかもしれないとは思っていたが、ハナから頼りにされたくはないのだ。次兄は「わかってる。だから入院しないで通院で検査したいって先生に言ったんだから」と、まるで自分は今までもそうやって迷惑をかけないようにしてきたみたいな言い草だ。どの口が言う?と思ったが、妙に記憶力のいい次兄には今回、過去に親や兄妹にあれこれ迷惑をかけた以外に記憶を呼び起こしてほしい分野があったので黙って頷いた。
それは父親の過去だった。
続きは明日!
by月亭つまみ