さよならだけが、人生だ。
さよならだけが人生だ、という詩は誰が書いたのかと調べてみたら、漢詩だった。それを井伏鱒二が訳した。
このさかずきをうけてくれ
どうぞなみなみつがせておくれ
はなにあらしのたとへもあるぞ
さよならだけが人生だ
とても平易な言葉で書かれた、でも、とても難しい詩だと思う。わかる気がする。でも。本当にそうなのか、という気もする。だけど、きっとそうなのかもしれない、と二回りほどしてからスッと腑に落ちる感覚。
さようならと手を振る。いずれ、またと会釈する。でも、きっとまた会うことはないし、たぶん、会う必要はない。そんな気分になることがある。
花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが人生だ
ときどき、「さよならだけが人生か?」と疑問を投げかけたくなることもある。だけど、本当の別れは「さよならだけが人生だ」と踏ん切りを付けた方がすっきりとする。
理由をいろいろ考えれば考えるほど、そんな小さなことは本当の理由ではない、と思い至ってしまうようなことがある。それはきっと、本当の別れだからだろう。
花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが人生だ
だから、なんにも考えず、「さようなら」と手を振ればそれでいい。
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在、神楽坂にあるオフィス★イサナのクリエイティブディレクター、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。
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アメちゃん
あー、私の好きな詩です。
いろんな人や物と出会っても、それには必ず別れが付いてくるので
なにかと出会うのも、切ないと言えば切ないですよね。
でも、さよならの切なさがあるから
人も人生も愛おしいのかなぁと思ったりしますが
突然のさよならはツラいですね…。
なんとなくなんですけど、日々のさよならのときも
「じゃあね」とか「またね〜」っていうよりも
「さよなら〜」って言うのが好きです。
uematsu Post author
アメちゃんさん
さよなら、と言う言葉が僕は大好きです。
切ないけれど、ちゃんと言わないと、と思う言葉です。、
もしかしたら、もう会うことはないのかな、
という予感がする別れがあります。
そんな時、いろいろ伝えたいことがうかんできて、
思わず口をついて出そうになる。
でも、少し立ち止まって、その言葉を確かめると、
なんだか、自分を弁護するような、
言い訳のような言葉ばかりで、
思わず唇を噛んでしまう。
そんな、さよならをなんども経験したのに、
それでも、さよならは、なんだかいつも、
唐突にやってきては、
僕たちを翻弄していきますね。
izumi
こんにちは。
私もこの詩は大好きです。
漢詩の本来の意味は
「さよならだけが人生だから
この出会いを、今のこの時間を大切にしよう
くよくよせずにさあこの盃を飲み干してくれ」
だったと思います。
別れを惜しむ友人に
酒を注ぎながら作ったとされる詩ですね。
いってきますと言って出て行った家族が
無言の帰宅をすることもある世の中。
きちんとさようならを言える別れは
よいものなのかもしれませんね。
めーめ
すごく、すごく…今の私の心に刺さりました。
さよなら、と言う前にたくさん伝えたい事があるのに…あるような気がするのに…言葉にした途端に空っぽになってしまうような感覚
切ないけれど、ちゃんと言わなきゃいけない言葉…さよなら言えたら、自分の心も落ち着くのかもしれませんね
何十年も生きてるのに、ダメだなぁ…笑
uematsu Post author
izumiさん
いい詩ですね。
そして、井伏鱒二の訳が本当にいい。
別れ際が大切とは、よく言われることだけど、
本当だなあ、と思います。
日々、そのことを忘れないようにしないといけませんね。
uematsu Post author
めーめさん
言いたい言葉と、言わなくちゃいけない言葉と、
そして、言わなければよかった言葉。
別れの時は、次がないだけに、
いろんな言葉が宙ぶらりんになってしまうことも多くて、
より強く心にのこってしまったりしますね。
いやほんと、何年生きても、
別れには慣れません。