わたしをライブに連れてって♪
私の下より、介護のハナシ
『カイゴ☆デトックス 2』が届きました。
こんな風に、闇を冊子にできるなんてさすがOVER40!!
今回の冊子を読んで、多くの方が介護そのものの労力ではなく、兄弟間、兄弟と被介護者(両親)との三角関係、について話していたことにスルーせずにはいられませんでした。
下の話よりも、感想を書きたい。いや、闇を吐き出したい。
まだ、介護の入り口を覗いている状態ながら徒然に勝手に書きます。
お許し下さい。
わたしは、次女が生まれた10年程前、近くに住む実母がうつ病になりました。その後、骨折、乳癌、またうつ病、癌・・・現在、そのループです。幸い父も元気で、総合病院まではタクシーでワンメーターという立地条件で、体力的に自分を奪われるようなことは、まだありません。
そうはいっても、仕事も子育ても忙しく、毎日を回していくだけで精いっぱいの中、母の病気に常につきあってきました。
たまに来てちやほやする弟夫婦(とはいえ、車で1時間程度の距離)が
「こんなものをくれた」「仕事が忙しいのに来てくれてありがたかった」としれっとのたまい、モヤモヤがボディブローようにきいてきます。
辛抱たまらず、「わたしはフルタイムで子育てしながら、仕事帰りに、直行で毎日病院へ行きました。」そう告げても、
母は、「そう?」「あんた僻みっぽいね」
本人は、全く覚えていないのか、もしくは、娘として当然のことだから記憶がないのかもしれません。
毎日のお茶より、1回のケーキか・・・。
そして、カリーナさんの姉に絶対服従の記事が目に。
ああ、長女の宿命なのか、と。
私も、カリーナさん姉と同じような思いを
胸に秘め、思春期を過ごしていました。
小学生時代、祖母と同居するため、父の田舎へ転校。
父の実家とは様々な確執があった末での同居。
何も知らない弟は、祖母を慕い、長男として可愛がられ、何も知らない従妹たちもまた然りでした。
祖母の存命中、対立構造をうまないよう、母が辛くならないように、周囲に忖度しながらやってきました。
常に祖母が主役となる冠婚葬祭を苦々しく見ていた母をみて、精一杯、気をまわし自然な理由で祖母が来れない遠隔地で挙式しました。
祖母のお葬式、涙を流すみんなをカリーナ家同様、一人、しらけた気持ちで見ていました。毎日接していた祖母の死は誰よりも悲しくもあるけど、乳癌で母が先にいったら、私が見るんだという不安がなくなった安堵感と、忖度生活が終わり、これからは堂々と母と仲良くやっていけるという喜びもありました。
これらの思いをだれにも話したことはありません。
言葉にしなくても、少なくとも母はわかってくれている、そう信じていました。
母からは、そんな気配はまったくみえず・・・確執は深まるばかり。
もういいオトナなんだから、距離を置けばいいんだと思うけれど、
それでも、ボケてしまい、私のことがわからなくなる前に、
一度でいいから「みんながいてよかった」ではなく、
「”青豆”がいてくれてよかった」と言われたい一心で、
母に尽くす少女の自分がいます。
傷つかないように距離を置こうと思っても、
また、心に鎧をつけて対戦してしまう・・・。
介護のトンネルに入る前に、この思いと決着しなければ、渦に巻き込まれてしまう。
今までの思いを話すべきか、迷い続けて10年。
弱った母を看ると「このまま胸にいれておけばいい」
「話して誰が得する?今さら話しても母が傷つくだけ」
と何も言えなくなり、
元気になった母を見ると「こんなこといっても一蹴されて、傷が深くなるだけ」
「心の底では、”わたし”がいてよかったと思っている」という砂の城が崩れてしまうのではないかと怖気づいて何も言えない。
それでも、結局、この先、面倒をみるのは自分だと思っています
実際に、介護の真っ只中にいる方からしたら、甘っちょろい話で不快に感じたらごめんなさい。
追伸:
カリーナさんの”愛せねえわ あんたが他人事として期待するようには!”
には激しくヘッドバンキングです。
「乗り越えられない試練は与えない」
これは、相手の動きと言葉のすべてを封じ込める魔術ですよ。
選ばれし勇者だったら、勇者の証を額に出してほしいですよね。
そこ押したら、無限能力発生みたいな。