わたしをライブに連れてって♪
THANK YOUオンラインライブ&カリーナさん
最後のライブに行ったのは、ちょうど去年の今頃かも。わちゃわちゃしているうちにもう、1年が過ぎたんだ。
新しい生活様式とかなんとかいうけれど、私の日常はさほど変わらないよな、なんて思っていた。
いつもどおり出勤し、入学式だって、運動会だって、内容も順序も変わらなかった。娘たちの制服も校舎も行事も私が10代の頃となにも変わっていない。映像でみたら、突如、SNOWアプリで全員マスクがつけられた加工映像みたいだ。
でも、振り返ってみたら、去年の今ではやったことがないようなことが、もう既に日常になっていた。zoomとか透明のマスクとか(笑)。
そして、ついに、オンラインライブなるものを初体験した。
正直にいうと、ライブ音源を配信するものは、一度でもその会場に身を置いた人でなければ、つまらないと思う。圧倒的な音量と音圧、熱気、それが脳内で記憶が増幅されないから。それでも、地方に住んでいたり、その時間に出かけることができない人にとっては救世主だ。
その中でも、すごい!!と感動したのが小沢健二の「キツネを追ってゆくんだよ」というポエトリーリーディングライブ。

お洒落スリリングな「視る書籍」、11/24に演ります。書下ろしの手紙、連発
幻の2020公演の演出リハ公開、セット痛快ウキウキ的
テーマ曲『キツネを追ってゆくんだよ』新曲(口笛)
視聴はパジャマ着用で
楽しく就寝へ!「小沢は音楽だけやれ」と言う方はスルーでどうぞ。エッセイ、ツイートをお好みの方はぜひ!
いったいどんなものなんだ?歌うのか?手紙って新曲のこと?
?マークの中、チケットを購入した。
PCやタブレットで見ることを意識した映像。
凝りに凝ったセットの中、生配信で小沢健二が書き下ろしの詩を朗読する。
歌はなし。途中のセット替え調整時間にはオザケンワールド全開な映像やスチャダラパーBOZEくんとの対談を挟み、手紙という名の詩は読まれ、物語は進んでいく。
それは、私だけに書かれた1冊の連作小説を読むようだった。
ヘッドホン越しに聴く、小沢健二くんの声は、多数ではあるけれどひとりに向けられ、そして、それを見て聞いていたわたしたちオーディエンスは、決して互いを見ることもないけれど、オザケンの放つ言葉を通じてつながった。
なんか、まだいける。
そんな気がした。
ライブのように「わーっ」と拳をつきあげることも、大熱唱することも、リズムに体を揺らすこともないのに、満ち足りた時間を過ごした。
そして、大袈裟かもしれないが、なんだか新しいものが生まれる時代、まさにその瞬間に立ち会ってるんだという高揚感すらあった。
そして、そして、ついにあの名書籍を読んだ。
仕事の合間じゃなく、ゆっくり向き合って読みたかったのだ。

病院の廊下、役所のカウンター、会ったこともないカリーナさんのすぐ横にいるかのように読んだ。
泣きながら、笑いながら、また泣きながら。
カリーナさんの生み出す言葉は、どうしてこんなにも突き刺さるんだろう。こんなに自分を切り刻んじゃっていいのかと思うくらい、どこを切り取っても真実そのもので、そして、いつでも関係のないわたしのぐちゃぐちゃの脳と心の中をひょいひょいとつなげ合わせてくれる。
介護のことを書いてあっても、たるんだお腹や夕飯のことを書いてあっても、カリーナさんの言葉は、わたしの心の中で蓋をしてあるものをそーっと取り上げ、ふっと埃を払い、そして、また、そーっともとに戻してくてるのだ。こういうのがタマシイに触れるってことなのかな。
自分の意見を言っている、という人も、自分のコトバだと思いこんでいるだけで、カリーナさんや、このOVER40で書かれているみなさんのように、ほんとうに自分のコトバで言葉を発する人は数少ないと思う。
このサイトやカリーナさんのブログに出会ったことは、コロナ闇で出会ったオザケンのライブのように、アラフォー闇の中にいたわたしにとって放たれた一筋の光でした。”OVER40””カリーナさん”が空中に放った言葉は、わたしに刺さり、見たことも会ったこともないだれかと心がつながっていく。
お涙頂戴でもなく、拳を突き上げて「ムーブメント起こそうぜ!」でもなく、「人間だもの・・」と達観するでもなく、「それでいいんだよ」と異常なまでに寄り添うわけでもない。見栄も理想も現実もどれもごちゃまぜで本当で、ときには意地悪い視点や穿った見方もあるけれど、やっぱり心根は優しい、THEオバ・ダイバーシティがここにあったのです。
この本が世に出て、多くの人がカリーナさんの言葉と世界を体感してくれると思うと感謝感激ヒデキ感激です!!
この場を借りて、カリーナさんとOVER40にただただ感謝します。ありがとうございます。
みなさん、ちょっと早いですが、良いお年をお過ごしください。