天気の話
今日は、朝から強風が逆巻いている。
ときどき、なぐるような風のかたまりが飛んできて、オットは自転車でしごとに行ったが途中でぱったり倒れたりやしないか心配だ。
上空は青空、雲がはやい。風は西から吹いている。
ここのところ不思議と暖かい日が続いていて、最低気温が7、8度ほどもある。最高気温も10度くらいなので、一日ほとんど気温が変わらない感じである。
東京の冬は朝方が格別寒くて、気温の変化が10度以上もあることはざらだ。東京のほうが今は寒く感じるだろうなあ、きりっと冷えてかわいた関東の冬が少し恋しい。
こちらでときたま晴れた日があると、おお、正月っぽいな!放射冷却!と思う。かすかに何か燃やしているような香ばしい匂いが漂ってくるのも同じである。
12月最初の週末、イギリス北部は寒波に見舞われて、この世のすべてが凍りついた。
もともと空気が湿っていて水っ気が多いもんだから、木の枝、葉っぱや木の実、家々の鉄製の柵や門、屋根など、ぜんぶの輪郭が霜と氷にふちどられたと思ってもらいたい。雪が降っていないのに、世界がこんなに真っ白になるのかとおどろいた。
そして、ありとあらゆる蜘蛛の巣も凍って可視化され、世界は蜘蛛に満ち溢れていたんだねえ…!と、オットと感心した。なんか、懐中電灯をあてたり、扉をひらいたりすると普段見えないものが…みたいな仕掛け絵本あるけれど、そういう気持ちである。
真っ白に閉ざされた世界はナルニアそのものだった。あれはファンタジーの世界だと思っていたけど、本当の世界だったのか。
いつタムナスさんが横切ってもおかしくない。
そしてこんな寒い日でも、人々はせっせと野原や林を歩いている。
こちらのひとは、ほんとうによく歩く。ひとつには犬を飼っている人が多いからだが、どんな天気の日にも、長靴をはいてレインジャケットを着た人たちが、早口でなにかしゃべりながら歩いているのに出くわす。それを見ているわたしたちもまた出歩いているわけだけど。
人々は天気の話ばかりするけれど、天気に左右されたくないと思っているような気もする。ものすごく左右されているんですけど…。
そして、天気の話は情緒というよりは、生活必需品なのだった。なぜなら、知らんもの同士が話す機会がめちゃくちゃ多いからである。
バス停で、図書館で、入った店で、目が合うと(というのは北部においては比喩ではない)人々は言葉をかわす。
だいたいは、バスが来ないとか、ひどい天気だとかたわいのない文句からはじまって、どうかするとバスに乗ってる間中話していることもある。
最初は、けっこう固有名詞が頻発してプライベートなことまで話すんですね…!と思っていたけど、あにはからんや立ち入りすぎない絶妙な塩梅で、さすが手練という感じである。
いろいろ文句をいうけれど、言いたいからいうだけ!という感じで、結局は「Oh well」と、深刻になりすぎないのもうまい。自分の本質は振り回されていない、という美意識なのかもしれない、と思う。こういうとき、義母のことを思い出す。
そういえば、義母はけっこう社交がうまくて、いったん人と話すとなればすごくウィットに富んだ会話ができて、自身も楽しんでいるように見えるのだが(じっさいそのときは楽しんでいたと思う)、そういう場に出かけていくのがものすごく嫌いだった。
そういうシャイさ(あるいは人嫌い)を隠し持ったひとはけっこうこの国に多い気がする。そんな人たちが、うっすらとした嫌気と、自身では認めたくないかすかな喜びを隠して、べつにしなくてもいい会話をかわしあっていると思うと、なんともいえない愛着を感じる。
今、外の電線がびゅんびゅんうなってすごい音だ。これから図書館のボランティアにでかけるけれど、スカートは足に絡まるからズボンだなあ。図書館についたら、みんなこのすごい風について文句を言うんだろう。
まもなく2023年が暮れていく。今年は本当にいろいろなことがあった。
しかしやはり、この国でも、日本でも、人に助けられて生きているなあという実感がある。
わたしが「にんげんっておもしろい」と思って生きていられるのも、みんな人のおかげである。
感謝感謝
(これは、祖父の口ぐせ)
byはらぷ