〈 晴れ 時々 やさぐれ日記 〉 「ああ、ランジェリー。理想と現実のあいだ 」 その二
――― 先週に引き続き、「ああ、ランジェリー」その二。主婦は届いたばかりの下着を手に脱衣室へ向かう、というところからのつづきです。―――
「 顔立ちに合った髪型、スカート丈に合った身長があるように、服に合った胸というものがあるはずだ、とファッションのプロの彼女は言う。日本人はこれだけおしゃれになったのに、胸に関してだけは、まだまだベスト・プロポーション神話に惑わされているのではないだろうか。ブラで作り物のような胸にしたところで、少しも魅力的ではない。それより自然な自分の胸のほうがずっと可愛いということに、みんな気づくべきじゃないかしら、と。
~ 光野桃 『 ソウルコレクション』 心にエネルギーを補給する40の物語 より ~ 」
脱衣室の姿見の中をなるべく遠い視線で眺めてみる。「ベスト・プロポーション神話」からは卒業済みなので、背筋がのび、胸がひらき、気持ちがこの狭い脱衣室を出て、「外へ」向かうかどうかが肝心だ。まずは不自然さがないかサイズをチェックをする。次に下着の色と自分の肌との対照を見る。上から薄手のものを着て、前 横 後ろの確認をする。
不思議なものだ、と思う。「これはいけそうだ」という予感は、だいたい身に着ける前にわかる。その逆もまた同じ。「これはいけそうだ」というやわらかで新鮮な予感が、わたしをすでに「やさぐれ」から立ち直らせてくれている気さえする。
一枚の新しい下着を身に着ける。その瞬間、先ほどまでの沈んだ肌が、ほんの少しだけふわっと明るい透明感をとりもどす。新しい下着の上から薄手のブラウスを着る。なぜか、体に軸が通った気がする。これらの変化はごくごくかすかなものだから、わたし以外の誰一人気づくはずがない。そもそもわたしには、下着姿をひとに見せる欲求はない。このあたりは、ジョージさんの連載と 少しだけくみしないところ。
その手のことは、美しい姿態に恵まれた方におねがいしたい。これは負け惜しみでもなんでもなく、氷上のスケーターや、陸上のアスリートに向ける快哉とまったく同じ気持ち。
それでも。今手にしたこの一枚が、わたしをそっと支えてくれる。代わり映えのしない普段着の下、わたしと外との境界に、この一枚があることが、密やかな、蜜のような、何にも代えがたい「支え」になる。ひとの目も話相手もないお決まりの家事。近所のスーパーでの普段通りの買い物。けれども実は、わたしと同じ体温の、物言わぬ静かな友がすぐそばにいる。わたしのこの内なる(?)変化に気づくひとはいない。それでもわたしは、誰かとゆっくり対話をしたあとのように、深い呼吸を取り戻している。「これはいけそうだ」という一枚に出あえた瞬間、「やさぐれ」はすうっと、どこかへ遠のいていく。少々の出費とともに。
下着、といえば思い出す女性がいる。「鴨居羊子」。思い出すとはいっても、子ども時代の母のつぶやきの中でのこと。あの頃、母が鴨居羊子の何を語っていたか、細かいことは忘れてしまった。ただ、何か独特な熱をこめて、「鴨居羊子」の名を口にしていたことだけが記憶に鮮やかだ。
大人になって、「鴨居羊子」の著作や彼女の評伝を少し読んだ。戦後の日本の下着文化の開拓者。1950~60年代に活躍した、アヴァンギャルドで魅惑的な女性。鴨居羊子。
「 鴨居羊子ってどんな人? カラフルな色・デザイン・素材・キュート、セクシー、ユニセックス──今では当たり前のように手に入るこうした下着を、誰も思いつきもしない時代に投げかけ、時代の寵児となった人。新聞記者から下着デザイナーになった人。下着会社を経営し、絵を描き、文章を書き、フラメンコを踊り、料理を作り、動物と心で触れ合い、寝たきりになった母親の面倒も長くみた、そういう人。天真爛漫で、食いしん坊で、キュートな気持ちを持ち続けた人 ~鴨居羊子コレクション第一巻解説「とびっきりキュートでハスッパな一人の天使」より~ 」
当時の女性たちが醸し出した独特のパッションを、子どものわたしは背丈の上30センチくらいのところに感じていたような気がしている。「わたしがわたしであること」を封印されていた女性たちが、殻をやぶって街に出ようとした時代。旧習や揶揄や批判をおそれず、小さくて大きな革命をおこしていった時代。本で読む鴨居羊子は、あの時代の体現者のようにわたしには映る。
時は流れ、わたしたちの周りには情報とものが溢れている。あの時代、あるいはそれよりもっと以前、女性たちが起こしたような熱や風が今もまだあるのだろうかと見回してみる。革命後、宴のあと。風の吹く向きの変化。足の指のすきまから、熱を失った砂がさらさらと抜け落ちていくような感覚がある。
おっと。またまたはなしがそれた。なんだかんだ言いながら、身勝手なわたしはとにかく、今の自分のこのちっぽけな身の丈と、今の自分の心象にフィットする下着が欲しい。贅沢は言わない。「ほどほど」のものがいい。けれども長いこと、そういうものを探しあてるのには苦労してきた。鴨居羊子の時代より、町にはたくさん下着があるのに。
光野桃とそのご友人は、「日本人はこれだけおしゃれになったのに」と今の日本の下着文化にご不満な様子。ファッショニスタの彼女たちの視界に、わたしがいないことは明らかだけれど、今の日本の下着文化に不満があるというところには、ここで小さく賛成の手を挙げる。
新聞記者だった一人の女性が、他人がつくったものを批判する側でなくつくる側になりたいと、新聞社をやめて下着革命をおこした。その情熱に憧れる一方で、「ほどほど」を口にするのがわたしの理想と現実。「ほどほど」の現実。「ほどほど」の下着。国産下着メーカーさん。わたしはこんなところが不満です。
―――「不満」の糸をあとに引いて、やさぐれサヴァラン、本日は失礼します。みなさんは下着に満足?それとも不満?どんな下着が今欲しい?よろしければお聞かせください。そうそう、そもそもみなさん、やさぐれる?やさぐれるとしたらどうやって立ち直る?そんなことも伺ってみたい今日このごろです。―――
爽子
たくさんの本のご紹介ありがとうございます。
読みたい本リストに、さっそく入れました。
体型の悩みもありますし、ココまでは、お金出せない。。。という、個人的なみみっちさもあって、
「ほどほど」の着地点を探るのは、難しいですね。
わたしの娘時代は、ブラとお揃いのショーツを身につけるのは至難の業でした。
輸入物に手を出したら、上下で3万飛んだように思います。
いつからあんな安価で可愛いセット下着が巷に出回るようになったのでしょうか。
もはや、サイズの問題で、それらには、縁がなくなってしまっています。悲し
少し前までは、自分取り戻しキャンペーンで、素敵なレースに食指が動きましたが、昨年あたりから、
あくまでも肌触りが一にも二にも重要ポイントになってまいりました。
年とともに、すっかり肌も弱って、締めつけもダメ、チクチクもダメと、気難しいことといったら!
ブラのカップがあがると、お値段も割増なんです。そりゃー、生地の分量は多いですが、そんなに
変わるのかしら。ぷんぷん(文句を言うところは、ここではありません。
スーパーのプライベートブランドのものも、とてもよくできてると思いますが、デブなのでサイズがありません。
売り場の女性にはワンサイズ下のアンダーを勧められますが、きついのは嫌です。
快適!それにつきます。
デザインはとてもそそられるのに、トリンプのブラのワイヤーのカーブが合わずに、全滅です。
好きなのは、ウイングのレシアージュ、キレイあたりでしょうか。
レースが豪華なわりには、お値段控えめです。
アンダーの部分がヘムになってるのが大好きなんですが、全部の要件が満たされてるものは少ないです。
あと、とてもお安いのに、優秀だと思うのがDHCの全方位に伸びる記事でつくられたブラです。
サテンみたいに光沢のある生地だし、肌あたりも柔らかでした。
試着して、じっくり選ぶという優雅な姿勢からは、びゅーんと外れてしまいました。ごめんなさい。つい。
サラヴァンさん、そうなのそうなの。
誰にも見せませんが、わたしが一番知ってるのよね~~。
密かに女優になってみるのよ。うふふ♪て。
誰にも迷惑かけてないし、ユルチテネ。みたいな感じで。
でも、Tバックは、ダメでした。局部の違和感にいたたまれず2秒で脱ぎました。
セクシー系はわたしには遠い夢なのかもしれません。
サヴァラン Post author
爽子 さま。
すごい!すごい!爽子さまの引き出しがすごい。
DHCって、下着も作ってるんですね。
さっそくHPに行きましたが、あら、いま、このページのスポンサーリンクが。。。
それにしてもすごい。爽子さまの探求心がすごい。
メモです。メモです。参考にさせていただきます!
特定のメーカーが特定の理由で合わない!って、わかります。
わたしはワコールがダメ。カップとワイヤーのかたちが合わない。
輸入物、うっとりですよね。日本ではお値段がね、がっくりなんですけどね。
海外の下着屋さんって、上を見れば美術品?というのもありますけど、
その一方で、え?このお値段で?というのがありますよね。
ヴィクトリアズシークレットとか。なんで上陸しないんでしょ。
「ほどほどの着地点」。
まさにそう!着地したいです!「はなまる!」というところに。
「密かな女優」。
だいじ。だいじ。なりませう。なりませう。
セクシー系はわたしもダメですが。