「こんなはずじゃなかった」ことに違和感がなくなる時
人生において「こんなはずじゃなかった」と思うことは誰にでもあると思います。小さなことまでいれればいくらでもありますが私のなかで大きなことは離婚、再婚、マメオ君の病気です。
離婚するかもと思った時は天と地がひっくり返るかもというくらいどうにもならない状態でしたがいざ離婚してみると経済的に余裕はなかったが実家の助けもあり人並みの生活ができ子供たちに習い事させることもできた。娘二人との女3人暮らしは誰にも気兼ねすることなく楽しい生活だった。片親で子育てするということに偏見の目で見られたくないと意地をはったりしたこともあるがいつの間にか肩の力も抜けて過ごせるようになった。子供たちには悪いことをしたとは思っているが離婚したことは決してマイナスではなかった。我慢しないで良かった。とさえ思えるようになった。子供たちは父のいない家庭に違和感があったかもしれないが私はダンナのいない家庭にいつの間にか違和感がなくなっていた。
子育てが一段落して子供たちと過ごす時間が減ってきたころ友人の紹介でマメオ君に会った。お付き合いする人はほしいと思っていたが再婚願望があったわけではなかった。しかしマメオ君は家庭というものにこだわるタイプ。まさかの再婚となった。マメオ君の子供とも同居の新生活だったが子供といっても大人なので案外気兼ねなく過ごせていた。その生活に違和感がなくなってなってきたころにマメオ君が脳出血で倒れ右麻痺、失語症となりそれまでの生活とは一変した。離婚や再婚は自分の意思である割合が多いが今回はそうはいかない。家に帰りたがっているマメオ君の意思を無視して施設にいれることもできない。でもはたして私一人でどこまでできるのか、不安だらけだった。約半年の入院期間中は必死で色々なことやっていたので怒涛の如く過ぎていった。そしてどうなるかわからない自宅での生活が始まったのが3年半前。本当にこんなはずじゃなかったと毎日思いながら過ごしていたがいつの間にかこの生活が当たり前のように感じるようになった。朝起きて自分朝食を済ませた後にマメオ君の朝食を出し、食べ終わったら着替えを介助。マメオ君の荷物は玄関に置いて私は仕事に行く。仕事後はマメオ君の帰宅に間に合うように急いで帰る。時には自宅で入浴も介助しなくてはいけない。二人で一緒に出かけるのは通院か日曜日の散歩ぐらい。散歩といっても私はずっと車いすを押さなければいけない。端からみたら再婚したのに可哀そうと思われるのも当然かもしれない。確かに毎日イライラすることが多いのも事実だけどこの生活に違和感はなくなってきた。
違和感がなくなるのはそこに慣れてきたからだと思うが、慣れるということがいいことなのか、それとも違うのかそれはケースによって異なるのだろう。マメオ君との今の生活に違和感がなくなってきたのはこういう生活になったから出会えた人や新しい挑戦もあって自分でも予測不可能なワクワクもあったからかもしれません。オバフォーとの出会いもその一つ。1年前にはここに自分が寄稿できるとは思っていませんでした。さあまた何かにチャレンジして素敵なこんなはずじゃなかって思える出来事に出会えるといいな。