経験に勝るすべはあるか
先日何気なく見ていたテレビで「なるほど」と思うことがありました。
わたしは詳しく存じ上げなかったのですが有名なマーケターの森岡毅さんが学生の悩みに対して答えていました。(日曜日のの初耳学だったかな)
その中で頑張って結果がでないことは残念かもしれないが頑張った経験が脳に残る
一番怖いのは頑張らないで良い結果がでることであるという言葉。
頑張らないで良い結果がでるのはラッキーなことと思ってしまいますがそれが脳に記憶されると頑張らなくても大丈夫という風に記憶されてしまうということ。
ここでちょっと思ってしまったのがマメオ君のこと。わたしはもっとリハビリを頑張って外出できる場所を増やしたい。それをマメオ君に伝えるとその時はガッツポーズなどするのですが正直なところ歩行リハビリで歩く距離はどんどん減ってきている。
マメオ君は以前から「俺はついているんだ。困ったことがあると誰かが助けてくれる」と自慢げに言っていました。大学の単位が危ない時、仕事で困った時、前妻が亡くなって子育てに悩んだ時、いつも助けてくれる人がいた。マメオ君が努力していないとは言わないがいつの時も大きな支えがあって助かった。と
そしてマメオ君はとにかく楽な方を選ぶ。まあ誰でもそうかもしれないが、徒歩数分の歯医者に行くのも車で行っていた。「だって歩くと疲れるから・・・」と
このような過去の経験がマメオ君の中に深く根付いていたとしたら死に物狂いでリハビリを頑張って少しでも多く歩けるようになってほしいと思うわたしの思いにはなかなか到達しなのかも?と思ってしまった。
もちろんマメオ君なりに頑張っているようだ。しかし多くの人から「奥さんに頼りすぎ」と言われるし。わたしもそうだと思う。それは誰の目からみてもマメオ君にまだ余力があると感じられるからだ。確かに倒れた後は以前より疲れやすくもなっているかもしれない。でも「あー疲れたヘトヘトだ」みたいな姿は見たことがない。家で自主トレしてくださいねとデイケアのPTさんが作ってくれたリハビリメニューもやったことがない。
以前利用していた自費リハビリのPTさんが「辞めると絶対に今より歩けなくなりますよ」と言っていたが本当にその通りである。誰かがついていて一緒についているならリハビリしても自主的にやることはほぼない。
中学生の時に入部したテニス部もすぐ辞めたと言っていたし、高校では部活やっていないし・・・
マメオ君の頭の中の記憶にはスポ根魂?のような経験はないのかもしれない。それをこの歳になって死に物狂いでがんばれー!と言っても無理なのだろうか?
まだまだ諦めたくないわたし。そういえばもう一つ刺さった言葉がありました。
「優しくしたいのならあえて冷たくすることも必要」
運動部の部長となった女子生徒が部長として厳しくしたいがそうすると部員との関係が微妙になるかもしれないことに悩んでいることに対しての言葉でした。すると森岡さんは彼女に「あなたはどういう部活にしたいですか?試合で良い結果を出したいか、それとも試合の結果よりみんなで和気あいあいとしごしたいのか?」すると彼女は「試合でいい結果をだしてみんなでその喜びを分かち合いたい」と言っていた。それならば厳しくすることも必要だと。
どうしたらいいか悩んだ時にその先にある目標を明確化してそのためにどうしたらいいかを考えるといいと・・・
わたしはマメオ君にもっと歩いて行動範囲を広げて一緒に出掛けられる場所を増やしてほしい。そのためにはわたしがなんでも手助けするのではなくもっと自分でやるようにさせなくてはいけない。それは優しさゆえの冷たさ・・・でもマメオ君にわかってもらうのは難しいかな?なぜならマメオ君はとにかく疲れないように家でのんびり過ごしたいというのが当初の目標。温泉に行きたーいとは訴えるけど・・・・
この先マメオ君が一念発起して厳しいリハビリをして自ら歩こうとする日はくるのだろうか?それともそんなことをしないでこのまま静か?にこの生活を維持できれば幸せなのだろうか?
脳に存在する経験というものを超える何かが動き出すことはあるのか?
たまたま見ていたテレビ番組から色々考えてしまいました。でもこんなことを考えていながら自分の用事がどんどん増えて外出する際のマメオ君の対応をどうしようかと考えてばかりです。結局は外出大好きなわたしが自分の欲求を満たすためにマメオ君を甘やかしているだけなのかもしれません。