理想(妄想)と現実 母の場合
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まだまだ寒いですが梅も咲いて春が近づいている感じがします
実家の母が緊急入院してから2か月以上経ちました。先月末に退院してそのまま有料老人ホームに入所しました。入所した時は病院に比べるととても明るく広い部屋なので安心したよう様子も見られて少し安心していました。しかし入所してすぐに施設内で感染症が流行り面会禁止、入浴も禁止になってしまいました。
うちは看取り契約までしているので例外で面会はできるとのことですが、やはりちょっと不安なので解除のタイミングで行ってきました。
部屋に行くと寝ていました。声をかけてもすぐには起きませんでした。3か月前は自分で家事をしていたことを考えると急激な変化ですよね。
もちろん本人が一番思っているのでしょが・・・
目を覚ますと第一声が「綺麗な場所でもやっぱり地獄だよ」「病院に比べればみんな親切だけど結局自分の体が動かず何もできない。なんでこんな目にあうのか・・・」そうだよね、でも誰も望んでそうなるわけではない。だから少しでもいい環境で過ごしてもらいたい。と思っていたのだがこればかりはどうにもできない。と思っていた。
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その後娘たちと会った時の何気ない会話でちょっと考えてしまったことがあります。
「おばあちゃん、かわいそうだけどさ、リハビリとか福祉用具すすめても嫌だと言って聞いてくれなかったよね」という娘の言葉にハッとなった。
確かにリハビリしたり杖や歩行器を使っていたからと言って今と変わりなかったかもしれない。でもここまでなる前にもっと何かできたかもしれない。
どれくらい前からか母は人と関わることを避けるようになり身内の助言も聞かなくなった。いつからかな?と思うと父が亡くなったころからだろうか?父が厳格なタイプだったしその頃から耳の聞こえも悪くなってきたので色々と面倒になってしまったのかもしれないが人との接触に消極的になっていった。
聞こえにくいならメールがいいと思い携帯を契約して渡したが携帯不携帯が何年も続き解約しました。
「もう歳だから」と新しいことには全然チャレンジしてくれませんでした。母にとって静かな晩年は理想というより当たり前と思っていたようだが現実は違った。それは娘のわたしも同じかもしれない。優しい母はそのままでいてほしい。「地獄だ」と「どうしてわたしだけこんな目のあうのか」と愚痴ばかりの母の姿を見るのは辛い。弟はとにかく母に少しでも長く生きてほしいようだがわたしは早く楽になってほしいと思ってしまう。唯一の救いは「もう病院には戻りたくない」という母に「もう戻らないで最期までここにいられるようにしたよ」と言うと「良かった」と少しだけ笑顔が見られたことだ。
理想や妄想は変えることができるが現実はそうはいかない。受容できずに拒否していて何も変わらない。
せめて母が仕方ないな・・・と静かな?気持ちになってほしいと願ってしまいます。
それにしても有料老人ホームは高すぎる。今回の母の場合、有料老人ホームか療養型病院もしくは自宅しか選択肢がないと言われた。動けない母を自宅でみるのは無理なので2択であったが療養型ももし点滴しないようになると難しいので有料老人ホームが一番いいと言われた。自分たちで探す時間も情報もないので仲介会社の方にお願いすると今の母の状態で受け入れてくれそうば施設は3か所しかないと言われた。
そのうちの1か所は実家からも近いのですぐに見学して雰囲気もよかったのでそこに決めた。
いざ入所すると確かに病院よりは全然明るいが契約していくと施設以外にも訪問診療、訪問看護、薬局やら歯医者だのどんどん金額が加算されていく。母の年金はそこまで低い金額ではなかったが全く足りません。正直、自分の老後が不安になりました。