お別れの思い出
「Watership downのうさぎたち」という本の中ではうさぎの死生観が語られます。耳を幽かに光らせた別世界からの使いの黒うさぎが呼びに来て、呼ばれたうさぎは静かについていくのです。
一代目のうさぎは、しばらく病んだあと原因(脾臓の捻転?)がやっとわかったため全身麻酔で手術を受けました。
手術は無事終了し、術後数日で退院できたのですが、やれやれと思った隙にふと黒うさぎと一緒にいってしまいました。
退院した日は自宅でキャリーから出すとまっすぐにお気に入りの場所に上がりました。
そこは窓枠の高さにあり、くつろいで部屋を見渡していたところです。
クッションで上れるように段々をつけてやっていたのですが、筋肉の落ちた脚でよろよろしながらなんとか自力で上がり、いつもの位置に落ち着くと心の底から安心しているように見えました。
餌も食べました。それで私も少しほっとしたのです。
しかし、次の朝の表情はひどく穏やかで目の輝きも少し違い、一目見て一線を越えてしまったとわかりました。
耳を幽かに光らせた黒うさぎがひっそりと近くにいたのでしょうね。
その日は梅雨入り前の6月の晴れやかなきれいな日だったので、うさぎを抱いて少し庭にでてみました。
そのうさぎと別れなくてはならないことは勿論とても悲しいのですが、気持ち良いこの世の中をうさぎが去って行かなくてはならないことが堪えました。
また、変な話かもしれませんが、先達だなあとも思いました。
うさぎがいなくなったあと、餌と運動はこうしようとか、室温はこのくらいのほうがいいかしらとか、退院後の回復のために考えていたことをつい考え、ああもう必要ないのかと思う日がしばらく続きました。
取り返しがつかなくて、いろんな工夫も届かない。そういうことだ。
今この季節にそのあたりのことを思い出してもギクッとしなくなってきましたが、まだまだへの字顔になってしまいます(いい年をして・・・)。
お気に入りの場所に一生懸命上っている姿も、穏やかな表情もすべてすぐに涙で曇った記憶で、ほんとうにうさぎのためにたくさん泣きました。
いま、二代目のうさぎとも泣いたり笑ったりしています。
二代目を見ながら一代目のことを思い出したり比べたりもしますが、どっちがいいとかではありません。
「かわいいちゃん量」がうさぎの数だけ増えているのです。
「Watership downのうさぎたち」
イギリスのうさぎの冒険小説です。この本で使われている「うさ用語」は実家ではごく普通の用語になっています。この本についてはまた書くと思います。アニメ化もされ(映画とTV子供番組)、アートガーファンクルがうたった主題歌を井上陽水が日本語版でカバーしていました。