ゾロメ日記㉓ 人生はヘタレだ
◆9月某日
ガラケーユーザーで遠吠えしていた私だが、いつのまにか、ちゃっかりスマホユーザーに成り下がって(?)いる。
特にスマホを使いこなしているということはないけれど、ラジオのポッドキャストをダウンロードして、食事のしたくのときに聴いている。換気扇をつけていると細部がよく聴こえないのが難点だ。
TBSラジオの「たまむすび」や「ジェーン・スーの相談は踊る」、NHKの「すっぴん!」をよく聴く。
稀代のポンコツたまちゃんこと赤江珠緒さん、生粋の日本人ジェーン・スーさん、切れ者アンカー藤井彩子さん、(「き」始まりで統一)三者三様の40代(たぶん)が頼もしい。
そう、この3人は頼もしいのだよなあ。日替わり(スーさんは週替わり)でパートナーが変わっても、自分のスタンスはなんら変わらず、でも押しが強いわけでも躱し上手という風でもなく、懐が深いというか、軸がしっかりしている感じ。「体育会系」というベタな括りはナンだが、3人とも「体幹が強そう」というイメージだ。
自分が今ヘタレモードのせいか、そんな彼女たちに憧れてしまう。なので、「うちヨガ」の体幹系&筋トレ系の運動を増やしてみた。そしたら、なんだか妙に肩まわりだけがガッチリしてきた気がする。
・・思っていたのと違う。どこで間違ったんだろ、自分。
◆9月某日
毎度おなじみ、能町みね子さんシリーズ!?
『お家賃ですけど』を読む。Twitterでもつぶやいたけれど、この本の舞台である加寿子荘が、自分が20代のときに住んでいた杉並のN荘(詳しくはこちら⇒★)にいろんなことがあまりに似ていて驚く。そういえば、N荘のことを書いたときにいただいたコメントでも、いろんなシンクロニシティがあったのだった。
N荘の記憶は薄れない。そして、能町さんはヘタレ界の星かもと思う。
◆9月某日
2006年に亡くなった長兄は、達観したところと子どもっぽいところが共存した人で、神経質なのか鷹揚なのか、おしゃべりなのか寡黙なのか、よくわからなかった。
若い時から家族関係のめんどくさいことを一身に背負った上に、50代前半で病に魅入られてしまったことで、私は、兄の人生はなんて苛酷で理不尽なんだ!と、運命や神方面に恨みがましい気持ちを抱いていた。
ある日、入院中の兄のところに行き、世間話の流れで「苦労してきた上に病気になるなんて不公平だ」と口にしたところ、兄は「俺は自分が苦労してきたなんてあんまり思ったことはないけどなあ。けっこうひとりで好きなことをやってきてるし」と言って笑ったのだった。
兄をいわゆる“ポジティブシンキング”の人だと思ったことはそれまで一度もなかったし、状況が状況だけに、その言葉は意外だった。兄はもしかしたら妹に気を遣ったのかもしれないし、強がったのかもしれない。でも、それを聞いたとき、私は自分を恥じた。人の幸不幸を安易にジャッジするのはとても不遜なことなのだと深く思い知ったのだ。
著名人の訃報や闘病報告があると、いろいろな人がいろいろなコメントをするが、他人の人生や選択を勝手に査定するな、「・・すべきだった。」とか、「・・だったかと。」で終わる薄っぺらいことを言うな、かんたんに「かわいそう」「不幸」という言葉を使うな、と思う。
兄の死後、いろんな人がその手の言葉を口にしたし、今もする。親戚とか。そのたびに反論したいと思うが、実施したことはない。めんどくさいから。そして、腹が立って泣きそうになるから。
なので、著名人の話にかこつけてここで言ってみた。本当は、そういうコメントで、当時の自分の後悔や無力感を呼び起こされるのがイヤなだけなのかもしれないなあ、私。
お兄ちゃん、相変わらずヘタレな愚妹でごめんごめん。
by月亭つまみ
友人との掛け合いブログです。→→「チチカカ湖でひと泳ぎ」
okosama
こんばんは、つまみさん
私も長らくスマホのスピーカーでラジオを聴いていました。
ブルートゥースのスピーカーを使うようになり、ストレスがなくなりました。
つまみ Post author
okosamaさん、こんばんはー。
ブルートゥース、そういう方面に疎い私は知りませんでしたが、夫が持っていました。
今度、試聴します!
それにしても、デンマークの「青歯王」から来てるネーミングって、凄いですね(^O^)
サヴァラン
うわ!
ほんとだ!
「ブルートゥース」の由来、すごい!
(横からすみません)
わたし、
「たまむすび」と、「ジェーン・スー」
気になりながらまだ聞いてません。
「すっぴん」は山口では毎日聞いていたのに
こちらへ来てぱたりと忘れてました。
聞かなくちゃ。聞かなくちゃ。
まずは藤井姐さんのあの筋肉仕切りを。
つまみさん
おにいさまとのこと
わたしなんぞが軽軽なことは申せませんが
介護をなさった方が必ず
「もっとできたのではないか」と深く悔やまれるのと
少し似ているのかもな~と思って伺っています。
ひとって
特に家族って
どういうかたちであれ、
目に見えない筋肉組織みたいなものでつながっていて
そのバネの勁いひとほど
ずっとずっとその組織を熱く強く保っているものだな~って。
筋肉の勁いひと弱いひと
いる気がします。
つまみさんは、勁い!
だからヘタレなんかじゃない!
ヘンな書き込み投げ入れて
今から買い物にいってきます! タッタッタッタ、、、、
アメちゃん
こんにちわ!
うん。わたしも、つまみさんはぜんぜんヘタレじゃないと思います。
私の大学時代の友人なんですけど
お父さんが筋萎縮症にかかって寝たきりになってしまい
何年も気丈に介護をしていたんです。
(しかもお姉さんを交通事故で亡くしたので、彼女一人で背負っていました。)
ずっと仲良かったんですけど
お父さんが亡くなられた時、長い介護生活の苦労をしっていただけに
私はどう対応していいか困惑してしまって
(ある意味、彼女は解放されたわけなので、、)
こちらから、フェイドアウトの疎遠にしてしまいました。
私もヘタレですー。
彼女からは
「〇〇(←私のこと)は、父のことがあっても
私に対して、普通の態度で接してくれるから嬉しい」
とまで言ってくれてたんですけどね〜。
にんげんなんて、いつまでも「消えてしまいたい!」と後悔したり
まちがいしたり、そんなもんなんでしょうね、、。
ということで
私は仕事の続きにとりかかります!
つまみ Post author
サヴァランさん、こんばんはー。
丹田三姉妹(今、ふと思いつきました)の次女三女のジェーン・スーさんとたまちゃんは、藤井姐さんに勝るとも劣らない揺るぎなさです(笑)。
あと、繊細過ぎないのが共通点かも。
筋肉組織でのつながり、新機軸な考え方だなあと思いましたけど、考えてみると、やみくもに鍛えても効果はないとか、一度組織を壊して時間を置くことで超回復され以前より勁くなる、とかが人間関係に置換できますねえ。
さすが、サヴァランさん!
私、もともとの筋肉は明らかに勁くありませんけど、不本意であれ筋トレをせざるを得ないとしたら、それで「勁くなる」のはもちろん、どうせなら、筋トレをしないと見えない景色が見られるようになりたいなあ。
サヴァランさんのコメントのおかげでそんな風に思えました。
まだ頭の中はまとまってませんが(これからもカオスでしょうけど)、ありがとうございます。
つまみ Post author
アメちゃんさん、コメントありがとうございます。
沁みます!
アメちゃんさんの「どう対応していいか困惑してしまって」ってわかります。
私もそういう記憶がたくさんあります。
でも、キツい経験や厳しい状況のさなかでも、普通と同じ距離や態度で接してもらうことのありがたさも知っているわけで、年齢と共に、そう出来る人間になっていきたいなあと思ったりします。
そうそう。
後悔したりまちがえたりしながら。しないとわからないこともいっぱいありますものねえ。
物理的な最短距離はあっても、精神的なそれはないですもんね。
似たようなことも同じじゃないし、毎回、毎日、考え考え、目の前のことをやっていくしかないんですねえ。
くるりん
なんとなく。お兄様は「もういいよ。」ってさらっと笑っていらっしゃるような。
消化しきれない自身の感情やらもろもろ、で…残された側はいろいろ思うものですね。
人生はそのひとのもの。あれこれ定義づけするのはする側の都合。
そうしたいと無意識に思う心の動きも理解できますけど…ね。
つまみさまがいろんな方のいろんな言葉に心穏やかでいられないのも…消化途中だから?
ご自身がお兄様に感じていた負い目のようなもの、を。違うかな。どうかな。
嫌な気持ちにさせちゃってたらごめんなさい。
父を亡くして、近い心の動きを経験したので…なんとなくそうかなって。
達観するにはまだまだ人生途上、なくるりんでした☆
(このコメントもある意味余計かも(笑)未熟者ですがお許し下さい)
あ。私もごく最近スマホに変えました!
いろいろ楽しんでますよ(^-^)
つまみ Post author
くるりんさん、おはようございます。
コメントありがとうございます。
嫌な気持ち、とか、余計、だなんてとんでもないです。
「あれこれ定義づけするのはする側の都合。」、なるほどなあと思いました。
定義をことさらに拒絶する自分に都合があるように、あれこれ・・にも都合があるんですよね、きっと。
同じ穴の狢だわ(^_^;)
そんな風にはあまり考えたことがなかったので、目ウロコでした。
みんな、自分の都合と折り合いをつけて、生きているんですねえ(朝からしみじみ)。
スマホ生活、楽しんでいらっしゃるのですね。
私も、夜中に目が覚めると、ポッドキャストをつけてそのまままた寝る、というのがけっこうブームです。
睡眠の質を妨げているのかもしれませんが、昨夜は、途中まで聴いていたユリオカ超特Qのポッドキャスト配信「無謀な企て第25回」の続きを聴いて、吉田栄作が昔、「ビルの上から人を見ていると小さく見える」的な上昇志向なことを言っていたけれど、それは単なる遠近法だよ、ビルの上から見れば、チェ・ホンマンだって、小さいよ、それと「東京で都会の疲れた人を見ると」的に憂いていたけど、その人はたまたま出張で地方から出てきた人なのかもしれないし、だいたい、「東京で一旗揚げる」的なことを言っていた吉田栄作は神奈川出身だ・・近いよ!などと言っていて、ニヤニヤ笑いながら寝ました
長々とすみません(^O^)
はらぷ
おにいさんのことを読んでいて、それは「距離」によるものなのかもしれないなあと思いました。
ちょっと離れて見てたときは、ひとつのうごめく固まりに見えていたものが、近くにいくと無数のちいさな生き物の集合だということがわかったりする、ということがありますが、それと似ていて、おにいさんにとっては人生におけるさまざまな大変なできごとも、この道工事してるから今日はこっち通ろうみたいな日々の選択のひとつとして認識されていて、それが苦労という言葉とむすびつかなかったのかも。
私はよく、江戸から明治にかけて生きていた人のことを考えると、あんな大変化の中でどうやって生きてこられたのだろうと不思議に思うのだけど、彼らにとってはただ毎日生きてただけなんですよね。ちょっとそういうのと似ているかもと思いました。あと、ひさしぶりに友人の子どもに会って、「おお、大きくなったな…」と思うこととか。いや、似てないか。
そして、「大変だね」って誰かが言ってくれるから、「そんなことないよ」って言えて、本当にそう思えるってことがあるので、おにいさんはつまみさんがそう言ってくれて嬉しかったと思います。
もしかしておにいさんは、今距離を持って振り返ってみて、「今思うと、おれは確かに苦労してたぞ」と笑っているかもですね。
ところで私もいま能町さんの「言葉尻とらえ隊」読んでいます。
つまみ Post author
はらぷさん、こんにちはというかこんばんは。
兄に対して、そんな風には考えたことがなかったです。違う視点を教えてもらってありがたいです。
そうですねえ。台風の目みたいに、渦中の渦中は意外と凪いでいて、当事者は、ただ毎日生きているだけなんですよねえ。
そして、自分では日常の中のひとつの選択に過ぎないことが、周囲や後世(?)には大した決断や貧乏くじにも映ったりして、たいがいの場合、本人がイチバン「別に大したことはない」と思っている気がします。
「大変だね」「そんなことないよ」のやりとりは、ホント、はらぷさんの言うとおりだ!
以前の職場で、同情されたり心配されるのがキライと公言する年下同僚女性(あだ名は「リーダー」)がいましたが、それに対するモヤモヤが、今この瞬間にクリアになりました。
「そんなことないよ」と言えて、本当にそう思えることの効用、をリーダーに言いたかったんだ、私。
わー!なんか、今、リーダーにメールしたいです。しないけど(^_^;)