【月刊★切実本屋】VOL.67 大事だから書かない
今しがた『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』(川内有緒/著)を読み終わり、反芻や熟成もなく今回の記事で取り上げている。それ以前に読んだ本は軒並み忘却の彼方だからだ。
このひと月の間、再々々読してあらたに感動した『光の帝国』をはじめ、御大ジェフリー・ディヴァーのお約束どんでん返し付きの『ネヴァー・ゲーム』、苦労人ならぬマリアンヌ・クローニンが書いた瑞々しさいっぱいの『レニーとマーゴで100歳』、母性と女性性をブレンドさせながら認知症を描いた川村元気の『百花』、とにかく度肝抜かれた辻村深月の『噛みあわない会話と、ある過去について』、タイトルと真逆で最後までいろいろなことがわかりかねた高瀬隼子著『おいしいごはんが食べられますように』など、よくもわるくも(わるくも、って)印象的な本ばかり読んできたはずなのに、そのどれかについて書こうと思うと、どれも靄がかかったようなのだ。わたしの脳内「読書」ファイル、「名前をつけて保存」アイコンがなくなり、すべて「上書き保存」になっているのではないか。花粉症のせいなのか否か。とにかくおそろしいことだ。
で、『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』である。
内容はタイトルどおりでシンプルだ。そして序盤から既視感を覚えた。それは、全盲の50代男性の白鳥さんと一緒に美術館に行くことになった著者が、最初の「同行」の際に感じた「目が見えないひとが傍にいることで、わたしたちの目の解像度が上がる。」は、かの高野秀行著『異国トーキョー漂流記』のテーマと同じだと思ったからである。
このサイトで、ちょうど十年前にわたしは『異国トーキョー漂流記』を取り上げている。⇒★
記事と重複するが、【異国の人間と一緒に東京を歩くとその視線に同化して、見慣れた街がまるで外国に見え、それまで毎日なんとも思っていなかったものがことごとく新鮮に見えた。】というところが既視感の正体だ。
自分と違う身体状況、自分とは異なる言語や本拠地を持つ人といっしょに居ることで、自分の視点がそれまでと変わることはままあり、見えなかったものが見えてきたりする。これって、つまるところ、想像力が活性化するからではないだろうか。
たとえば、家の中をきれいにしたいのなら人を招け、とはよく言われることだが、それは自分にもバリバリある「あわよくば家も自分もよく見られたい」という見栄、その一点突破だと長らく思っていた。が、それだけじゃないことに最近気づいた。
人を招くことで、日常の自分の家に対しての視点に来訪者の視点が加わり、客観的に家の内外を見ることができる。そのおかげで、ふだんは気づかない汚れや雑然さが見えるようになる。まさに、目の解像度が上がるのだ。
そしてもうひとつ。テレビで旅番組などを見ているとき、最初は一視聴者として画面を見ているが、自分がその場所に立っていることを想像し、旅人の視点に立った(つもりになった)瞬間から、画面の向こうの空の明るさや緑の濃さ、温度、すれ違う人の息づかいなどがリアルに感じはじめることってないだろうか。自分がクリアでサイコーに調子がいいときは、実際は行っていないのに、あとで思い起こすと、まるで実際に行ってきたような記憶になることがあるのだが、これってわたしだけなのかなあ。
高野さんの『異国トーキョー漂流記』でいちばん印象的だったのは、盲目のスーダン人留学生のマフディだったが、今回の白鳥さんも全盲の男性だ。でも、ふたりの共通点は「盲目であること」ではない。
自分のハンデを健常者に寄せることが正だとは思わないこと、もっと言うなら、健常者が勝手に決めたハンデの概念を受け入れるも入れないも自由だと思っていること、そもそも彼らは「目が見えない」がふつうであることを前提に生きていること、それらこそが共通点だと思う。そして、一緒に行動しそのことを感知した人が、ハンデについて考え、動き出すというのも共通点だ。動かされたのが、高野さんであり、川内さんであり、今回の川内さんの本に登場した多くの人たちだ。
後半で、富山の黒三ダムの歴史、そこから差別と優性思想についてなども踏み込んで言及されている。自分に差別意識や優性思想などないと言い切る人が怖いとずっと思ってきたが、ここでの川内さんの逡巡や白鳥さんの在り方もとても説得力があって、きっと自分はこれから幾度もこのあたりを読み返したくなるだろうと思った。わからなくなったら立ち帰る場所、というか。そして、後半の後半には、映像化のことやコロナのことが出てくる。盛りだくさんだ。
それでも、この、質量ともにボリュームのある一冊の本の中で、いちばん印象的な箇所はどこかと問われたらわたしは迷わない。それは、川内さんから「幸せ感じるときってどんなとき?」「その幸せってどこにあると思う?」と聞かれたときの白鳥さんの答えのくだり。胸にグッときた。
326ページから、それはある。引用はしない。大事だから書かない。
固定観念や既成概念を揺さぶられる素敵な本なので、よかったら全編を通して読んで、ついでに326ページも確認してください。
by月亭つまみ