【月刊★切実本屋】VOL.83 最後が‥弱い
韓国と日本のアラサー女性のエッセイを続けて読んだ。『日刊イ・スラ 私たちのあいだの話』(イ・スラ/著)と『桃を煮るひと』(くどうれいん/著)だ。
続けて読んだのはたまたまだが、自分のほぼ半分の年齢(なんなら著者の親は年下)の、物書きとして上昇機運に乗っている女性が紡ぐ文章は、タイプは違っていてもどこか共通するものがあるような、はたまたないような(どっちだ?)。あるとしたら、どちらも賢くて、瑞々しくて、それなりにあざとい(揶揄ではない)ところだろうか‥けれど、それだけじゃない気もする。‥なんだ、この煮え切らなさ。
『日刊イ・スラ 私たちのあいだの話』の著者イ・スラさんは1992年生まれ。最新の自伝的小説『29歳、今日から私が家長です。』がおもしろかったので、先に出版されていたエッセイも読んでみた。2作とも、韓国の人々が連綿と家族(特に親)に対して抱き続けてきたにちがいない、尊敬と絆と冷徹さの共存が印象的だった。お国柄、なのだろうか。
著者は27歳のとき、学資ローン返済が目的で有料メルマガ【日刊イ・スラ】を始める。購読料を1ヶ月(20編)1万ウォン(約千円)に設定し、既存の媒体を通さず、野菜の直売のように文章を届けるシステムにしたのだ。【日刊イ・スラ】は評判を呼び、随筆集にまとめられ韓国でベストセラーになった。今回の『日刊イ・スラ 私たちのあいだの話』は、その随筆集の中から選んだものと、新しいプロジェクトの文章が載っている。
大家族の絶対君主的祖父に溺愛されて成長した少女イ・スラは、その後、職を転々とする元文学青年の父親と、家が貧しくて大学に行けず国語教師の夢が潰えた母とともに、祖父の王国を離れる。若いイ・スラは、有料メルマガの発信人だけでなく、ヌードモデルやこどもの文章教室の講師でもあり、もちろん、両親にとっては娘であり、恋人にとっては恋人(!)なのだった。
このエッセイ集には、テーマも切り口も違う雑多な文章が収められているが、全編に率直さと書くことに対する真剣さが感じられるので雑然とした印象はない。そしてどの編も書き出しが秀逸だ。書き出しは本当に大事!ちなみにわたしは、十年前にこのサイトで「書き出しだけ大賞」を考案した人物である。反響もけっこうあった。(自慢)
書き出し如何で、エッセイは一編の短編にも詩になる。誰が言ったかというと、今わたしが言った。
かたや、『桃を煮るひと』は食べものをモチーフにしたエッセイだ。1994年生まれというから今年30歳のくどうれいんさんを知ったのは、荻窪の本屋TitleのWEB SHOPだ。去年、仕事で本を選んでいる際にここを覗き、この本が引っかかった。ミシマ社の本だし、Titleのおめがねにまで適う(!)なんて、この本はいったいなんだろう?と思い、手にとるにいたった。
『桃を煮るひと』は、パートナーに関する描写はあまり好みではないものの(悪口か)、タイトルはいいし、文章のパーソナル感も絶妙だと思う。この年齢にして、この空気や地に足が着いた感じはすごい‥と思いかけたが、年齢は関係ないのかもしれない。
たとえば、現在の50代以上は、恩恵に預かったか否かは別としてもれなくバブルという特殊な泡のにおいを嗅いでいる。でも平成以降に生まれたひとはそんなにおいを知らずに今に至るので、立っては消える泡に乗っかったり、張りぼての薄っぺらさで自分をごまかす必要性をハナから感じることはないのではないか。うさんくさいにおいがすれば瞬時に違和感を覚える機能もデフォルトで装備されているであろう。よって、地に足が着いていることに年齢は関係なく、むしろ若い層こそ浮かれていない、という論旨(?)。
ってことは‥ってことはですよ、どうあがいても、今の中高年以上は、洞察力のある若いひとにはかなわないのではないかと思う。そして、バブルのにおいに嗅覚をやられた中高年こそ「くどうれいんっていいよね」と思うのかも。
んなわけないか。でももしかしたら、自分がこの本で印象に残った、食にこだわりを持つひとのように思われていても結局ココナッツサブレを目の前にしたときいちばんテンションが上がるとか、甘さと濃さが過剰な安納芋が苦手だとかも、こっちの嗅覚がバグってる証拠なのかもしれない。
今回読んだふたりのアラサーのエッセイで、若いからふわふわしている、みたいな概念は大きく覆された気がする。そして、時の流れで人も文章も変わっていくのだなと思うと同時に、なんだ、自分と同じようなところで立ち止まったり、なんなら戻ったりしてるじゃんとも思った。相反する見解なようでも、それは地続きな感じがする。
いずれにしても、今後のふたりの文章に注目していきたい(無難な締め)。
by月亭つまみ