〈 晴れ、時々やさぐれ日記 〉 ああ、憧れ。long for と look for のあいだ
――— 47歳主婦 サヴァランがつづる 晴れ ときどき やさぐれ日記 ―――
信任状奉呈式のキャロライン・ケネディーさんが素敵だった。
ごくシンプルなチャコールグレーの七分袖ワンピース。ストラップがチェーン使いのモダンなバッグ。胸元にはパールのダブルネックレスにペンダントの重ね付け。手元は普段から身に着けていらっしゃる大ぶりな時計とこれまた普段通りのブレスレット。
保守と革新、フォーマルと日常。程よくミックスされた新大使の装いは、見る側に信頼と親しみを感じさせた 。ナチュラルにセットされたヘアと薄めのメイクも、キャロラインさんという女性の、怜悧な知性と温かな人柄を伝えるものだった。
オーセンティック。ああ憧れる。。。
報道では黒い靴に黒いバッグと言われていたけれど、わたしの目にはグレーの布地のお靴に見えた。シンプルなかたちとほどよいヒール。グレーに見えたお靴の底はちらりと赤かった、はず。。。
グレーのワンピースに黒のバッグ。パールの白に靴底のわずかな赤。そして何より、自然体の笑顔。
馬車列を間近に見られた年配の女性の中には、あのケネディー家のあの女の子がと、キャロラインさんの来し方に思いを馳せる方もあったという。たしかに、この方の人生の厚みは、一時代の歴史の厚みに匹敵する。
お母様であるジャクリーンと比べると、控えめで静かな印象の彼女だが、彼女が選ぶファッションも彼女の醸し出す雰囲気も、お母様のそれよりわたしは好きだなーと俗な感想を抱いている。
ケネディー家といえば、飛行機事故で亡くなったジョン・フィッツジェラルド夫人のキャロリン・ベセットのファッションも、彼女のキャラクターと相まってとびきり素敵だった。
ソワレの席で、白いシルクのシャツの襟元を開け、黒いシンプルなロングスカートを合わせた彼女の写真など見せながら、「あのねー、本当に素敵だったのよー」と息子に話す。
すらりとした長身に金髪の美しいキャロリン・ベセットは、わたしと同じ66年生まれだった。
「美しいひと」を見るとコッソリ「自分」とひき比べ、決まってがっくりやさぐれるクセはいつごろからついたのだろう。思えば息子と同じ10才の頃、小学校の洗面台で手洗いの順番を待っていて、「あ!」と思った瞬間があった。手洗いの順番を待つSちゃんの横顔が、わたしの造作とはあきらかに違うことに気が付いた。横顔が、違う。。。顔の大きさも首の長さもうなじも違う。。。
「美しい造形のひと」とは別に、「美しい空気のひと」というのに「あ!」と思ったのもあの頃だ。同級生がわーわー騒ぐ教室の中で、一人だけぽっかりと蜂蜜色の空気をまとうMちゃんは、何より手のしぐさがきれいだった。。。
思えばわたしの「やさぐれジンセイ」は、10歳のあの頃から始まっていた。ジンセイにはどうやら、努力してどうにかななることと、努力してもどうにもならないことの両方があるラシイ。。。
「自分と比べる」のはもう面倒だからやめにしたい。40代もそろそろ終わりに近づいた今、そう思う。
「きれい。」とか「すてき。」とか、とにかく自分の心が動いたことだけシンプルに切り取って、記憶の引き出しに大事にしまいたいし、「憧れ」を抱いていることは実はそれだけで心が動く。
信任状奉呈式の翌日、安倍首相との懇談で、キャロラインさんはベージュのワンピースにカーディガンというスタイルだった。中にお召しのワンピースは以前何かで見たことがある。ノースリーブの上にカーディガンというのはお袖のあたりのおさまりがいい。こういう公に準ずる席で、カーディガンを合わせることの新鮮さも目を引いた。日本人のキャリア女性なら、うんとメンズライクなジャケットか、あるいはその逆にいささかデコラティブな中年フェミニン(?)な上着を合わせるのだろうけれど、全身ベージュで揃えられたカーディガンのコーディネイトは、決してその場の雰囲気を壊すものではなかった。
いや、もしかしたら着るもの云々の問題ではないのかも知れない。 キャロラインさんという一人の女性が 55年という歳月の中で培ってきた人としての品格。。。
うわーすてきねー。お靴も映してー。ベージュなのはわかったけど、もう一回全身をちゃんと見せてー。
テレビに文句を言うわたしを、シュジンと息子は冷ややかに見ていた。
昨年、美智子さまがエリザベス女王の在位60周年の式典に出向かれたときも、わたしはテレビの前で叫んでいた。
ちょっとー。せっかくの帯がー、帯が見えないわー。前帯とお太鼓、ちゃんと見えるように、映してくれなきゃー。
あれは、正式のレセプションの前のお茶会のときだったか。たしかこっくりとした白茶の地に摺り箔の静かなお着物に、光琳の杜若図の写しの帯を合わせていらっしゃった。お手元には小さくて四角い金泥のバッグ。控えめだけれど華のある、お祝いを伝えるための装い。ご高齢の女性の晴れのお着物として、なんて美しいのだろうとうっとりしたのだ。
雅子さまのオランダご訪問。セレモニーの折の象牙色のイブニングドレスは、たしかに以前からお召しのものだったけれど、バッグだけもう少し変えられたらよかったんじゃないかなーと、一人で勝手に妄想していた。イブニングバッグという小さな面積だからこそ、唐織のような錦地を繊細な留め金で洋風のバッグに仕立ててもいいと思うし、びっしりと日本刺繍とビーズで埋め尽くした重厚なものでも象牙色のドレスによく映えたんじゃないかな。。。
なんて。誰にも頼まれないおかしな妄想をめぐらすのは、わたしのナイショの楽しみのひとつだ。
お暇な主婦の戯言といえばそれまで。「それ考えて何になるの?」なんていう、シュジンと息子のことなど放っておく。
あーでもないこーでもない。あーしたら?こーしたら?そういう何かの「どんぴしゃり」を探し求めて「さまよう」感覚は、これでけっこうワクワクする「楽しい遊び」なのだから。
冬の声が聞こえて来た。風景に色が少なくなった。外出はますます機会が減るし、人に会う予定もあまりない。
黒やグレーばかりのわたしの冬服に、今年は少しだけ色味が欲しいなーと思うけれど、家計のことを考えれば、思い通りの洋服やアクセサリーを買い求めるのは難しい。
でも。なーんか少ーしでいいから、色味が欲しいのよねー。
キャロラインさんのニュース映像を見ながら、お裁縫箱の中を探してみる。あの方は遠い遠い憧れ。憧れは憧れとして、わたしはここにいる。
これとーこれとー、これをこーしてー。
小学生の女の子が作りました!と言えばなるほどぴったりな、毛糸とフェルトとただの紐で作った「アクセサリー?!」の完成。
おばさんがこれするの、ちょっとヘンかなー。でも、まーいっかー。 この冬が少ーしだけ楽しくなれば、それで万事okだ!
ききょう
公人ファッションチェック、素晴らしいです!「それ考えて何になるの?」と言われるような事を考えるのは、本当に楽しいですね!
手作りアクセサリー、良いですね。私も端材で何か作ろうかしらん。
サヴァラン Post author
ききょうさま
コメントありがとうございます。
最近やっと気づいたのですが
「ひとさまのファッションチェック」と
「それ考えて何になるの?」
この両方を「趣味」にしているようでございます。
特にファッションチェック
チェックをしているという自覚もないですし
じろじろ見ているつもりもないのですが
「アホか!」と言われる域のようです。(知らんかった)
手作りアクセサリー^^
もともとおもちゃ屋さんで買い求めたフェルトビーズだけに
小さい子の目にとまるようです^^