サクラソング
3月は行事の多い月だ。桃の節句があり、入学試験があり、合格発表があり、卒業式がある。出会いと別れの季節である。
番組へのリクエストも、この時期ならではの曲が多い。受験やスポーツの応援ソングに、卒業ソング、旅立ちの歌。そして増えてくるのが、サクラソング。桜に思いを重ねる恋の歌・・・、せつないですね~、いいですね~。今からこんなにサクラソングをかけていたら、満開の時にかける曲がなくなってしまうのではと心配するほど、リクエストの数が多い。
以前メディアの専門家に、日本では戦後長らく桜ソングはタブーだったと教えられたことがある。桜の歌を嫌う人が多かった。戦場に散った若者を連想させるから。
サクラソング花盛りの今日のニッポンは、それだけ平和だということなのだろう。だからこそ、たくさん紹介したい。これからも素敵な春唄が多く生まれることを願っている。
京都で過ごした学生時代(1980年代後半)、郷里から母を呼んで、一緒に祇園・円山公園の枝垂れ桜を見に行ったことがある。私達は、凜として佇む老木に圧倒された。大地に根を張り、精一杯枝を広げ、人々の前で咲いてみせていた。生き様を感じさせるような、見事な枝垂れだった。
枝垂れ桜に見入っていた時、初老の紳士に「この枝垂れをバックに、私を撮ってもらえませんか?」と声をかけられた。聞くと、毎年満開の時期にこの場所で、奥さんと記念写真を撮ってきたのだという。奥さんが亡くなってからも、春になると紳士は円山公園を訪れ、誰かにシャッターを押してもらっているのだった。以来、円山公園の枝垂れ桜は、この紳士のエピソードとともに、私たち親子にとって忘れることのできない桜風景のひとつとなった。
時は流れて2009年の春、地元の市民公園へ、母と花見に行った。市内では有数の桜の名所で、多くの花見客がいて、空は青く、小川の水面に花びらが浮かび、景色全体がピンク色に染まっていた。・・・子どもの頃から数え切れないほど母と一緒に桜を見てきたと思う。幼稚園の桜、小学校の桜、合格の桜、卒業の桜、近所の桜、母の実家の桜。「きれいねぇ」と連呼しながら、幸せな気持ちで花を見上げたものだった・・・。でもなぜか、この時市民公園で見た桜は、悲しかった。胸が痛くなるような桜だった。それはなぜなのか?しばらく心にひっかかっていた。
理由は一年後にわかった。それは母と見た最後の桜だったのだ。母はその年の暮れに入院し、辛い闘病の末、3月2日にこの世を去った。桜が咲く前だった。
不思議なことに、母が亡くなった年の桜は、例年とはちょっと違っていた。3月末に満開を迎え、まったく散る様子がなく、2週間くらい満開に近い状態を保って咲き続けた。
「今年の桜は長いねぇ」「こんなに長く咲く年は珍しいねぇ」という声をあちらこちらで聞いた。母は天上から、私は地上から、同じ桜を眺めていたのだと思う。これもよい桜だった。
saki
桜歌がタブーだった時代があったんですね。
命短く散る花だからでしょうか。
その時代の親御さんの心を思うと悲しいですね。
お母様のエピソード、
なんて美しいお話なんでしょうか。
お母様を思い出すとき、桜をも思い出すというのは、本当に素敵ですね。
ねがはくは花のもとにて春死なむ、という、西行の気持ちがとても分かります。
春は優しい季節ですよね。
爽子
お母様とがっちゃんさん、天上と地上から同じ桜を美しいねと眺めている。
震えるほど、うつくしいお話です。
涙ぐんでしまいました。
来る年も来る年も、桜は咲きますが、忘れられませんね。
がっちゃん Post author
sakiさん
コメントありがとうございます。
そうですね、春は優しい季節ですね。
心が敏感になると、自然が語りかけてくる言葉に耳をすませられる気がします。
普段はぜんぜん・・・なんですけど。
今年もきれいな桜がみられるといいですね。
がっちゃん Post author
爽子さん
感想いただき、ありがとうございます。
桜の想い出は、人それぞれ、いっぱいありますね。
ござひいて、花見酒なんていうのも、久々にやってみたい気がしています。
爽子さんも、よい桜がみられるといいですね。