【エピソード24】時とともに郵便の仕事も変わるけど…。
さてさて、聞いた話を形に残すことを仕事にしている
「有限会社シリトリア」(→★)。
普通の人の、普通だけど、みんなに知ってほしい
エピソードをご紹介していきます。
【エピソード24】
今回は、郵便局で働くマサユキさんのその後です。
時代の変化とマサユキさんのキャリアアップが重なって、
仕事も郵便局自体もどんどん変わっていきます。
それでも、リタイアした今も、変わらないものがあると
マサユキさんが話してくれました。
●配達から内勤へ
郵便局にも転勤があります。
それぞれの職制に基づいて研修や昇格試験を経ながら、
マサユキさんも入局6年後には県内の別の郵便局へ。
そこからは内勤となりました。
朝6時に駅に駆け付け、郵袋を運ぶ仕事もなくなり
早朝出勤もなくなったので、
結婚したマサユキさんには比較的落ち着いた生活が始まっていました。
内勤仕事の最初は、全国から集まってくる小包の仕分け。
その部署へ配属された理由ものんびりしたものでした。
「赴任したとき、当時の担当課長から聞かれました。
『お前釣りやるか?』って。
自宅は海も川も近かったから、『やります』と答えたら、
『じゃ、俺の課に来い!』ってことに(笑)。
でも課長の言ってたのは本格的な海釣りだった。
『今度の日曜、釣り行くぞ。針と釣り竿、新しいの買ってこい!』って
仕事中でも命令されたりして。
「いわたの釣り船」サイトより
ワンマンだけど面倒見のいい上司でした。
全国の地名を一番覚えたのもこの頃だったかなぁ。
なにせ日本中の小包を扱うんです。
小さな町でも、あ、これは〇〇県だって、すぐわかるようになりました」
●郵便番号の導入で変わる郵便局
まだ郵便番号が導入されていない時代です。
局員がすべて手作業で送り先別に荷物を分けていく。
お酒の瓶など割れ物が破損する危険も常にありました。
郵便番号が導入され、郵便物の仕分けシステムが機械化されたのは
昭和40年代半ばころのことでした。
郵便局内の高い天井を、大きな皿に乗った郵便物が回り、
該当する場所まで来ると底がパタンと開いて小包みがすべり落ちて仕分けされる。
その風景を感慨深く眺めたことをマサユキさんは今でもよく覚えていると言います。
でもその小包や普通の郵便物も、やがて民間の宅配会社の台頭で競合の時代に入ります。それに伴い、複数の郵便局で管理職を務めてきたマサユキさんの仕事も
ずいぶんと様変わりしてきました。
「会社訪問とか大口のお客さん獲得で、
配達とは違う形で外に出かけることが多くなりました。
議員会館を訪ねて段ボール単位で葉書を買ってもらったり。
まだそういうことが許されていた時代だったからね。
とにかく郵便局はこんなにサービスしますってことを伝える仕事に、
懸命に時間を費やしていたような気がします」
●ディズニー○ンド建設中の配達も
しばらくぶりに配達もやったんだよと、マサユキさんは笑います。
場所はなんとディズニー○ンド建設予定地!
時は昭和50年代に入っていました。
「当時僕は千葉の郵便局にいたんです。
ディズニー○ンドはもともと砂地でしょ。集配のバイクが走れない。
しかも建設予定地は果てしなく広くて、工事事務所は何カ所もある。
僕ら内勤の営業は軽四輪を使えたから、砂地を走って事務所に届ける。
その後ディズニー○ンドがオープンして子ども連れて出かけたけど、
赤い車で走ったのはどの辺りだったのかなぁ。
全然わからなくなってました(笑)」
「トレンドノート」サイトより
●手紙だからわかることがある
子どもたちも成長したことだし、「釣りは身体が元気なうちに…」と、
神奈川県内のある町の郵便局長を務め上げ、
60歳でマサユキさんは郵便局員人生にピリオドを打ちました。
今でも、バイクや車に郵便マークがあると
思わず目がいってしまうというマサユキさん。
連絡も場所確認も携帯が当たり前。女性の配達員も増えるなど、
自転車で回っていた自分の若いころとは隔世の感があるけれど、
それでも変わらないこともあるなと実感するそうです。
『手紙ってやっぱり喜ばれるよね。
字を見るとその人のことがわかるでしょう。
同じ人でも、もらう字で、今どういう気持ちなのかな、元気なのかな、とか。
字でわかるって、やっぱり手紙だけ。これは変わらない。
廃れることはないと思う。
だから僕もこれからも手紙や葉書は書き続けようと思います』
人から「待ってもらえる仕事」「喜んでもらえる仕事」をまっとうした
マサユキさんならではの、〝手紙〟への熱い思いです。
「SERMENT」サイトより
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