アリバイ横丁でアリバイを考える。
先日、三十数年に及んで書き継がれ、完結した宮本輝の『流転の海』シリーズ。いま僕はこのシリーズを読み返していて、昨日、第八部の『長流の畔』を読み終えた。あとは最終巻の『春の野』を読めば、流転の海の閉じられた環を二度巡ったことになる。
さて、その第八部『長流の畔』を読んでいると、アリバイ横丁についての記述があった。おそらく若い人たちは知らないだろうが、かつて、大阪の西梅田のあたりに、アリバイ横丁と呼ばれる地下街があった。
もちろん、アリバイ横丁は正式名称ではない。阪急電車を梅田で降りて地下街に入り、阪神百貨店あたりから西梅田方面に歩いていると出くわす奇妙な一角なのだが、「ふるさとの名産品」だか「ふるさとのお土産」だか、そんな名前が付いていたと思う。でもまあ、みんながアリバイ横丁と呼んでいたので、ここではアリバイ横丁と書くことにする。
簡単に説明すると、地下街に都道府県ごとのお土産を売るシャッター2枚分くらいの小さな店舗が地下街に軒を連ねていたのだ。だいたいひとつかふたつの都道府県がひとつの店舗にまとめられていて、おばちゃんが一人、店舗に張り付いていた。
張り付くという言い方はまさに言い得て妙で、地下街に無理矢理作られた店舗なので、店に奥行きがない。おばちゃんは小さな椅子を置いて座っているのだが、座っているおばちゃんはギリギリ店からはみ出す感じだった。
それぞれの店舗には、「北海道」とか「長崎」とか「群馬」とか、県名が書いてあり、その地域の土産物屋と同じ包装紙で包まれている。だから、本当に現地で買ってきたような状態で手に入れることができるわけだ。
その地域の名物をどうしても手に入れたいという客もいるが、例えば、「長崎に出張だよ」と言いつつ、長崎に行かなかったサラリーマンが、奥様に長崎に行ってきたという証拠にここで長崎名物のカステラを買う、ということもある。だから、アリバイ横丁。
1970年の大阪万博の頃にはほぼすべての都道府県の土産物を扱っていたというが、僕が曾根崎新地にある映画の学校に通っているころには、すでにいくつかの県はシャッターが下ろされたままになっていた。
ネット通販が盛んになり、全国の都道府県がアンテナショップを出す時代になり、アリバイ横丁の店舗は少しずつ減っていき、そして、戦後すぐからあったアリバイ横丁は、2014年には幕を閉じたそうだ。
僕は映画の学校に通っている頃、一度だけアリバイ横丁の店で土産物を買ったことがある。何を買ったのかは思い出せないのだが、確か、岡山のきびだんごか、広島のもみじまんじゅうあたりを買ったのだと思う。なんとなく、アリバイ横丁で何かを買うという、大人っぽいことがしたくなったのだ。その時、買いに行った岡山か広島の店のおばちゃんが、地下街の人通りではなく、通りに背を向けて座っていたのが不思議で聞いてみたのだ。「なぜ、背中を向けて座っているんですか?」と。するとおばちゃんは「一日中、人通りを見てると酔うねん」と笑うのだった。
この狭い店を切り盛りするのにも、それなりに苦労があるのだなあ、と僕は働くということがなんだか怖くなった。気楽にやれそうな仕事が自分の目の前に現れるとは思えなかったのだ。まあ、そんなに気楽に社会人になられても困るんだろうけど、実際にそう思ったのだ。扱う商品もほぼ決まっている。仕入れ先だって同じ。やってくるお客さんに、望まれた商品を渡してお金を受け取る。たったそれだけの仕事なのに、座り方によっては疲れ果ててしまうようなことがあるのだ、ということを知ったときの衝撃は、僕にとってはなかなか重かった。
その日から、十代の学生の頃から、「生きるってつらいなあ」「生きるって怖いなあ」と思い続けてきた僕にとって、大阪梅田の地下街にあったアリバイ横丁は「楽には生きれない」ということを象徴するような場所になったのである。 それにしても、地域ごとの特産品を扱う店がずらりと並んだ地下街を、アリバイ横丁と呼ぶ関西人のユーモアのセンスはなんだろう。人生のつらさ、怖さ、そして、面白さ、楽しさまで全部ひとつにまとめたようなアリバイ横丁という呼び名を思い出すたびに、人生におののいたあの日を思い出すのである。まあ、いまも人生に怯える日々だけれども。
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植松眞人(うえまつまさと) 1962年生まれ。A型さそり座。 兵庫県生まれ。映画の専門学校を出て、なぜかコピーライターに。 現在は、東京・大阪のビジュアルアーツ専門学校で非常勤講師も務める。ヨメと娘と息子と猫のマロンと東京の千駄木で暮らしてます。サイト:オフィス★イサナ
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