第190回 どれが正解?
つまみ:
こどもの頃は、今わからないことも大人になったら
少しずつ確実にわかるようになるって思ってた。
でも実際は、むしろ逆じゃね?と思うばかりです、年々歳々。
感染対策でトイレのあとは便器のふたをして流しましょう、が
コロナで一気に広まって
ふたが最初からないトイレはどうするよ?と思ったり
入ったときにふたが開いていると、前の使用者に対して
「常識をアップデートしてないな」と
うっすら思ったりするようになりかけたけど
先日、仕事先のトイレに貼り紙があって、そこには
「次の人のことを考えて、一度閉めて水を流したら、開けて退室しましょう」
と書いてあった。
ええっ!?そこまでせにゃならんの?
開けて退室が正解なら、一度閉めたりしないだろう、めんどくせー。
その貼り紙をきちんと守っているひと、いるのか?と思った。
正解なんてひとつじゃないことが多いけれど
それにしても、どれが正解?って思うこと、多すぎない?
まゆぽ:
わかる、わかる。
大人になってからの方が人生が複雑になってるよ、確かに。
「正解」はその最たるものじゃない?
算数の計算には必ず1つ正解があったけど
数学になると証明問題みたいに正解は複数あるのも出てきたりしてさ
成長とともに正解はひとつじゃないってことを学んできた。
人生問題(トイレのふたとかね)だったら、もっともっと複雑だよね。
答えは複数どころか、正反対の答えがどっちも正解だったりするんだもん。
例えば押しボタン式の信号機。
車ほとんど来なくて、自分だけが渡るときもボタンを押すのが正解なの?
道路交通法的正解はきっと「押す」だよね。
でも、今、私がボタン押すと、あの遠くに見えるバスは
私がとっとと渡り終えて誰も歩いていない横断歩道を前に
止まらなくちゃならなくて、
乗ってる人の時間も、バスのガソリンも無駄じゃない?と思うと
道義的にもSDGs的にも、ボタン押さないのが正解じゃないかと考える。
どっちも正解で悩ましいよね。
つまみ:
ほんとほんと。
押しボタン式信号機は迷うね。
なぜか毎回「こんなわたしごときのために申し訳ない」と思う。
停まった車の運転席の人の顔を見ないようにそそくさと渡る。
自分でも、それ、意味ないし!と思うのに。
どっちも正解があるなら
どっちも不正解もあるんだろうな。
まだ正解を発見してないこととかも。
もしかしたら自分には
これぞ正解!って仕事を見つけられずに生涯を閉じるのかも。
実は刑事に向いてた、とか。
知らずに終わるのは寂しいけど
可能性を勝手に感じて生き切るのもいいかもね。
まゆぽ:
うん、「こんなわたしごとき」感ってあるよね〜。
1人でいる時のエアコンもわりとそう思うかも。
最近は高齢者なんだから
倒れて迷惑かけるよりエアコンだ、と割り切ったけど。
何か選ばなくちゃいけないときに、
わたしは選んだ後で「自分の選択が絶対正解」って思うタイプなんだけど
大抵の場合は「どっちも正解」で「どっちも不正解」なんだよね、きっと。
そして、つまみちゃんは刑事になってても
図書館司書が正解だったかもなあ、とか思ってるに違いない。
でも面白いから、生まれ変わったら刑事になってね。
わたしは植木屋さんになろうと思うから、
刑事と目撃者として会えるかもね〜。
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