3月11日。これを日常と思い定め、錨を下ろす勇気に。
こんにちは、カリーナです。
今年も3月11日がやってきました。3月に入ると「もうすぐ11日だな」と日めくりをめくるように時を数えます。いきなり、しかも無理やり、自分のことに引き寄せるという乱暴なことをしてしまいますが、昨年9月に夫が倒れてからしばしば「東日本大震災で身内を亡くした人はどれほどだったろう」と考えました。
わたしは夫の病への対応とその喪失感だけでよかったけれど、東日本大震災では、まわりの光景も壮絶なほどに変わり果てている。日々の暮らしも、食事でさえも思うようにならない。自分が、この半年、「食べること」と「温かい部屋で犬とゆっくりする」ことだけを楽しみに生きてきたようなものなので、「生活基盤の全壊」というつらさに「身内という精神的な生活基盤の喪失」が重なった苦しみを想像すると、その過酷さに体が震えるような気がします。
そこに、「将来不安」や「自宅への帰還困難」などの問題がかぶさっていたのですもんね。いかほどだったでしょう。
わたしごときが言うのもおこがましいですが、これまで生き抜いてこられた被災者のみなさんに心から、敬意を表します。すごい。受け入れがたい日常をこれから生きていく日常と思い定め、そこに静かに錨を下ろして歩んでいく。その困難さと、困難さに立ち向かう勇気に頭が下がります。
先週の火曜日、夫が転院し、面会に行く行き帰りの道は、過去半年とは異なる重みをもつことに気づきました。退院の日時が決まっているわけではないからです。「この道をこれから何度歩くのだろう」「この道を歩くときのわたしに気持ちの変化はあるのだろうか」「とりたてて幸せでなくてもいい。心を尽くして生きよう」「この日々が自分の暮らしと思い定め、ここに錨を下ろそう」など、さまざまなことを考えます。
不思議なことに夫が倒れたときの衝撃からその後の混乱・波乱、現在までの道のりは、何度もだれかに話したいのです。つらい記憶であると同時に濃密な記憶であり、また未整理な体験なので、誰かに話しながら確認したい、発散したい、そして自己肯定したいのかもしれません。我慢づよく聞いてくれる友人には、いつまでも話していたいと思うほどです。
多くの人々が同時に体験する大災害であっても、すべてのことは個人的経験。「復興」という大きな課題も大事ですが、「個人的経験」としての苦しみや悲しみを語り、ぶつけ、涙し、少しずつでも深い心の傷を乗り越える力にできる場がそれぞれの方にありますように。
オバフォーは、今週もコツコツと更新しています。「いどばた。」のお題は、ご機嫌スイッチの場所は? いろんなこと、おしゃべりに来てください。カレー記念日も気軽に投稿ください。お待ちしています。