「連想という記憶の旅」を、ひとり歩む。
スーパーで買ったカブに青々とした葉っぱがついていたので細かく刻んで炒めようと思い、まな板に向かっていたら「そういえば、おかあさんも大根葉でよく作っていたなあ」と思いました。
そこから「そういえば、お父さんは、スイカの皮で漬物を作っていたな」
「スイカといえば、夫はスイカが好きだったなあ」と夫が食卓ですいかを食べる様子を思い浮かべてしんみりしました。
もし、ここでわたしが、しんみりついでに「パパはスイカが好きだったねえー!」と声に出したら、それを聞いた娘は、「うん。……でも、なんでいま、スイカ?!なんで急に?」となるでしょう。
カブからスイカへと辿ったわたしの連想という記憶の旅と、その旅がもたらした、「もう元気な姿では二度と会えないけど会いたいトップ3」とともに過ごした頃への懐かしさや切なさは、近しい人との間でもなかなか共有できません。
目の前にある何が連想のスイッチを押し、別の記憶を呼び起こすのか、そこからさらにどんな記憶につながるのか…この旅ほど個人的なものはないからです。そして、この「連想という記憶の旅」には、人それぞれのパターンがあり、立ち寄り先を少しずつ変えながら、懐かしさや切なさ、寂しさというゴールに向かいます。人によっては憎しみややるせなさや悔いに向かう場合もあるでしょう。ゴールもまた人それぞれです。
年とともに黙りがちになる理由の一つは、この旅をあうんの呼吸で、ともにしてくれる人が少なくなるせいもあるのでしょう。時代の記憶もそう。たくさんの人と共有していると信じていた「当時の出来事」が「ずいぶん昔のこと」として雑に流される瞬間に立ち会うと、あまり積極的に語ろうとしなくなる。その気持ちも、次第にわかるようになりました。
「連想という記憶の旅」は、こころの一人旅。現実の一人旅もそうですが、こころの一人旅も、ある程度の慣れが必要なのだと思います。恐れずに、流れる風景にこころをかきむしられたり、慰められたりしながら歩きつづけたい。わたしはいま、そう思っています。
今週もオバフォーは、コツコツと更新します。カレー記念日は毎日更新&毎日秀逸。ぜひ。投稿もお待ちしています。
Jane
公式アカウントの花の写真に、「幸福だった子供時代」を連想させられました。
実家の周りにはこんなふうに雑草がたくさん花をつけていて、何時間もしゃがんで見たり(とてもじゃないけど今そんなに長くしゃがめない)。地面と世界が近かったし、あんなに雑草が心奪われるほど美しく思われたのも子供の頃だけだったなー。花束を作って、母にプレゼントしてちょっと迷惑がられながらコップに入れてもらって。それを見た祖母が「また雑草なんかとってきて」と言ったり。祖父に頼んで雑草だけの花壇を作ったり。
私の子供はそういう体験がありません。親の見ていない人気のないところに一人で行くということも有り得ないし、人の手の入っていない空き地もないし、冬越えできる植物が限られているせいか、近所の庭ほとんどで専門の業者により同じ植物が規則正しく植えられて、植物と植物の間は芝生でなければ木屑のマルチが撒かれている、なんて書き続けているうちに、まさに「懐かしさや切なさ、寂しさ」「憎しみややるせなさや悔い」に向かっていきますな。
アメちゃん
うーん。やっぱりカリーナさんは私ですか?
週末、風邪で寝込んでたんですけど、
胃がムカムカして3日間なにも食べられず
やっと3日めの夕方にプリンとミカンが食べられて
わずかに蘇ってきた食欲のなか、ふと
「父さんの作ったオムレツが食べたいなぁ…」と思いながら、ゆうべ寝ました。
私が子どもの頃、父は夜にふっと台所に行ったかと思うと
お肉とタマネギを炒めて、オムレツを作ってました。
父が、台所の電気を消して居間に入ってきた気配がすると
こたつで寝っころがってテレビを見てた女3人(母、姉、私)は
まるで仕掛けの人形みたいに、3方向からむくっと起き上がって
こたつの真ん中に置かれたオムレツをじーっと見ながら
「わ!おいしそ!」「食べてええん?」とか言って
ご相伴にあずかっていました。
あの頃はあたりまえの日常で、大人になってこんなに切なく懐かしい思い出になるとは
思いませんでした。
そして、病み上がりにカブラのお味噌汁を作って
お昼に食べたところです。