(4)白くかわいいおうちの末路
入院した父の身の回りの品を取りに、実家に寄ったときの話。
なんと、15年ぶりである。20年ぐらい前に母といろいろあってからは、15年前に荷物を取りに寄っただけ。
果たして、母念願の「郊外の白いかわいい家」は、今や、手入れがされていない、煤けて萎びた家になっていた。庭の植木鉢は適当に放置され、園芸作業の途中なのかスコップをさしたままの状態で散乱している。雑草も木の枝も伸び放題。
そして中に入ると衝撃の!!
…あんなに綺麗好きだったのに!!!
とにかく物があふれかえっている。紙の束がいたるところに積まれている。よくよく見ると、「空き袋」と書かれた空き袋の束があったりする。捨てろや…。束にするなら捨てろや…。空き袋そんなに取っておく必要ないでしょ。
昔は二人とも油絵や水彩画を描いていたが、絵も体力が必要なようで、描きかけの絵などはない。とにかく印刷物が多い。父は俳句、母は語学と反原発などの活動がメインで、それらの本やコピーが山のように積まれ、ぐっちゃぐちゃ。いたるところで雪崩が起きている。
盗難防止のため貴重品を持って行こうと思い、財布や通帳類を探すと、出るわ出るわ、小銭の山。いろんな引き出しに、ちょっとずつ分かれて小銭が入っている。これはいったいなんなの? 何のために小銭を小分けにしてあるの?
部屋に飾ってあるのは、数年前のカレンダー。しかも、いろんな年のカレンダーがばらばらにいろんなところに掛かっている。いったい今は何年……??
衣類も適当に袋詰めされて放置されている。ひょっとして、洗濯物をタンスにしまうことすらできなくなっていたのだろうか?
そう考えるとある程度は理解できる。紙の空き袋すら、ゴミ捨て場に持っていくことが億劫になっていたということか。
ティッシュが20箱ぐらいあるのにも閉口した。買い置きしすぎやろ。ほかにもマスクとか。ラッキー、もらっていこう、と思って手にするも、しみついた臭いが強烈で、無理~。
買い置きの最たるものが食品。自然食の宅配が毎週来ていたようなのだが、豆乳とかチーズとか、生ものがどんどん貯まって、冷蔵庫からあふれそう。もちろん賞味期限は切れている。つまり、消費しきれないのに、「毎週」という設定を変えていないのだ。
冷蔵庫の脇には、入りきらない野菜が積まれて、すでに下のほうは腐敗が……、ぎゃーーー!!
「整理する」「断る」「やめる」「捨てる」、そうしたことが、そんなにも大変なのか。もともと綺麗好きだった二人がこれなのだから、綺麗好きでない自分の将来が怖すぎる。
電球も切れかかっていて、廊下がとても暗い。ああ、こりゃ階段落ちるわ。母は夜中に階段を踏み外して大腿骨骨折して今の状態になっているわけで、むべなるかな、である。
もし、私が親と仲が良くて、しょっちゅう訪ねてきていたら、「この電球変えたほうがいいよ」とか言って、脚立を出して変えただろうか。そうしたら階段から落ちるということは無かっただろうか。
……と考えてみるが、あまりにもありえない話なので、何の感慨も湧かないのだった。
私が使っていた部屋も物置と化していて、私がいた痕跡はほとんど無い。
母はよく私に「お前のような人間にはこの家は相続させない」と言っていた。しきりに言っていた。逆に言うと「この家が欲しかったら、私の望むような娘になりなさい」ということだ。でも、別に欲しくないな(苦笑)。
ずっと社宅住まいだったが、私が中学に入学するのと同じときに一軒家を建てた。私は就職して2年目の春に家を出たので、11年いたことになる。
好きな色の壁紙にしてもらった自分の部屋は気に入っていた。今も日当たりや眺めがよく、当時新しくできたばかりのFM局の番組を聞きながらこの部屋で過ごしていたときのことを思い出す。
母はこの家に引っ越してしばらくは、社宅の人間関係の居心地の悪さから逃れて気が楽になったのか、私への干渉を弱めていたように思う。しかし、進路のことや、男子とのつきあいとかが生じてくると、口を出してきた。
そもそも男女交際的なものや、おしゃれをすることなど、いわゆる「色気づく」ことは一切タブーで、私の日記のようなものを見て兆候を見つけると「嫌らしい」という感じで問いただしてきた。「女らしくしろ」と言われないのは良かったが、そのかわりに勉強ができることが至上命題だった。
高校に入ってから私の成績が悪かったことも、母の苛立ちを加速させた。「心配ごと」とかではなく、「許しがたいこと」だった。
母は担任に「お嬢さんは理数系の成績が悪いのと、ほかに得意なことがあるようなので(←何を指して言っていたのか今もって謎)、専門学校も選択肢にしては?」と言われ、帰宅してから半狂乱になった。「大学にも行けないなんて、そんな子を育てた覚えはない」「恥だ」とずっとリビングで叫んでいた。比喩ではなく、文字通り泣き叫んでいた。私は今の言葉で言うなら「ドン引き」だ。
学歴差別や職業差別をしてはいけない、と建前を言いつつ、「成績が悪いとダンキンドーナツのレジ打ちにしかなれない」と私を脅す。なぜダンキンドーナツなのかというと、ターミナル駅で乗り換える改札口にあったからだ。私は「全商品の値段を覚えて、あんなに素早くレジが打てるなんて、ものすごい高度なことなのでは?」と素朴に疑問だった。と同時に、あまりにも失礼で、あまりにも矛盾している母のことを心底軽蔑した。
母はさらに、素っ頓狂な願望をも私に課してくるようになった。「親戚の〇〇さんは東大で理系で、研究所に就職して職場結婚で3人の子どもを育ててるんですって。あなたもそうなりなさい」「結婚式は、たとえば登山が趣味の人が山の上で式をやるようなやつがいい」「保育園はあそこが広くてのびのびしていていいと思う」
…書いてて笑ってしまうけど、全部本気で言っているのだ。それ、自分でやってくださいよ。私、登山は趣味じゃないんで。
白くかわいいおうちは、ゴミの山と一緒に母の本性が堆積して煤けた状態になってしまった。そう思うと、こんな場所には長居できないのだった。